改訂新版 世界大百科事典 「ムザッファル朝」の意味・わかりやすい解説
ムザッファル朝 (ムザッファルちょう)
Muzaffar
イラン南部を支配した王朝。1313-93年。イル・ハーン国に仕えたアミール・ムザッファルAmīr Muzaffarの子,ムバーリズ・アッディーン・ムハンマドMubāriz al-Dīn Muḥammad(在位1313-57)に始まる。ムハンマドは最初イル・ハーンよりヤズドを与えられたが,やがてケルマーンを加え,次いでインジュー朝よりシーラーズおよびイスファハーンを奪った。その子シャー・シュジャーShāh Shujā`(在位1357-84)は父を盲目にして退位させ後を継いだが,アゼルバイジャンやイラク方面に領土を拡大して同朝の最盛期を現出させた。彼はまた詩人ハーフィズの保護者としても知られる。しかし,彼の没後,領土は一族の間で4分割され,1387年にはティムールの侵攻を被って臣従を余儀なくされた。その後,シャー・マンスールShāh Manṣūr(在位1387-93)が台頭して一族を率いティムールに対抗しようとしたが,93年再びティムールの攻撃を受けてシャー・マンスールは殺され,ほどなく同朝は滅亡するにいたった。
執筆者:加藤 和秀
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報