ムバラク(読み)むばらく(英語表記)usnī Mubārak

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ムバラク」の意味・わかりやすい解説

ムバラク
むばらく
usnī Mubārak
(1928―2020)

エジプトの政治家。エジプト北部メヌーフィヤに生まれる。1949年陸軍士官学校、1952年空軍士官学校卒業。空軍士官学校教官を経て1967年同校校長。この間旧ソ連に二度留学し、軍事技術を学ぶ。1969年空軍参謀長、1972年空軍最高司令官兼国防次官。1973年十月戦争(第四次中東戦争)での活躍は目覚ましく、1974年空軍元帥に昇格。1975年4月副大統領に任命される。1981年10月当時大統領であったサダトが暗殺されたのち、大統領に就任。サダトの基本路線を継承し、緊密な対米関係を維持。1987年大統領に再選。1990年にはイスラエルとの外交関係を維持したままアラブ連盟への復帰を実現。同年8月以降のクウェート危機ではイラクの大統領フセインに即時無条件撤退を要求。エジプト軍をサウジアラビアに派遣し、連合国軍の一部として参戦。1993年大統領に再々選され、2005年までに5選を果たす。2011年1月、国内全土で大統領退陣や経済改革を求める大規模デモが発生。次期大統領選に立候補しないことを表明したが混乱は拡大したため、2月に辞任し首都カイロを離れた。

[伊能武次]

 2012年6月、デモ隊への発砲を命じた殺人罪により終身刑判決を受けた。その後、刑務所付属の病院に収監されていたが、やり直し裁判により2017年に無罪が確定し釈放された。

[編集部]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ムバラク」の意味・わかりやすい解説

ムバラク
Mubārak, Ḥosnī

[生]1928.5.4. ミヌフィーヤ
[没]2020.2.25. カイロ
エジプトの軍人,政治家。大統領(在任 1981~2011)。フルネーム Muḥammad Ḥosnī Said Mubārak。1949年エジプト陸軍士官学校卒業,1950年空軍士官学校卒業。1952~61年ソビエト連邦に留学。1972年空軍総司令官。1973年第4次中東戦争(→十月戦争)の作戦を立案。1974年空軍元帥,翌 1975年4月副大統領。1981年10月アンワル・サダト大統領暗殺に伴い,国民投票により大統領に就任。アラブ諸国との関係改善に努める一方で,1979年のキャンプデービッド合意に基づくイスラエルとの和平路線を踏襲し,アメリカ合衆国との良好な関係を築いた。1987年再選。1989年5月孤立していたエジプトをアラブ連盟に復帰させた。1991年の湾岸戦争では反イラクの態度をとり,サウジアラビアに派兵,戦争終結後はアラブ内で調停役を演じた。また 1993年のパレスチナ暫定自治協定の成立においても重要な役割を担った。1999年大統領選挙で 4選,2005年には 5選を果たした。2011年1月大規模な反政府デモが勃発,混乱を収拾できず同年 2月大統領を辞任した(→アラブの春)。

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