世界大百科事典(旧版)内のNajāḥの言及
【イエメン】より
…9世紀の末からイスマーイール派の活動が活発になったが,その主勢力は北アフリカに移ってファーティマ朝を開いた。そのあとイエメンでは,イスマーイール派のスライフṢulayḥ朝(1047‐1138)が勢力を強め,紅海沿岸のティハーマのナジャーフNajāḥ朝(1021‐1159)を破り,1063年にはラッシー朝をサーダに追ってサヌアに都し,一時はヒジャーズをも侵略したが,最後はズー・ジブラに都を移し,同じイスマーイール派のズライーZuray‘朝(1138‐74)に支配権を奪われた。アイユーブ朝を建設したサラーフ・アッディーンは,弟トゥーラーンシャーTūrānshāhにイエメン征服を命じ,タイズに都するアイユーブ朝(1174‐1229)が成立した。…
※「Najāḥ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」