世界大百科事典(旧版)内のpalliumの言及
【司教】より
…特に747年ボニファティウスの司会した司教会議は,この司教会議の制度,首都司教の地位,司教の職務内容,首都管区会議と司教区会議との職務分掌などを明らかにし,またローマ教皇との制度的関係をも初めて性格づけた。たびたびローマを訪れたこの2人は,教皇からパリウムpallium(大司教用肩衣。白い羊毛製の帯で教皇,大司教の権威を象徴する)を授けられて司教座なしの大司教に任命されたが,この大司教は当初は名誉的称号にすぎなかったから,首都司教にはたいていこの称号が与えられることが多かったものの,カール大帝の時代までは大司教の職制は一般化しなかった。…
【ローマ】より
…オスティアの遺跡が当時のインスラのようすをよく伝えているが,古代ローマには豪壮な宮殿や公共建築物,瀟洒(しようしや)な個人邸宅と並んで,このようなインスラがひしめき合っていたのである。
[衣服]
古代ローマの男性は膝丈のトゥニカの上にトガを着用したが,トガは重いうえにひだ取りも難しかったため嫌われるようになり,皇帝たちは公式行事の際のトガ着用を命じる勅令を出さざるをえなかったほどで,トガに代わってパリウムpalliumというギリシア風外衣が好まれるようになった。また,袖なし・貫頭衣型の羊毛製外套(パエヌラpaenula)も旅行用・雨天用として好まれた。…
※「pallium」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」