古代ローマの喜劇作家。正確な生涯は不明。後代の伝えではウンブリアのサルシナの生まれ。演劇関係の仕事で得た金を商売で失い、製粉所の労働者となったのち、喜劇作家として成功。その作品は死後も人気を博したため、多くの喜劇がプラウトゥス作とされ、その数は130にも達したが、紀元前1世紀の学者ウァロがうち21編を真作と定め、これが今日に伝えられている(うち一編は断片のみ)。なかでも評価が高いのは、神話に題材をとり、主人公の姿になった神と主人公の織り成す悲喜劇『アンフィトルオ』(モリエールやドライデンの翻案で有名)、黄金の詰まった壺(つぼ)を発見したけちな老人を主人公として、「壺」と「娘」の取り違えからくる滑稽(こっけい)な会話で名高い『黄金の壺』(モリエールの『守銭奴』の種本)、奴隷の自己犠牲的な行為を中心に笑いと涙を誘う『捕虜』、シェークスピアの『まちがいの喜劇』の種本となった『メナエクムス兄弟』、ヘレニズム劇でよく取り上げられる臆病(おくびょう)なくせに大言壮語する好色な主人公をみごとに描いた『ほら吹き兵士』、主人思いの奴隷が若い主人の窮状を救うべく父親に対し策を弄(ろう)して失敗するが、八方まるく収まって若主人の恋も成就する『幽霊屋敷』、ロマンチックな舞台設定と情景描写でプラウトゥスの作品中異彩を放つ『あみづな』である。
プラウトゥスの作品は、メナンドロスなどのギリシア新喜劇の翻案で、ほとんど舞台をギリシアにとり、登場人物もギリシア名であり、役者の着ているギリシア風な衣装palliumからfabula palliata(ファブラ・パッリアタ)とよばれるものに属している。しかし、ギリシア的な枠組みのなかにローマの地名や習慣が突然現れるなど、ローマ化が図られている。また幕間(まくあい)のコーラスはなく、始めから終わりまで一気に上演されたらしい。後代のテレンティウスに比べると、人間性洞察の深さに欠けるが、登場人物は活気に満ち、溌剌(はつらつ)とした会話や当意即妙の洒落(しゃれ)や地口と相まって、笑いを誘う力では勝っている。そのような内容を盛る韻律の点でも、プラウトゥスは劇的効果をあげるためさまざまな新工夫を凝らし、ラテン語の表現力を大いに向上させた。また、その全作品が今日に伝えられる最初のラテン作家であり、2万行を超える作品群は、古典期以前のラテン語を知るうえで貴重な資料となっている。
[土岐正策]
『鈴木一郎他訳『古代ローマ喜劇全集』全四巻(1975~77・東京大学出版会)』
古代ローマの喜劇作家。中部イタリア,サルシナの生れ。生涯について信頼できる記事はないが,劇場で働いて蓄えた金を事業に失敗して失い,粉ひき屋で手伝いをしながら創作をはじめたらしい。貴族の庇護者を持った形跡はない。彼は一つのジャンルに限定したローマで最初の詩人であった。伝承に従って作品を原題のアルファベット順に挙げると,《アンフィトルオ》《アシナリア》《黄金の壼》《バッキスの姉妹》《捕虜》《カシナ》《小箱の話》《クルクリオ》《エピディクス》《メナエクムス兄弟》《商人》《ほら吹き兵士》《幽霊屋敷》《ペルシア人》《カルタゴ人》《プセウドルス》《あみづな》《スティクス》《三文銭》《トルクレントゥス》《旅行かばん》の計21編である。《旅行かばん》は約120行の断片を数えるのみだが,プラウトゥスはその作品がすべて現存するローマ最古の詩人である。どの作品もメナンドロス,ディフィロス,フィレモンらに代表され,今ではほとんどが散逸したギリシア新喜劇の諸作品を自由に翻案,または2編を混合したものと考えられる。作品はたくらみ劇(《ほら吹き兵士》等),偶然とたくらみを組み合わせたもの(《捕虜》等),人物のすり替え,または思いちがいに基づいて劇が進行するもの(《アンフィトルオ》等),主人公の性格を中心に据えたもの(《黄金の壼》等)などに大きく分けられるが,どれもおおらかな笑いと時にしんらつな風刺を交えた生命力に富む喜劇である。微妙な心理のあやとは縁が薄く,政治色にも乏しい。せりふは罵詈雑言(ばりぞうごん)など日常的話法をふんだんに取りいれる一方,多彩な韻律と音の効果をねらった表現法など音楽性に富み,隠喩や言葉あそびにもあふれている。中世では一部の作品しか知られていなかったが,15世紀に全作品が発見されて以来注目を集め,若きシェークスピアやモリエールらに少なからぬ影響を与えた。
執筆者:三浦 尤三
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前254?~前184
古代ローマの喜劇作家。ギリシア新喜劇を模倣しつつ,ローマの中・下流社会に根ざした家庭的・ロマン的・道化的な喜劇作品を約130編つくる。現存するのは21編。ルネサンス以降も重んじられる。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
…このように中世イタリアの劇的世界の中心にあったのは書かれざる演劇であって,より明確な演劇形式を備えた戯曲の誕生はルネサンスを待たなければならない。
[ルネサンス期]
1429年,古代ローマ時代の喜劇作家プラウトゥスの戯曲12編の手稿が発見された。これが契機となってローマ喜劇の研究や上演が始まった。…
…プラウトゥスと並ぶ古代ローマの代表的喜劇作家。北アフリカのカルタゴに生まれ,元老院議員テレンティウス・ルカヌスの奴隷としてローマに来たが,主人の寵愛を受けて勉学にはげみ,のちに解放されて自由人になった。…
…カンパニア地方の出身。第1次ポエニ戦争に従軍したのち,劇作家として文壇に登場,ギリシアのアッティカ新喜劇の諸作品を混合し,それにローマ的装いを与えて後輩のプラウトゥスに大きな影響を与えた。だが,プラウトゥスの全作品が現存するのに対して彼の30余りの喜劇はわずかの断片を除いてすべて散逸した。…
…悲劇的要素と喜劇的要素が入り混じってあらわれるために,伝統的な悲劇,喜劇の定義にはあてはまらない作品をいう。最初にこのいい方を使ったのは,古代ローマの劇作家プラウトゥスで,自作の《アンフィトルオ》の第50行から63行にかけて,古代ギリシア演劇以来伝統的に悲劇の主人公に定められている神々や王侯と,喜劇の主人公に定められた奴隷とがともにあらわれるため,粗野な喜劇と崇高な悲劇との混淆型が生まれると述べている。この場合は悲劇と喜劇とを主人公の身分で分ける定義から出発しているが,ルネサンス期の学者J.J.スカリゲルらは,幸福な結末に終わる悲劇を悲喜劇と定義した。…
…レナイアとディオニュシアの喜劇競演で8回優勝したとされているが,108編と伝えられる彼の喜劇作品数に比すれば意外に少なく,その名声は主として死後のものであったようである。作品そのものは,最近までは,断片と,ローマにおけるメナンドロスの翻案者たるプラウトゥス,テレンティウスの作品とによってうかがい得ただけであったが,20世紀に入る前後から次々と新発見がなされ,《気むずかし屋(デュスコロス)》の大部分と,《調停裁判》《サミア(サモス島から来た女)》《髪を切られる女》の相当部分が回復された。 彼の喜劇は性格造形力にすぐれ(アリストテレスの弟子で,ラ・ブリュイエールの《カラクテール》の原著作者でもあるテオフラストスの教えを受けたとされている),また登場人物の扱いが巧みであり,さらに題材そのものの普遍性も手伝って,後世の演劇芸術に非常に大きな影響を及ぼした。…
…リウィウス・アンドロニクスはローマで初めて悲劇と喜劇を上演した。続いてナエウィウス,エンニウス,パクウィウスPacuvius,アッキウスAcciusが悲劇とプラエテクスタ劇(ローマ史劇)を,ナエウィウス,プラウトゥス,カエキリウスCaecilius,テレンティウスが喜劇を,ティティニウスTitiniusとアフラニウスAfraniusがトガータ劇(ローマ喜劇)を創作上演した。これらのうちで現存するのは,プラウトゥス21編,テレンティウス6編の喜劇だけである。…
…
[喜劇]
悲劇と同様に喜劇もギリシア劇の翻案から始まった。メナンドロス,ディフィロス,フィレモンらのギリシア新喜劇の作品をもとにして,〈パリアタ劇fabula palliata〉(palliataは〈ギリシア風のマントを着た〉の意)と呼ばれる喜劇を書いたのがプラウトゥスとテレンティウスである。プラウトゥスは前254年ころにウンブリアの小都市に生まれ,役者をした後に,劇作に手を染めるようになり,130編もの喜劇を書いたが,今残っているのは20編だけである。…
※「プラウトゥス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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