世界大百科事典(旧版)内のSchönerer,G.vonの言及
【パン・ゲルマン主義】より
…理念的には19世紀前半のドイツ統一運動にその根を持つが,人種論的立場を採った運動体としては1880年代以降に成立した。これは二つの系列として現れ,一つは,ハプスブルク帝国(オーストリア・ハンガリー二重帝国)下でドイツ系住民を基盤とするシェーネラーGeorg von Schönerer(1842‐1921)を指導者とする運動で,スラブ系諸民族の台頭やユダヤ人の進出に反対しドイツ民族の優位を説いて,帝国の解体とドイツとの合体を掲げるもので,青年期のヒトラーに影響を与えたことで知られる。もう一つは,1890年ごろドイツに現れ,94年に形を整えた全ドイツ連盟Alldeutscher Verbandをその中心的担い手とする運動である。…
【リンツ綱領】より
…1882年9月1日に発表された,オーストリアにおけるドイツ民族主義運動の基礎となった綱領。この綱領の作成には,ドイツ民族主義運動の指導者であったシェーネラーGeorg Schönerer(1842‐1921),フリードユンク,V.アードラーなどが参画した。綱領はドイツ民族主義的要求として,オーストリアとハンガリーによる君主連合国の設立,国家条約によるドイツ帝国との同盟の強化,他民族のハンガリーへの併合,国定言語としてのドイツ語の使用を,自由主義的要求として結社,集会,出版の自由および選挙法の改革を,社会政策上の要求として,労働者階級の組織,工場法の改革,婦人児童労働の制限,工場監督官の配置,労働災害に対する雇用者の賠償義務などをかかげるものであった。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」