世界大百科事典(旧版)内のShibanの言及
【ウズベク族】より
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[民族史]
ウズベクözbekという語が,民族名として初めて史料にあらわれるのは14世紀後半である。当初は,キプチャク・ハーン国領内の草原に住む遊牧民全体をさす名称であったが,15世紀中葉に,ジュチ・ハーンの第5子シバンShibanの後裔よりアブー・アルハイル・ハーンが出て,キプチャク草原に強力な遊牧国家を建設すると,シバン家一族とそれに従属する人々を,とくにウズベクと呼ぶようになった。彼らは,アブー・アルハイルの孫シャイバーニー・ハーンのときに,マー・ワラー・アンナフルやホラーサーンの定住地域に侵攻し,1507年にはティムール朝を滅ぼす。…
【キプチャク・ハーン国】より
…国家の創設者バトゥ(在位1227‐55)はジュチの第2子で,1236‐41年に,キプチャク草原,ロシア,東欧を席巻し,ボルガ下流のサライを中心として国家の基礎を築いた。その際,長兄オルダOrdaらがジュチの本領(イルティシュ流域)を継いで国家の左翼となり,ハーン位を継承したバトゥは,弟のベルケBerkeやシバンShibanらとともに,右翼に所領を占めた。後の史料では,左翼の所領を青帳ハーン国Kök Orda,右翼を白帳ハーン国Aq Ordaと呼ぶこともある。…
※「Shiban」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」