世界大百科事典(旧版)内のStändeの言及
【神聖ローマ帝国】より
…その結果,帝国国制の独特な二元主義的構造が定着したが,それは帝国全体を表すのに使われてきた〈皇帝と帝国〉なる定式の意味変化によく示されている。すなわち,もともと両概念は同じことで,皇帝の支配が帝国を意味していたのに対し,いまや両者は完全に分離して,〈帝国〉とは皇帝ぬきの等族(シュテンデStände)の全体を表し,家門勢力を背景とするにすぎない皇帝は,国制上,帝国住民との直接的関係をすべて失うことになった。住民と皇帝との間には領邦が割り込み,その全体がいまや〈帝国〉として皇帝と相対することになったのである。…
【身分制議会】より
…中世後期のヨーロッパ諸国で,身分制社会を土台に成立した議会。等族議会ともいう。近代の議会が国民代表機関の性格をもつのに対し,この時期の議会は特権的な社会層たる諸身分(等族Stände,états)の利害を表現している。聖職者身分,貴族身分および第三身分(市民と農民の総称で,実際上は都市の代表)の3者で構成されるフランスの三部会は最も有名な例であるが,中世末から17~18世紀のドイツ諸邦にも,聖職者,貴族,市民の三部会制をとる議会が多くみられる。…
【身分制国家】より
…中世後期,ヨーロッパ各地に成立した国家形態で,特権をもつ諸身分(等族Stände,états)が,身分制議会を通じて,君主の権力行使を制約している点に,その特徴がある。等族制国家ともいう。フランスでは14~15世紀,ドイツの諸領邦ではだいたい15世紀から17世紀ごろにかけて現れたが,その他スペイン,北欧諸国,イタリアの諸君主国,ハンガリー,ポーランドなどの歴史にも,身分制国家の段階が認められる。ただイギリスの場合は,中世から近代まで議会が連続的に発展しているだけに,中世後期を身分制国家の概念でとらえることが難しい。…
※「Stände」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」