日本大百科全書(ニッポニカ) 「メクレンブルク」の意味・わかりやすい解説
メクレンブルク
めくれんぶるく
Mecklenburg
バルト海に面するドイツ北東部の歴史的地域名。この地域には民族移動期以後スラブ人が定住し、彼らは土侯の支配下にあってドイツ人の進出を拒んでいた。12世紀ドイツのハインリヒ獅子(しし)公によるキリスト教の布教後もドイツとの関係は安定せず、一時デンマークの宗主下に入ったこともある。1348年土侯はメクレンブルク公として神聖ローマ帝国の諸侯に列するが、この公家はその後分裂を繰り返して君主権は弱体化する。19世紀まで残ったのはメクレンブルク・シュウェーリン公家と同シュトレーリッツ公家(ともに1815年に大公位を得る)の2家である。その間、この両メクレンブルクの貴族領主はグーツヘルシャフト(農場領主制)を発展させ、また共通の領邦議会に結集して強力な支配階級を形成した。貴族の特権を保障した1755年の永代協約は、メクレンブルクの基本法として1918年まで効力を有した。ワイマール共和国期にも分かれたまま2州をなした両メクレンブルクは、1933年末に1州に統合され、第二次世界大戦後、ポメラニア州西半をあわせて旧東ドイツの一州となった。しかし52年には州が解体され、シュウェーリン、ロストック、ノイブランデンブルクの3県になり、90年にはメクレンブルク・フォアポンメルン州となる。地形は低地平原地帯に丘陵が入り組んで、河川と湖沼に富む。産業は農業を主とするが、ロストック、ウィスマールなどの沿海都市では造船業が発達している。
[坂井榮八郎]