世界大百科事典(旧版)内のTANUの言及
【タンザニア】より
… 第2次大戦後,タンガニーカは国際連合の信託統治領となった。50年代に入ると民族運動が高まり,54年7月にタンガニーカ・アフリカ人民族同盟(TANU)が結成された。党首のニエレレの指導のもとにTANUは急速に全国的な組織となり,独立を目ざして国連への提訴などを行った。…
【アルーシャ宣言】より
…1967年2月にタンザニアのニエレレ大統領が発表した社会主義化宣言。国家の政策に決定的な発言権を持つ政党タンガニーカ・アフリカ民族同盟(TANU)の中央執行委員会がアルーシャArushaにおいて審議採択した党の基本政策宣言である。基本的生産手段を,政府および協同組合を通じて農民と労働者の所有と管理のもとにおくことを規定,農業開発を基盤とし,外国の援助に頼らない自立的な経済開発を推進することを目標として掲げた。…
【タンザニア】より
… 第2次大戦後,タンガニーカは国際連合の信託統治領となった。50年代に入ると民族運動が高まり,54年7月にタンガニーカ・アフリカ人民族同盟(TANU)が結成された。党首のニエレレの指導のもとにTANUは急速に全国的な組織となり,独立を目ざして国連への提訴などを行った。…
【ニエレレ】より
…卒業後タンガニーカに戻り,カトリックのミッション系高校で教えた後,49年イギリスに留学,エジンバラ大学より文学修士号を得て52年帰国した。53年タンガニーカ・アフリカ人協会の会長となり,翌年7月,最初の政党タンガニーカ・アフリカ人民族同盟(TANU)を創設して党首となった。その後活発に民族主義運動を推進し,TANUを強力な全国組織に育て上げ,61年のタンガニーカ独立時には首相となった。…
【アルーシャ宣言】より
…1967年2月にタンザニアのニエレレ大統領が発表した社会主義化宣言。国家の政策に決定的な発言権を持つ政党タンガニーカ・アフリカ民族同盟(TANU)の中央執行委員会がアルーシャArushaにおいて審議採択した党の基本政策宣言である。基本的生産手段を,政府および協同組合を通じて農民と労働者の所有と管理のもとにおくことを規定,農業開発を基盤とし,外国の援助に頼らない自立的な経済開発を推進することを目標として掲げた。…
【タンザニア】より
… 第2次大戦後,タンガニーカは国際連合の信託統治領となった。50年代に入ると民族運動が高まり,54年7月にタンガニーカ・アフリカ人民族同盟(TANU)が結成された。党首のニエレレの指導のもとにTANUは急速に全国的な組織となり,独立を目ざして国連への提訴などを行った。…
※「TANU」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」