ニエレレ(読み)にえれれ(英語表記)Julius Kambarage Nyerere

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ニエレレ」の意味・わかりやすい解説

ニエレレ
にえれれ
Julius Kambarage Nyerere
(1922―1999)

タンザニアの政治家。初代大統領。北西部のムソマ県に生まれる。1945年ウガンダマケレレ大学教育学部卒業後、タボラのカトリック系高校で教職につく。1949年エジンバラ大学留学。1952年帰国し、再度、ダルエス・サラームで教職につく。1954年タンガニーカ・アフリカ人民族同盟(TANU。現、タンザニア革命党=CCM結成、書記長となる。1958~1960年立法審議会議員となり、1961年独立とともに首相就任。翌1962年共和国へ移行と同時に大統領になる。1964年ザンジバルとの合併でタンザニア連合共和国誕生とともに大統領就任。1967年2月「アルーシャ宣言」を発表し、アフリカ社会主義路線を明確化し、農村の社会主義化を目標とするウジャマー社会主義を推進(ウジャマーはスワヒリ語で家族や友愛の意)。1985年大統領をムウィニAli Hassan Mwinyi(1925―2024)に譲り引退。引退後、開発途上国の意見を代表する「南委員会」議長ブルンジ内戦の和平交渉の仲介役など、国際舞台で活躍。1987年CCM議長に3選。タンザニア政治を批判し介入した。1999年病没。著書に『解放と統一』(1969)、『解放と社会主義』(1969)、『解放と開発』(1973)がある。

[林 晃史]

『日本国際政治学会編・刊『第三世界政治家研究』(1977)』『山口圭介著『ナショナリズムと現代』(1987・九州大学出版会)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ニエレレ」の意味・わかりやすい解説

ニエレレ
Nyerere, Julius (Kambarage)

[生]1922.3. タンガニーカ,ブティアマ
[没]1999.10.14. イギリス,ロンドン
タンザニアの政治家。マケレレ大学 (ウガンダ) で教員資格をとり,ミッション・スクールで教職についたのち,1949年にエディンバラ大学に留学。 52年に帰国して政治活動に入った。 54年7月タンガニーカ・アフリカ民族同盟 TANUを結成,党首となった。 61年 12月タンガニーカ独立に伴って初代首相となり,62年 12月共和制移行とともに初代大統領となった。 64年4月タンガニーカとザンジバルが統合し,タンザニア連合共和国が成立すると大統領となり,80年 10月5選。代表的なアフリカ社会主義者であったが,特に 1967年2月のアルーシャ宣言以後は自力更生,国有化を軸に路線の強化をはかり,また国際的には中国との結びつきを強めた。なお 74年6月には第6回汎アフリカ会議ダルエスサラームで開催し,注目を集めた。 85年 10月大統領職を副大統領のムゥイニに譲る。 90年8月タンザニア革命党議長を辞任。 92年シモン・ボリーバル賞を受賞。著書に"Freedom and Unity-Uhuru na Umoja" (1966) ,"Freedom and Socialism-Uhuru na Ujamaa" (68) ,"Ujamaa: Essays on Socialism" (69) ,"Freedom and Development-Uhuru na Maendelo" (74) などがある。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報