(読み)ほし(英語表記)star

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精選版 日本国語大辞典 「星」の意味・読み・例文・類語

ほし【星】

〘名〙
① 一般には太陽・月・地球を除く天体。広義には、すべての天体。狭義では恒星をいう。
※万葉(8C後)二・一六一「北山にたなびく雲の青雲の星(ほし)離れ行き月を離れて」
② 星の光っている形に似たしるし。星の形をしたもの。「★」「☆」など。
※不在地主(1929)〈小林多喜二〉二「子供達は肩章の星の数や剣について、しゃべり出した」
③ (①が運行するところから) 歳月。星霜。
※日本開化小史(1877‐82)〈田口卯吉〉二「武勇の勢ひは、歳移り星改まるに従ひ、次第に鬱積し」
④ 神楽歌の曲の分類名。神楽の終わり近く、昔は明け方に歌われた「吉々利々(ききりり)」「得銭子(とくぜにこ)」「木綿作(ゆうつくり)」など一連の歌。
※広本拾玉集(1346)一「雲の上の小忌の衣に霜さえてほしうたふなり明け方の空」
⑤ 兜(かぶと)の鉢の鉄片を継ぎ合わせるために大形に作った鋲(びょう)の頭。その大小・形状・位置により、大星・小星・糠星(ぬかぼし)・角星(かくぼし)・苛星(いらぼし)・霰星(あられぼし)・乱散星(らんさんせい)などがある。
※平家(13C前)一「雲井をてらすいなづまは、甲の星をかかやかす」
⑥ 小さく丸い形の点。標的などの中心を示したりする黒点をいう。
※丸物草鹿之記(15C後か)「草鹿の事〈略〉矢あての星の外の星、大小合て廿三也」
⑦ 囲碁で、碁盤に記された九つの小さな丸い点、およびその位置。〔和漢三才図会(1712)〕
⑧ 病気のために眼球に生じる小さく白い翳(かげり)
※俳諧・犬子集(1633)一七「白き物こそ黒くなりけれ 目のうちのほしやじねんになをる覧〈貞徳〉」
⑨ 白い斑紋。特に馬の毛並みなどにいう。→星月(ほしづき)
※わらんべ草(1660)四「星ぶわく、額に星有」
⑩ 鼈甲(べっこう)などにある斑紋。商品としての値うちをさげる斑点状のきず。
⑪ 花形。スター。その存在が華やかで光り輝く人間をたとえていう。
※虚実(1968‐69)〈中村光夫〉出会「この二年間仙台から導きの星として仰いできた詩人から」
⑫ 九星のうち、その人の生まれ年に当たっているもの。そのめぐり合わせにより、人の吉凶が支配されるという。また、その年々の吉凶。運勢。めぐりあわせ。
※御湯殿上日記‐文明一七年(1485)四月三日「御ほしとも見まいらせたきよし御申ありて」
⑬ ねらったところ。めあて。めぼし。ずぼし。
⑭ (「入り山形に星印」の略) 江戸新吉原の遊里で、上級の遊女。
※洒落本・禁現大福帳(1755)一「凡星(ホシ)の無揚代がどふ始末しても九十匁より下で上らず」
⑮ 相撲の勝敗をしるす白と黒の丸い点。転じて、勝負の成績。
※閑耳目(1908)〈渋川玄耳〉福寿の権化「実力競争の大土俵に〈略〉全勝の星(ホシ)を重ねた大力士である」
⑯ 紋所の名。円形を①にかたどり、種々に組み合わせて図案化したもの。三つ星、一文字に三つ星、剣四つ星などがある。
⑰ 犯罪の容疑者、犯人をいう、警察の隠語。〔隠語輯覧(1915)〕
※自由学校(1950)〈獅子文六〉檻の内外「五百助は、公務執行妨害の現行犯で、引致されたので、逮捕に向った一隊が狙ったホシ(犯人)の一人では、なかった」
⑱ 前科をいう盗人仲間の隠語。〔隠語全集(1952)〕
※いやな感じ(1960‐63)〈高見順〉二「あの矢萩はたしかに殺人のホシ(前科)を持った男だ」

せい【星】

[1] 〘名〙 ほし。
※羅葡日辞書(1595)「Occido〈略〉ジツゲツ xeiga(セイガ) ニシニ イル」
[2] 二十八宿の一つ。南方に位する第四宿。海蛇座のアルファ星を中心とした星宿。ほとおりぼし。
※制度通(1724)一「井鬼柳星張翼軫の七宿、その並びやう短尾の鳥のごとし」 〔呂氏春秋‐制楽〕

ほし【星】

姓氏の一つ。

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デジタル大辞泉 「星」の意味・読み・例文・類語

ほし【星】

夜空に点々と小さく光っている天体。ふつう、天体のうち、太陽地球を除いた恒星惑星彗星すいせい星団あるいは星座をいう。狭義では恒星だけをさす場合もある。「満天の」「空」
星の光っている形に似た印。星の形。「★」「☆」など。「三つのレストラン」「肩章の
小さな点。また、斑点。「目にができる」
1が運行するところから》歳月。「移る」「改める」
相撲で、勝ち負けを示す白黒の丸いしるし。「大事なを落とす」
九星のうち、その人の生まれ年にあたるもの。また、その年々の運勢・吉凶。「の巡り合わせ」
かぶとはちに打ちつけてあるびょうの頭。その大小・形・位置などにより、大星・小星・角星・苛星いらぼしなどの称がある。
碁盤の目のうちで、黒丸の打ってある所。全部で9か所。「打ち」→天元
花形。スター。はなやかな代表者。「歌謡界の」「我が社の希望の
10 紋所の名。円形を1に見立てていろいろに組み合わせたもの。三つ星や一文字に三つ星などがある。
11 花火で、光や色を発生させる火薬のかたまり。
12 大体の見当。目あて。目星。
「ふとした―が附いて」〈鏡花婦系図
13 犯人または容疑者。「を追う」
14 神楽歌の分類名。御神楽みかぐらの終わり近くにうたわれる歌。
[下接語](ぼし)相星あかあられ一番星追い星織り姫星勝ち星綺羅きらきん・銀星・黒星白星図星出来星流れ星七つ星ぬかひこ一つ星ほうき・本星・負け星三つ星夫婦めおと目星
[類語](1スター恒星惑星星座綺羅星星辰星屑星雲星団天の川銀河首星流星流れ星彗星箒星一番星一等星新星超新星変光星ブラックホール連星主星伴星遊星小惑星衛星α星/(6運命天命天運宿命宿運命数暦数命運因縁定め星回り回り合わせ巡り合わせうん運勢/(9花形名優千両役者スター立て役者大立者座頭ざがしらヒーローヒロインアイドルカリスマ一枚看板人気者売れっ子はやりっ子寵児/(13罪人犯人咎人罪人つみびと・犯罪人・犯罪者前科者お尋ね者凶状持ち縄付き下手人

せい【星】[漢字項目]

[音]セイ(漢) ショウ(シャウ)(呉) [訓]ほし
学習漢字]2年
〈セイ〉
ほし。天体。「星雲星座星辰せいしん衛星火星暁星恒星新星彗星すいせい土星流星惑星
月日の流れ。「星霜
重臣や高官。重要な人物。「巨星将星
〈ショウ〉ほし。「明星みょうじょう
〈ほし(ぼし)〉「星影星空箒星ほうきぼし
[難読]満天星どうだん海星ひとで夕星ゆうづつ

せい【星】

二十八宿の一。南方の第四宿。海蛇座のαアルファ星を中心とする七星をさす。ほとおりぼし。星宿。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「星」の意味・わかりやすい解説


ほし
star

星ということば

普通、太陽、月のように円板状に見えず、点状に輝く天体を「星」という。したがって星ということばには、広くは恒星、惑星、衛星、彗星(すいせい)、流星などを含む場合もあるが、狭義には星座をつくる恒星をさす。英語のスターstarの場合は恒星のみをさす。惑星はプラネットplanet、衛星はサテライトsatelliteということばで区別する。

 広義の星に含まれるそれぞれの天体が天文学の対象であることはいうまでもないが、自然科学的な記述はそれぞれの項目に譲り、この項では、星の民俗、文化、信仰などについて展開する。

[石田五郎・藤井 旭]

星と占い

古代の諸民族には死者の魂が天上に昇り、星になると信じていたものが多い。強者が死ぬと明るい星に、弱者が死ぬと暗い星になると考えた民族もある。

 天体の運動が人間社会に大きな影響力を与えるということは、紀元前数千年にオリエントのバビロニア王国で信じられており、日月五星(太陽、月、水星、金星、火星、木星、土星)の動き、およびそれに従うさまざまな判断が、出土した粘土板の楔形(くさびがた)文書から明らかである。バビロニアではとくに金星が観測され、その配置から兵乱、地震、洪水、暴風などの災害を予言した。また天体の動きを詳細に調べるために、とくに太陽その他の天体の通り道である黄道(こうどう)帯の天域が観察され、1年12か月の太陽の位置に対応して黄道を12の星座に分割することが行われていた。そしてこれが誕生時の天象から人の運命を占断するホロスコープ天文学の淵源(えんげん)となった。

 バビロニアの星の知識はギリシアに移植され、ギリシア神話に登場するさまざまな人物、動物、器物の名を冠した星座が48個も制定された。黄道十二宮も、おひつじ、おうし、ふたご、かに、しし、おとめ、てんびん、さそり、いて、やぎ、みずがめ、うお、と今日の形に確定された。誕生日に太陽がどの星座に位置しているかによって人の一生の運命が決まるが、さらに複雑、詳細な判断をするために、月、5惑星と12の星座との親疎関係を定め、また誕生時刻に東の地平線に昇ってくる星座を重要視するなどした。

 中国では、月の運動を重要視し、周期27日余りの動きに対応して全天を28の不等な部分に分割し、二十八宿(にじゅうはっしゅく)とよんだ。昴(ぼう)宿(プレヤデス)、畢(ひっ)宿(ヒヤデス)、参宿(オリオン座三つ星)、柳(りゅう)宿(うみへび座δ(デルタ))、心宿(さそり座アンタレス)などがこれである。二十八宿に付属して、全天1166星が宮廷内の制度に対応した名前でよばれる。天皇大帝のいる帝座、王宮である北極紫微垣(しびえん)、十二諸侯の府である太微垣(たいびえん)、行政立法府である天市垣(てんしえん)がある。細目では、天厩(てんきゅう)(うまや)、天溷(てんこん)・天廁(てんそく)(いずれも便所)、外屏(がいへい)(外の塀)、天屎(てんし)・外厨(がいちゅう)(台所)、玉井(ぎょくせい)(井戸)、酒旗(しゅき)(宴会場)などまで用意されている。これは地上界と同じ行政機構が天上界にも存在し、地上に起こることはまず天象によって示されると信じたことによる。そのため、日食・月食や客星(見慣れない星の出現)、彗星や大流星、赤気(オーロラ)などの天変は天帝の戒めとしてもれなく記録した。日食・月食の推測計算を専門に行うことは天文博士(はかせ)の重要な仕事であった。これは西洋のホロスコープ占星術に対し、東洋の天変占星術ということができる。

 以上のような天文学に関する中国の知識はそのまま日本に取り入れられた。そのため日本の多くの歴史書には天変現象の記録(とくに日食、月食、惑星の合(ごう))が多い。

[石田五郎・藤井 旭]

星の名前

ヨーロッパではギリシア神話などに由来する名前が星につけられている。また中国でも前述のような占星術も関係して星に名前がつけられている。これに対し、日本には古来星の和名がない、と信じられていた。これは日本は農業国であり、農民は激しい昼間の仕事の疲れのため、夜はあまり星を見なかった、という説による。この説に反発した学者の新村出(しんむらいずる)の論説に感じた野尻抱影(のじりほうえい)は、その九十有余歳の生涯をかけて700種の星の和名を採集した。

 日本古来の星を表す神の名としては、天津赤星(あまつあかぼし)と天津甕星(みかぼし)があり、二つともに金星を示す。

 平安時代の中期、源順(みなもとのしたごう)が著した『倭名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』のなかには「日、陽烏(やたがらす)、月、弦(ゆみはり)月、満月、暈(かさ)、星、明星(あかほし)、長庚(ゆうつづ)、牽牛(ひこぼし)、織女(たなばたつめ)、流星(よばいぼし)、彗星(ははきぼし)、昴星(すばるぼし)、天河(あまのかわ)」の15項目がある。陽烏は太陽、明星は木星、長庚は金星である。清少納言(せいしょうなごん)の『枕草子(まくらのそうし)』には「星はすばる、ひこぼし、夕づつ。よばい星少しおかし、尾だになからましかば、まいて」とある。

 すばる(おうし座のプレヤデス)はよく目につく星である。とくに農事に関係して、「すばるまんどき粉八合」のたとえがある。「まんどき」は午(うま)の刻、すなわち南中のことで、明け方にすばるが天頂高くあるときにソバの種を播(ま)くとよくとれることを教えている。すばるはその形から、六連星(むつらぼし)、羽子板星、一升(いっしょう)星、苞(つと)星などの名がある。これに対し、おうし座のヒヤデスはその形から、釣鐘(つりがね)星、あるいはすばるに続いて出てくるところから、後(あと)星の名がある。

 北斗七星(ほくとしちせい)もよく目につく星列である。位置が北に寄っているため見える時間が長く、仏教の密教では、北斗、北辰(ほくしん)を祀(まつ)る行事が盛んであった。『倭名類聚抄』には北斗の名は出てこないが、『和漢朗詠(ろうえい)集』には「北斗星前横旅雁」(劉元叔)の詩句が出てくる。北斗、七桝(ななます)星、七つの星は平安時代の和歌に現れる。四三(しそう)の星は、北斗七星をさいころの四の目と三の目とを並べた形に見立てたもので、双六(すごろく)遊びのさいころの目の特殊なよび方である三一(さんいち)、三六(さぶろく)、四一(しっち)、四三(しそう)、五一(ぐいち)、五四(ぐし)のなかからとった名であり、江戸時代の『物類称呼』や『和漢三才図会』にもこの名が出てくる。七曜の星と書いて、ヒチヨウノホシ、ナナヨノホシとよぶ地方もある。またその形から柄杓(ひしゃく)星、鍵(かぎ)星、瀬戸内地方では舵(かじ)星ともよぶ。

 北斗の柄(え)の先の星は破軍(はぐん)星とよばれ、中世の武人に好まれた。今日では芝居の舞台で、武人が手にする軍扇の模様にみられる。この星は剣先(けんさき)星ともよばれる。日周運動により一昼夜の間に十二支の各方位を一周するが、陰陽道(おんみょうどう)では、この剣先に金神(こんじん)が宿るとし、この剣先が示す方向に向かって戦えばかならず敗れ、公事(くじ)(裁判)、勝負事には不利であるという。北斗の柄の先から2番目の星は、中国では開陽とよばれているが、そのすぐそばに小さな星があり、これは輔(ほ)、あるいは輔(そえ)星とよばれる。

 七夕(たなばた)の牽牛(けんぎゅう)、織女は乞巧奠(きっこうでん)(陰暦7月7日の行事)に飾り祀られ、織女星は織女、七夕とよばれ、牽牛星は彦(ひこ)星、犬飼(いぬかい)星の名がある。『倭名類聚抄』にも以奴加比保之(いぬかいほし)と訓じている。

 北極星は、北辰、妙見(みょうけん)とよばれた。陰陽道で北極星を尊王(そんのう)に見立て、妙見菩薩(ぼさつ)としたためである。平安時代に北辰に法燈(ほうとう)を捧(ささ)げ、真言(しんごん)宗では七曜(北斗)の星祭(ほしまつり)が行われ、北辰・北斗は同時に祀られるようになり、以後、北辰と北斗とが混同されることが多い。北極星は一つ星、子(ね)の星の名もある。これは子(ね)の方角、つまり真北に見えるからである。

 北極星のそばにあるこぐま座の二つの星を遣(や)らい星、番(ばん)の星とよぶ。これは北斗七星が日周運動で北極星の周りを回って、北極星をねらっているのを、北斗七星と北極星の中間に位置する二星が、追い払う、番をしているという意味である。

 W字形のカシオペヤ座は錨(いかり)星、山形(やまがた)星、五曜の星などの名がある。オリオン座のδ(デルタ)、ε(イプシロン)、ζ(ゼータ)星は日本各地で三つ星とよばれているほか、三光(さんこう)、三丁の星、三星様(さんじょうさま)、三大星(さんだいしょう)、かせ星、稲架の間(はざのま)といった名もある。オリオン座のα(アルファ)星(ベテルギウス)、β(ベータ)星(リゲル)は赤、白の対比の美しい輝星であり、平家星、源氏星の名がある。またオリオン全体を鼓に見立てて、鼓(つづみ)星の名もある。

 ふたご座のα、β星は二つ星、門杭(かどぐい)、または蟹の目(かにのめ)、猫(ねこ)の目とよばれる。おおいぬ座α星(シリウス)は全天で第一の輝星で青星(あおぼし)、大星(おおぼし)の名がある。

 りゅうこつ座α星(カノープス)は日本では地平線すれすれにしか出ないため、珍しい星とされた。中国では南極老人星とよばれ、「老人星現れば治安く、見えざる時は兵起こる」といわれた。日本では醍醐(だいご)天皇の昌泰(しょうたい)4年(901)、その前年に老人星が見えたことから年号を延喜(えんぎ)と改めた例がある。この星は漁師の間では布良(めら)星、和尚(おしょう)星の名でよばれるが、海で遭難した人の霊であるという。兵庫県ではこの星の見える方角から、鳴門(なると)星、淡路(あわじ)星の名がある。また南の空に出るとすぐに沈んでしまう横着な星ということから横着星の名もあり、岡山県では讃岐(さぬき)の横着星、香川県では土佐の横着星と、星が見える方向の地名をつけてよぶ。

 惑星の名前では金星に関する和名が多い。明星(あかぼし)、夕星(ゆうつづ)が広く使われているが、一番星、宵(よい)の明神(みょうじん)、彼(か)は誰(た)れ星(ぼし)、また出入りが早いところから飛び上がり星、盗人(ぬしと)星などもある。明け方早く出ることから飯炊(めした)き星、炊夫(かしき)泣かせという名もある。

 流星は流れ星、奔(はし)り星、飛び星、抜け星、星の嫁入りなどがあるが、古くは婚(よば)い星(与八比保之(よばいほし))が普及している。

 以上のように星の和名は、農耕漁労の実生活に密着して、庶民の生活に根ざした名前が多く使われており、民俗学的に興味深い。しかし、古来の日本人は太陽や月ほどに星を意識していなかったのではないかと思われる。中国から渡来した星名以外には、日本国内に全般的に流布した星名が少なく、ローカル性の強いことが特徴である。したがって星に関する神話的説話も少なく、宗教的信仰は、真言密教の星祭を除いてはあまりみられない。

[石田五郎・藤井 旭]

星に関する科学的認識の変遷

古代バビロニア、古代エジプトでは星々は超越神として尊敬され、人間の運命を支配する超自然的な存在として畏怖(いふ)され、ここに占星術が誕生する基盤があると考えられている。ギリシアに入り、星座が神話によって装飾され、一般的通念として星空は神の世界とされていたが、イオニア学派に始まる自然哲学者により、星を自然界の物体として考える傾向が現れてきた。太陽は灼熱(しゃくねつ)の石であるとしたのは哲学者アナクサゴラスである。

 星の配置・明るさを記録し、星表を完成したのはアレクサンドリア時代(紀元前2世紀)の天文学者ヒッパルコスで、1000個の星、45の星座を記録する星表は、原表は失われたが、プトレマイオスの『アルマゲスト』に再録されてその面影を今日に伝えている。当時は肉眼視準の四分儀、六分儀を使用、角度で秒までの精度を保持している。

 このような星の座標の幾何学的研究は以降、イスラム教国のアラビア文化のなかで進められたが、恒星はあくまで惑星の位置を測るための目盛りにすぎず、星の本質にかかわる問いかけはなかなか現れなかった。1609年ガリレイが手製の望遠鏡で天体観測を始め、天の川が微光星の集まりであることを発見したことは、恒星の天文学上の意義が大きい。それは肉眼では見えない数多くの星が存在し、しかもそれらがはるかかなたの宇宙の深部まで広く分布していることを教えたからである。星が空間に固定したものでなく、空間を運動することを教えたのは1718年ハリーの固有運動の発見であり、これ以降、星の空間運動が社会通念となった。

 星が集まってつくる銀河系宇宙という考えは18世紀末のW・ハーシェルの大反射望遠鏡による探査によって始まり、大口径望遠鏡の出現によりその研究はいっそう進められた。星というものを正確に理解したのは1838年のベッセルの恒星の年周測定によるものである。恒星の距離が正確に理解され、太陽もこれら恒星のなかの平凡な一つにすぎないことが確定されたのである。星の進化はそのエネルギー源に関する理論的研究によって果たされた。1940年代に星の分光学的研究が進められ、星が自然界の実体として解明され、それまでの恒星に関するすべての知識が塗り変えられた、といっても過言でない。

[石田五郎・藤井 旭]

星に関する伝承と俗信

人類は古来、晴夜には天空に星を仰ぎ見てきた。それは、人間を取り巻く諸々の自然現象のなかでもとりわけ神秘に富んだものであり、人々の想像力をかき立てずにはおかなかった。今日一般に用いられている星座名の多くはギリシア神話によるものであり、それはさかのぼって古代オリエントの星辰崇拝(せいしんすうはい)につながっている。これほど体系的で、しかも多数の星についての神話をもつ文化は世界的にも少ないが、とくに顕著な星・星座については多くの民族が独自に名称をつけ、さまざまな伝承を発達させてきた。星座については、主としてその形状から神や動物や器物などに見立てるが、その見立て方は多様である。たとえば北天のとくに顕著な「北斗(ほくと)七星」(おおぐま座)を見ても、ギリシア神話では、カリストという名のニンフがゼウスの子を身ごもって月と狩りの女神の怒りに触れ、大熊(おおぐま)の姿に変えられたのだとしており、また北米先住民の一部にもこれを熊の姿に見立てるところがある。中国では「北斗」すなわち北天にかかる柄杓(ひしゃく)の形に見立て、日本の農村でもひしゃくぼし、しゃくしぼしなどという所が多い。また北欧やバビロニアではこれを神や王の乗った車に見立て、アラビアでは柩(ひつぎ)に見立てている。北斗七星は北半球の中緯度以北の地域では、1年を通して地平下に没することがないため、天につながれた大熊(ギリシア)、盗賊(キルギス)、親の仇(あだ)をねらって巡り歩いている娘たち(イラン)などに見立てられることも多い。中国では「北斗」は、いて座の「南斗」と対(つい)をなし、人間の死を扱う天の役人とされた。

 南天の顕著な星座の一つに「さそり座」があるが、この名称もさまざまで、ギリシア人がオリエント起源の伝承を受け入れてこれをサソリとしたのに対し、中国人はこれを天の青竜と見なし、日本では尾部を釣り針、頭部の三角形を駕籠(かご)かつぎや天秤(てんびん)に見立てている。ポリネシアの広い地域では尾部のS字形を「マウイの釣り針」とよんでやはり釣り針に見立てているし、タヒチでは頭部をカブトムシとしている。

 星に関する伝説としてとくに有名なものに七夕(たなばた)伝説があり、中国を中心に広く分布している。これはいうまでもなく織女(しょくじょ)星(ベガ)と牽牛(けんぎゅう)星(アルタイル)にちなむ伝説だが、日本へは奈良時代前後に入った。

 星は方角の手掛りとしても重要であり、ことに大海原や大平原を旅する航海民族や遊牧民族の間ではそうであった。たとえば航海術に長(た)け、小船での大航海移民を成し遂げたポリネシア人たちは、星についての多くの知識をもっていたことで知られる。ハワイ―タヒチ間は3000キロメートル以上もあるが、この間を彼らは北極星(ホク・パアア)を頼りとし、ヒョウタンでつくった観測器でその高さを測りながら正確に航海した。日本の漁民や船乗りにとっても、北極星はその航海の目安とされ、ねのほし、あてぼし、ひとつぼしなどとよばれた。北極星は天の北極付近にあって一晩中ほとんどその位置を変えないから、方角の目安とされているが、天文知識の発達したエジプトでは、ピラミッドをつくる際に、内室と北極星とを結ぶ線上にトンネルを掘り、これを中心線としているものがあるという。

 星は季節を知らせるものとして、農耕とも関係が深い。日本ではとくにすばる(プレヤデス星団)が播種(はしゅ)の時期を知らせる星と考えられている地域が多い。ボルネオ島のある部族では、農作業によって1年を8期に分けているが、焼畑の伐採、火入れ、播種などの時期を知らせるのは、やはりすばるの高さであるという。また、古代エジプトでは、シリウスの昇る時刻によってナイル川の増水を予知した。ナイル川の増水は氾濫(はんらん)を引き起こしたが、沃土(よくど)をももたらし、シリウスは農耕の女神、イシスの化身とも信ぜられていた。あるいは、北海道のアイヌたちは織女星を「客人姿の星」とよび、その出現で春の訪れを知り、すばるを「アルワン・ノチウ」とよんで、それが東方に昇るのを見てサケの漁期を知った。

 さらに星は吉凶の前兆ともされた。とくに古代バビロニアでは、星の位置、運行から人間の運命を予知しようとする占星術が発達し、それはヘレニズム期にギリシアへ入るとともに、インドや中国にも伝播して梵暦(ぼんれき)や易経のなかに体系化されたという。もちろん、そのように体系化された占星術のほかにも、星を前兆とみる風習は世界各地にある。彗星、日食、月食などを忌むことはその例である。中国ではさそり座のアンタレスがその赤色の光ゆえに不吉な星とされ、国に大乱の訪れる前兆として恐れられた。また、ヨーロッパではシリウスがその強烈な光ゆえに干魃(かんばつ)、熱病をもたらすものとして忌まれた。日本では、南天に低くかかるアルゴ座(りゅうこつ座)のカノープスは、めらぼし、だいなんぼしなどとよばれ、漁民から大時化(しけ)の前兆とされた。また日本では、この星やシリウスを怨霊(おんりょう)の星とみなす伝承も少なくない。一方、中国ではカノープスを南極老人星と称し、これが見える年は天下太平であるとした。日本ではこのほか、農耕との関連で、さそり座のアンタレスなどをてんびんぼしとよび、これが高く昇る年は豊作であるとした。

 このように、世界各地の星に関する伝承は無数にあるが、一般的にいうと、採集狩猟民のような単純な文化をもつ人々においては、星についてあまり体系的な神話や知識は知られていない。天体や星座の名称も、ごく顕著なもののみに限られる傾向がある。これに対し、星についての信仰や知識が体系的な発達を遂げたのは、主として高文明地域においてである。古代バビロニアの星辰崇拝と占星術はまさにその例であり、その影響を受けたギリシアでも星に関する大掛りな神話が生まれた。エジプトでは太陽暦がつくりだされ、さらにそれはシリウスの観察によって精緻(せいち)な暦法に発展した。新大陸でも、マヤやインカでは高度な天文知識、暦法、占星術が行われた。日本へも中国経由で体系化された神話や知識が入ったが、日本の星に関する伝承は、農漁民の生活感に基づく素朴なものが多い。

[瀬川昌久]

神話と信仰

太陽と月以外の天体である星の信仰は、古代世界ではとくにギリシア、ローマやバビロニア、インド、中国、メキシコのマヤなどがよく知られているが、各地の先住民族でも多少は行われており、サン人(かつての俗称「ブッシュマン」)やエスキモーおよびイヌイットなどでは、星は死んだ人間の霊がなったものと信じられている。またアメリカ先住民やポリネシア人などでは、天の川、北斗七星、宵の明星(よいのみょうじょう)、明の明星(あけのみょうじょう)など、目だつ星だけが神話や俗信の対象となった。

 太陽の通路としての黄道(こうどう)を中心にいくつかの束をなしている恒星の群を星座といい、中国では宿(しゅく)とよぶが、ギリシア神話のおおぐま座・こぐま座などの話で知られるように、これをいろいろな神や英雄、動物などの姿に結び付けて神話や俗信を語ったりする風習は、もともとはバビロニアの占星術が源泉となっている。占星術は、恒星とは動き方の違う5惑星(火、水、木、金、土星)や彗星(すいせい)、日月などの色や動き、またそれらと恒星の座との関係が帝王や個人の運命、さらには国家や社会の運勢にまで影響するという観想から生まれた卜占(ぼくせん)法であり、この発達とともに天文観測の技術や天文台、そして後の天文学が生まれた。バビロニア、中国、朝鮮の新羅(しらぎ)、マヤなどでは、天文台とともに占星台も設けられていた。バビロニアの12の星座(十二宮)や中国の二十八宿の星は、占星術と結び付いて尊崇されていた。日本では、星辰信仰は奈良時代以前から陰陽道、宿曜道(すくようどう)などを通じて盛んとなり、とくに北斗七星は寿命をつかさどる神として、北辰とか妙見とかよばれて尊崇されている。朝鮮でも北斗は古くから寿命の神とされ、七星堂、七星岩などの聖壇で安産祈願などに信仰されている。

[松前 健]

『野尻抱影著『星の神話・伝説集成』(1969・恒星社厚生閣)』『吉田光邦著『星の宗教』(1970・淡交社)』『原恵著『星座の文化史』(1982・玉川大学出版部)』『大崎正次著『中国の星座の歴史』(1987・雄山閣出版)』『斉藤国治著『古天文学の道――歴史の中の天文現象』(1990・原書房)』『青木信仰著『人間と宇宙――天文学小史 地球を考える』(1994・日本基督教団出版局)』『ロバート・ボーヴァル、エイドリアン・ギルバート著、近藤隆文訳『オリオン・ミステリー――大ピラミッドと星信仰の謎』(1995・日本放送出版協会)』『斉藤国治著『宇宙からのメッセージ――歴史の中の天文こぼれ話』(1995・雄山閣出版)』『榎本出雲・近江雅和著『21世紀の古代史 消された星信仰――縄文文化と古代文明の流れ』(1996・彩流社)』『堀田総八郎著『縄文の星と祀り』(1997・中央アート出版社)』『アンソニー・アヴェニ著、宇佐和通訳『神々への階――超古代天文観測の謎』(1999・日本文芸社)』『長島晶裕他著『星空の神々――全天88星座の神話・伝承』(1999・新紀元社)』『前川光著『星座の秘密――星と人とのかかわり』(2000・恒星社厚生閣)』『坂上務著『暦と星座のはじまり』(2001・河出書房新社)』『北尾浩一著『星と生きる――天文民俗学の試み』(2001・ウインかもがわ)』『野尻抱影著『星の民俗学』(講談社学術文庫)』『野尻抱影著『星と伝説』(中公文庫)』『矢島文夫著『占星術の起源』(ちくま学芸文庫)』

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改訂新版 世界大百科事典 「星」の意味・わかりやすい解説

星 (ほし)

星ということばは,広くは太陽と月を除く天体すなわち恒星,惑星,すい星,星団あるいは星座を指し,狭くは恒星だけを指す(ただし太陽と月も場合によっては星と呼ぶ)。

 原始時代の人類にとっては,彼らがもっとも畏怖(いふ)の目で仰いだ太陽と月とが,偉大な精であることはもちろん,空の無数の目のようにきらめく星もみな精であり,ときには神でもあった。バビロニアの楔形文字の〈神〉が星の形であるのもこのことを示している。また星の青い光から,これを死者の魂が化したものと信じている民族もすこぶる多い。たとえばオーストラリアのアボリジニーは,強者が死ぬと大きな星になり,弱者が死ぬと小さい星になるという。エスキモーは,ある星は先祖の生まれかわり,ある星は魚や獣の生まれかわりと区別しているという。またアフリカのサンは,星はいちどは地上に生まれた人間や,ライオンやウミガメなどが,空に上って生まれかわったものと信じているという。

 ときおり起こる日食,月食は未開民族を恐怖させ,これが戦争,疫病,飢饉(ききん)などの前兆であると信じられた。また不意に出現するすい星に対しても同じ迷信をいだいた。それと同時に星の中でも顕著な五惑星(水,金,火,木,土)が,ときに東しときに西して空をさまよう現象も,それらに宿る神々ないし祖先の霊が吉凶を黙示しているものと信じて,やがて占星術を生むようになった。そしてこのために空を細かく観察して,太陽,月,五惑星のとおり道(黄道)にあたる星々を,バビロニアでは太陽の1ヵ年の旅から十二宮に区分し(黄道十二宮),他の星々をも幾群にも区分して,それらに神々,神話人物や動物などの形を空想した名をつけた。これが今日の星座の原型である。また中国でも,黄道を月の毎月の旅から二十八宿に区分し,全天の星をそれぞれに付属させて,皇帝,后妃(こうき)を初め多く宮廷関係の名をつけた。こうして五惑星がめぐっていく星座,星宿を観察し,またその通路にあたらぬ部分でもそこの星々の光,またたきなどを見て,国家,国君および個人の運命をも占った。西洋の天文学はやがて占星術を母胎として生まれたが,中国では久しく迷信から脱しきれず,日本へもこれが陰陽道として伝わり,天文学の発達を妨げた。しかし一方では,星の推移を自然暦に用い,進んで農耕の季節を知るうえにも利用し,また航海者や旅行者が星を方角の判断に用いたことなどが,東西ともに天文知識を助長したことはいうまでもない。

 ところで上代の日本人は星をどう見ていたであろうか。《古事記》と《日本書紀》には,星に関する記事はきわめて乏しい。天照大神と月読(つくよみ)尊が太陽と月の神格化であることは疑いがない。星の記事では,《日本書紀》神代下のはじめに,葦原中国に〈多(さわ)に蛍火の光(かがや)く神および蠅声(さばえな)す邪神(あしきかみ)あり,また草木ことごとく能く言語(ものいう)ことあり〉とあって,〈蛍火の光く神〉が星を意味することは多くの学者が一致している。草木がみな物いうとあるのも,万物に精霊があると信じたもので,星をも同じ信仰により悪霊の宿るものと見ていたのである。ついで同巻に〈天津甕星(あまつみかぼし)〉が現れている。記紀を通ずる唯一の星神の名で,神々に抵抗した後に誅せられたとある。これが何の星で,この神話が何を意味するかはわからないが,記紀編集の目的のため捨てられたと思われる自然神話の中で,わずかに残存する星の貴重な文献であるに違いない。

 日本言語学の祖といわれたチェンバレンは,日本人は農業国民で昼のつかれで早寝をしたため,星にはあまり関心をもっていなかったのだろうと書いている。これは星の名の伝わるものが少ないためのことばだが,しかし,源順(みなもとのしたごう)が《和名抄》に初めてあげた星名〈すばる〉が,記紀に盛んに出てくる上代人の玉飾〈御統(みすまる)〉から出たことは,国学者の間で一致している説である。この星団が古来諸民族から農耕のしるべとして仰がれ,現在でも南方諸島で重要視されている事実から考えて,すでに農業時代にはいっていた日本の上代人もその例外でなく,すばるの美称をつけたのもそのために違いない。かつこれから類推して,さらに著しい北斗七星やオリオンなども農村,漁村から親しまれて,しかるべき和名があったと思われる。しかし文字の行われることが少なかった時代には,もっぱら中国から伝わった名が記載され,平安時代にはいってようやく和名を散見するようになった。江戸時代からは方言集,随筆などにその数を増して,それに現在,諸地方に残るものをあわせると600~700に上る。なお星の和名の特色は,星を結んだ形を農具,漁具その他の民具に見たててその名で呼んでいることで,西洋伝来の星座が神人や動物の形と見ているのに比べ,素朴な国民性が現れている。また中国,とくに南方民族の見かたに相通ずるものが多いことは注意に価する。

星のコラム・用語解説

【星の和名】

農村や漁村では季節,時刻,方角などを知るのに用いた星(星座)を役星(やくぼし),当て星(あてぼし)として重要視し,いろいろな名をつけた。その中の代表的なものを五十音順に示した。なお,〈明の明星〉〈すばる(昴)〉〈北斗七星〉〈宵の明星〉はそれぞれの項目を参照されたい。
天津赤星(あまつあかぼし)
《旧事紀》の天神本紀にある。饒速日(にぎはやひ)尊に従って天降り供奉したとあり,尾張国神名帳に赤星大明神というのがこれらしい。新村出は,これをあかぼし(明星)かと解しているが,赤星の字義からはさそり座のα(和名あかぼし)とも判ぜられる。
天津甕星(あまつみかぼし)
《旧事紀》の天神本紀にある星神の名で,一名天香々背男(あめのかかせお)とある。高天原(たかまがはら)の悪神で,武甕槌(たけみかづち),経津主(ふつぬし)の2神が葦原中国(あしはらのなかつくに)を平定したのちも,なお天上にあって服従しなかったので,倭文(しつり)神と建葉槌(たけはづち)命をつかわしてはじめて征服したとある。《日本書紀私抄》には,建御名方(たけみなかた)神と同一視している。《古史伝》の平田篤胤はこれを太白,長庚(宵の明星)の神話化と解釈しているが,おそらくそうであろう。
いかり星
カシオペヤ座のε,δ,γ,α,βの5星が描くWの形を,和船のいかりの形と見た代表的和名。この称は瀬戸内海沿岸から東北地方にも及んで用いられている。
兄妹星(おとどいぼし)
さそり座のS字形の尾端にならぶλ,υ2星の和名。岡山・山口・広島・島根県などで呼ばれ,〈おとでいぼし〉ともなまっている。山うばに追われた幼い兄妹が天から下がってきた金の綱にすがって昇天し,この2星となったと伝えられ,〈天道さまかねン綱〉型の民話の一例である。ポリネシア民族にも類似の伝説がある。
親荷星(おやにないぼし)
オリオン座の三つ星の中央のεを孝行むすこ,左右のδ,ζをむすこのになう両親とみなした和名。江戸時代安永期(1772-81)の《物類称呼》にも関西の方言とあり,今日でも兵庫,三重,静岡,長野などの地方で呼ばれ,ときに〈親かつぎ星〉〈親孝行星〉ともいわれる。しかし,三つ星と形の類似するさそり座のτ,α,σ3星,およびわし座のβ,α,γ3星をこの名で呼ぶ地方も相当多く,江戸期の《節用集》にも散見する。なお,ビルマ(現,ミャンマー)でも三つ星を盲の両親をかごでになうむすこと見,商莫迦菩薩(さまかぼさつ)の孝養伝説を伴っていることは,和名と関係があるかもしれない。
かごかつぎ星
さそり座のα星(アンタレス)が,左右の3等星,τ,σとともに描く山形の和名。中央の星を農夫,漁夫,ときに商人と見,左右の星をてんびん棒や〈おおこ〉でかつぐ荷かごと見る。島根・愛知・静岡地方の〈かごかつぎ〉〈かごかたぎ〉〈かごにない〉をはじめ,広島,山口,高知,静岡の〈あきんど星〉〈てんびんぼう星〉,大分,宮崎の〈おおこ星〉などの呼名がある。また,荷の種類によって,熊本,長崎,鹿児島の〈アワにない〉〈イネにない〉,愛媛,岡山,徳島の〈サバ売星〉〈サバかたぎ〉,和歌山の一部の〈塩売星〉などがある。同時に,3星の描く山形の角度が小さく,左右の星がたれさがって見えれば,かごの荷が重く,その年は豊作で売値は安く,角度が大きく見える年はこの反対と考えられている。また,山形の傾きが左へか右へかによって,甲乙の荷のいずれが豊作であるかを占う。広島地方には〈南がしわれば漁師よろし,北がしわれば農夫よろし〉ということわざがある。なお豊年には,農夫は荷の重さで顔が赤くなる。それで赤色のアンタレスを,岐阜,佐賀その他では〈豊年星〉という。以上,〈かごかつぎ〉と同じ見方と占いは台湾の嘉義,斗南にもあり,〈担稲夫〉と呼んでいることは注意すべきである。
舵星
北斗七星の形を和船のかじに見た呼名。広島・岡山・愛媛・福井・佐渡・静岡地方など分布が広い。若狭海岸のナンボヤ節には,〈取ろう取ろうのかじぼし回る,取らせまいとのかじぼしが〉という歌があり,かじぼしの周極運動を北極星を取ろうとしているのになぞらえている。なお,能登半島の漁夫は北斗と南斗とを〈北の大かじ〉〈南の小かじ〉といい分けていたという。
桛星(かせぼし)
オリオンの〈三つ星〉の一文字を,機織用の〈かせ〉と見た和名。高知,香川,広島,愛媛などに広く伝わっている。南伊予地方では児童の遊戯に〈カセボッサンのようにならべ〉などといった。なお石鎚山の里謡に〈スマル,カセボシ入るく(処)はあるがわしらシソボシ(四三星=北斗)入るくない〉というのがある。
犂星(からすきぼし)
オリオンの〈三つ星〉の異名。1597年(慶長2)の《易林本節用集》に〈参犂星〉とあるのをはじめ江戸時代の《節用集》や字引の多くに参星(みつぼし)の和名として載せてある。しかし正しいからすきの見方は,〈三つ星〉と〈小三つ星〉とを結んだL字形で,和歌山,群馬でもそう見ている。今日でも広くいわれ,なまって〈からつきぼし〉という地方もある。
北の一つ星
日本で全国的にいわれる北極星の和名。略して〈一つ星〉ともいう。文献では,伊予の水軍,能島家伝の《日和見様》に,〈四三の星,一つ星などとて用るは船中にて方角を知らん為也〉とあるのが古い。また,〈北の星〉〈北の明星〉と呼んでいる地方もある。なお,これに対して,みなみのうお座の1等星フォーマルハウト(北落師門)を〈南の一つ星〉と呼ぶ地方もある。
くさ星
すばるの異名。〈おくさぼし〉ともいい,東北地方で広くいわれる。北原白秋の童謡には〈草星〉の字をあてているが,東北地方でも意味は不明である。
九曜の星
すばるの異名。静岡,千葉,茨城から東北へかけていわれる。江戸時代の方言集《物類称呼》に〈昴(ぼう)-東国にて九ようの星という〉とある。仏教の信仰から七曜を北斗七星にあて,これに対して九曜を漫然とすばる星(数は6)にあてたものらしい。なおカシオペヤの5星を〈五曜〉と呼ぶ地方でも,多くはなまって〈九曜〉としている。
鞍掛星(くらかけぼし)
おおいぬ座の尾の部分に,η,δ,ε3個の2等星がつくる直角を,馬の鞍掛けの形と見た名称。もっぱら静岡地方でいわれているが,和名の定称となっている。一般には〈さんかく(ぼし)〉といわれ,農作の季節を判断するのに用いられ,また今日ではこの直角からりゅうこつ座の1等星カノープス(南極老人星)を発見する方法が広く知られている。
小三つ星(こみつぼし)
オリオンの〈三つ星〉の右下にあって,斜め一文字をつくるζ,θ,ιの3星の和名。この呼方はほとんど日本全国に分布している。〈からすきぼし〉〈さかますぼし〉なども,〈三つ星〉と〈小三つ星〉とを結んだ形の名である。
西郷星
1877年,西南の役で全国の人心が動揺していたとき,火星が地球に近づいてきて,大接近の9月3日には距離5630万km,光度-2.5等あまりとなった。世間ではこれを西郷星と呼び,その赤い光の中に陸軍大将の正装の西郷隆盛が見えるといって騒いだ。同時に火星の近くに位置した土星を,隆盛の参謀,桐野利秋の名により〈桐野星〉と呼んだ。そして西郷星を描いた錦絵が幾種も売り出されて人気を博したことは,大森貝塚の発見で有名な生物学者E.S.モースの当時の日記にも書かれている。
四三の星(しそうのほし)
北斗七星の和名の一つ。四三は,すごろく盤で二つの〈さい〉を振って勝負する21の目の,4と3と出たときの呼称で,これを北斗のますの4星と,柄の3星との布列に名づけたもの。〈しそうの星〉〈しその星〉〈ちその星〉などの名で,関西,中国および関東地方でいわれてきた。文献では,伊予の水軍能島家伝の《日和見様》の中に,〈四三の星,一つ星などとて用るは,船中にて方角を知らん為也〉とあり,また,熊野那智神社に伝わる田楽舞の田植歌に〈青い雲がさし出たしその星かな〉とあり,さらに伊勢神楽御巫本に,〈秋のゆふべは常よりも旅のそらこそやさしけれ,ほうわうしそうの夜のほし,我等と共にぞ夜をあかさん〉とあるのなども,これが北斗の和名として古いものであることを思わせる。
七曜の星
北斗七星の和名の一つ。七曜は,日,月と水星,金星,火星,木星,土星との総称であるが,転じて北斗七星の名となった。《物類称呼》の〈北斗〉にも,〈東国にて七曜のほしと称す〉とある。茨城・群馬・山形・岩手・長野・静岡地方などでいわれ,〈ひちよ(う)の星〉〈ひちょうぼし〉などともいう。これに〈七夜(しちよ)の星〉の字をあて,また〈ななよの星〉と呼んでいる地方もあるが,すべて〈七曜〉から出たものらしい。
相撲取星
さそり座の大S字形にあるμは,二つの3等星が相接して,交互にきらめいている。これを星が相撲を取っていると見た名で,島根・愛媛・山口・和歌山・静岡・群馬地方などでいう。なお,静岡県榛原郡で,これを〈おながわぼし〉というのも,第5代横綱の小野川喜三郎(1758-1806)によったものであるという。
添星(そえぼし)
北斗七星の柄の第2星ζについている5等星gの和名。漢名の輔星(ほせい)として日本でも有名であったが,後陽成天皇の《御宸翰(しんかん)星の図》(宮内庁書陵部蔵)に〈ソヘボシ〉とかたかなで記入されており,以下江戸期の《節用集》にも輔星の和名となっている。しかし,この星に限らず,目だった星に付属する小さい星を漫然と呼んでもいたらしい。また広島県吉浦の漁夫は,この星を〈じゅみょうぼし(寿命星)〉といい,正月にこれが見えないと寿命がないという。地方によって〈四十ぐれ〉といい,40歳を過ぎて視力が衰えると見えないという星も,主としてこれらしい。
苞星(つとぼし)
すばるをわらづとの形と見たてたもので,静岡・千葉地方でいい,長野でも〈つとっこぼし〉という。しかし,和歌山県日高郡では,おうし座のV字形の方言で,また浜松地方では,いるか座のひし形をいう。岩手地方の〈もっこぼし〉も,おうし座のもの。1674年(延宝2)の句集に,〈草むらに入るやつとぼし飛蛍〉とあるのは,季節上,いるか座を指すものと思われる。
釣鐘星(つりがねぼし)
おうし座のV字形を釣鐘の形と見たもので,長野県諏訪,静岡県,千葉県印旛郡,東京都奥多摩,群馬県沼田,神奈川県久里浜,綾部市および愛媛地方にもある方言。同じ見方には,徳島の〈かねつきぼし〉,綾部の〈かねぼし〉,佐渡の〈はんしょのつっからかし(ころがした半鐘)〉などがある。
夏日星(なつひぼし)
火星の和名のもっとも古いものらしい。かつ聖徳太子の説話を伴って,《扶桑略記(ふそうりやつき)》,《聖徳太子伝暦》に〈熒惑(けいこく)星〉の名で載っている。熒惑は火星の一名である。鎌倉時代の《梁塵秘抄口伝集》巻一には〈用明天皇の御時〉として土師連(はじのむらじ)のことを記し,〈聖徳太子の転に見えたり。今様と申事のおこり〉とある。この今様は物語とともに《夫木和歌抄》巻十九に載っており,《和漢三才図会》にも〈(八島)我宿の甍(いらか)に語る声はたそ,たしかになのれよもの草とも。(星返歌)あまの原南にすめる夏日星。豊聡(とよさと)にとへよもの草とも〉とある。〈南にすめる夏日星〉は,史記や漢書の〈熒惑南方火,主夏〉からきているに違いない。天明年間の《雑字類編》にも〈熒惑(なつひぼし)〉とあるが,しかしこの和名は民間では行われなかった。
七つ星
北斗七星の和名。古い歌集には〈七つの星〉として,〈北にすむ七つの星ぞくるとあくと,めかれず君を猶守るなる〉(宗良親王,寄星祝)などと歌われ,江戸の《類聚名物考》にも〈北斗星ななつのほし〉とある。ななつぼしはひろくいわれて,方言としては奄美諸島の〈ななつぶし〉,八重山列島の〈ななちんぶし〉などとなっている。しかし,これをすばるの異名とする地方は,青森,静岡,広島,大分,福岡,鹿児島などに見いだされる。肉眼では6星だが,7というめでたい数でいったのであろう。これは中国やそのほか外国でもめずらしくない。
七夜の星
北斗七星の異名。たとえば,〈星になりたや七夜の星に,橋は紅葉の色深く,懸けて願ひの糸の縁〉(《松の葉》)。愛知地方では,〈おななよさま〉と呼ぶ。おそらく〈七曜〉を〈ななよ〉といったもので,里謡にもたとえば〈あら面白の天竺(てんじく)の七曜(ななよ)の星は曇れども,我打つ神楽曇らざりけり〉(秋田県平鹿郡神楽歌)のように〈七曜〉の字をあてている。
南斗
いて座に属する6星が小さい斗(ひしやく)状を描くもので,中国で北斗七星に対し南斗六星と呼ぶが,日本でもよく知られていた。ただし文安期の《下学集》に,〈南斗(なんしゆ),北斗〉とあり,その注に〈斗字,南北によって音異なる〉とあるのをはじめ,〈なんしゅ〉と呼び習わしていたらしい。元文期の《塵袋》に南斗の斗は〈枓〉の略字で〈しゅ〉と読み,〈ひさご(ひしゃく)〉の意味であろうかと注がある。
子の星(ねのほし)
北極星の和名。子は十二支でいう正北で,農村漁村では〈北のひとつ星〉とともにもっぱらこの名で呼んだ。江戸時代の辞書類も多くこれを載せて,《雑事類集》には〈北極(ねのほし)〉とある。また〈子の方の星〉ともいい,たとえば福井県坂井郡三国町に残るナンボヤ節では,〈あだに思うなやニノホノホシを,殿が見あてに船はせる〉となまっている。奄美諸島や沖縄諸島でも〈ネノフシ〉とともに〈ネヌホーブシ〉〈ニヌファヌフシ〉〈ニーヌパプシ〉などと呼んでいる。
破軍星(はぐんせい)
北斗七星の柄先の星である漢名揺光の一名。日本でも古くからいわれて,一に〈けんさきぼし(剣先星)〉〈けんさきのほし〉という。剣先は12ヵ月で十二支の方角を指す。そして陰陽道では金神(こんじん)がここに位すると考え,剣先に向かって戦えば必ず敗れ,公事や勝負事に不利であるとした。しかし,それ以上にこの星は海上の方角見に重要で,その方法を〈破軍を操る〉といい,たとえば伊予の水軍の能島家伝には〈破軍北辰の事〉に〈破軍くり様〉を示している。地方により,北斗七星を〈けんぼし〉〈ひちけんぼし〉〈四三(しそう)のけん〉などと呼んでいる。
番の星
江戸の方言集《物類称呼》には,北辰(ほくしん)(北極星)の項に,〈上総の国にてひとつのほし,又番の星と称す〉とある。しかし今日でも静岡地方では,こぐま座のβ,γの2星を〈番の星〉と呼び,〈四三(しそう)の星〉の北斗七星が〈ひとつぼし〉の北極星をめぐって取って食おうとするのを,これら2星が内がわをめぐって番をしていると見ている。
菱星
いるか座の4星が小さい菱形をつくっているのにつけた名。江戸の国学者畑維竜は随筆《四方の硯(よものすずり)》のなかに,大和の農民が注意した星の一つとしてあげている。現在でも奈良,和歌山,広島,大分,熊本の地方でいわれ奈良県宇陀のように〈へしぼし〉となまっている例もある。なお熊本地方ではこれを〈ひぼし(梭星)〉といい,織女がなまけものの夫牽牛に投げつけた梭が星になったと伝えている。
二つ星
ふたご座のα,β2星が並んで輝いているのを,静岡,三重,広島,愛媛,香川,岡山などの地方で〈ふたつぼし〉という。しかし,静岡,岡山でも,こぐま座のβ,γの2星(遣(や)らい星)や,さそり座の尾のλ,εの2星をこの名で呼び,ときには〈二のほし〉〈二ぼし〉という地方もある。なお,俳句でいう〈ふたつぼし〉は七夕の女夫星である。
船星
北斗七星が北の中空に横たわるころ,頭の2星α,βを除く5星を和船の形と見たもので,島根・広島・大分地方でいい,京都府の天橋立付近では〈ふながたぼし〉という。沖縄地方でも〈ふにぶし〉〈ふなーぶし〉〈うふなぶし〉などとなまって,宮良当壮著《八重山古謡》第2集には〈うふなぶし(星)ゆんた〉が掲げられている。なおこれと同じ見方は南方にもあって,たとえば,マレー地方のビンタン・ジョン(船星の意),バリ島のサラット・ジョン(船星の意),マーシャル諸島のワ・エオ・アン・ジュムール(ジュムール神の船の意)など。ただしこれらは北斗の頭の2星を船首飾と見るのがふつうらしい。そして,この見方がまだ西洋には発見されないことは注意すべきであろう。
竈星(へつついぼし)
かんむり座7星の半円形をかまどの形と見た和名。1674年(延宝2)の俳書に,熱田の立心の句〈露けむり火ともす菊やへつい星〉があり,今も兵庫地方で〈へっついぼし〉と呼んでいる。また国学者畑維竜の随筆《四方の硯》には大和の方言〈くどぼし〉があり,これもその地方にに残っている。同じく江戸の尾張方言集には〈おかまぼし〉とあり,浜名地方では〈かまのくち〉と呼んでいる。そのほか,島根地方でいう〈長者のかまど〉,岡山地方の〈鬼のかま〉,兵庫明石付近の〈地獄のかまど〉などみな同じ見方である。
北辰(ほくしん)
中国最古の辞書《爾雅》に〈北極これを北辰という〉とあるように,北極星をいう。仏教では北辰尊星,一に妙見菩薩で,三井寺の開山智証大師は〈星宿の王は尊星王なり,尊星王をもって妙見と名づく〉と記している。これをまつって厄難消除を祈るのを尊星供という。宮中では3月3日と9月3日の両夜に天皇みずから北辰に灯を供え,御灯といった。白河天皇の北辰の御祭文は有名である。民間でも春秋二度に北辰に灯を供えて福を祈り,男女歌舞を催したが,やがて風俗を乱すようになったので,796年(延暦15)3月には〈北辰を祭るを禁ず〉との詔が下った。その後もしばしば禁止または停止となり,宮中の御灯の行事も衰えたが,日蓮宗が興るにつれ北辰信仰が再び盛んとなり,一時は諸国に妙見堂があった。江戸時代にも冬至には北辰をまつる風があった。しかし北辰は古くから仏家も北斗七星と混同していて,江戸の学者の間でも問題となった。たとえば《物類称呼》には〈北辰 ほくしん北極と称するも同じ,うごかぬ星なり〉として,これに対し北斗を〈うごく星なり〉と注している。今日でも群馬・静岡地方などでは,〈ほくしんさま〉〈ほくしんみょうけん〉の名で信仰を伝えている。
三つ星
オリオン座の中軸をなす3星(δ,ε,ζ)の和名。安永年間(1772-81)の方言集《物類称呼》には,〈参(しん)からすきぼしと云,二十八宿の内也中星横につらなりたる三の星を,江戸にて三光といひ,又三つ星といふ〉とある。その出入と位置とにより,昔から漁労や農作のしるべとして親しまれ,〈みつぼし〉とともに,静岡地方の〈みつなみ〉〈みつなりさま〉〈みつがみさま〉,岩手の〈みづらぼし〉,福島の〈みつならびぼし〉,長野の〈みつれんさま〉などがある。また〈三〉を名のるものでは,〈さんこう(三光)〉は広くいわれ,埼玉,茨城の〈さんちょうのほし〉,千葉の〈さんちょうれん〉,群馬,埼玉,栃木の〈さんじょうさま(三星様)〉,岩手,福島,宮城の〈さんだいしょう(三大星)〉,長さでいうものは千葉の〈しゃくごぼし(尺五星)〉〈さんぎぼし(算木星)〉,香川,愛媛,高知などの〈かせぼし(桛星)〉,青森から北海道へかけての〈たけのふし(竹の節)〉,特殊な見方の〈おやかつぎぼし(親担ぎ星)〉,その他おびただしい数にのぼる。
箕星(みぼし)
いて座の東半分で,中国名〈南斗六星〉の頭部の4星ζ,τ,σ,φの描く四辺形をみのの形と見た和名。島根,広島,香川,岡山,奈良,和歌山,静岡などでいわれ,みのの材料によって広島県安佐の〈ふじみぼし(藤箕星)〉,和歌山県日高の〈たかみぼし(竹箕星)〉,奈良県宇陀の〈たろみぼし(竹箕星?)〉,福岡の〈てみぼし(手箕星?)〉などがある。しかし,以上の中には北斗七星のますと見られるものもあり,熊本ではすばる,群馬ではヒヤデス星団のV字形を〈みぼし〉と呼んでいる。また山口県吉敷では,いて座のものを〈長崎箕〉,みずがめ座の4星を〈東京箕〉と呼んで南と東の方向をいい分けており,同じ理由で,香川県櫃石(ひついし)では七夕ころのへびつかい座を〈讃岐の箕〉,ケフェウス座を〈備前の箕〉と呼んでいるという。
六連星(むつらぼし)
すばるの異名。6星を連ねている意味。《物類称呼》の〈すばる〉の項に,〈東国にて九ようの星と云,江戸にては,むつら星と云〉とあるが,分布ははなはだ広く,静岡,長野から東北へかけて聞かれ,いろいろな名称で呼ばれ,茨城,千葉の〈むづら〉,群馬の〈むつらごさま〉,静岡の〈むつがみさま・むつなりさま・むつりがい〉,越後地方の〈もつらさま〉,長野の〈もつれんさま〉などが聞かれる。また群馬県利根地方では〈むつぼし・むつれんじゅ(六連珠)〉の名がある。しかし注意すべきは,オリオンの〈三つ星〉と〈小三つ星〉とを合わせて〈むつら・むつぼし〉ということで,岩手,静岡,千葉などの地方で聞かれて,岩手ではこれにつづくシリウス星を〈むづらのあとぼし〉と呼んでいる。
群星(むれぼし)
すばるの異名。天明年間(1781-89)の《雑字類編》に〈昴星(むらぼし)〉とある。この転じてなまったものは沖縄諸島で〈むりぶし〉〈むりかぶし〉〈むにぶし〉〈ぶりぼし〉〈ぼれぼし〉などとなり,有名な八重山古謡の〈むりかぷしゆんた〉も群星の歌である。これらもすばるが南島で農作上重要な星の群であるのによる。
布良星(めらぼし)
りゅうこつ座の1等星カノープス,中国名〈老人星〉の和名。鹿島灘,東京湾から遠州灘へかけての漁夫の間で広くいわれる。布良は房州南端の漁港で,初めて同地の漁夫が縄船で沖漁に出て水死した亡魂がこの星となったという口碑から生じた名である。白浜では〈めらで(布良沖)〉と呼んでいる。事実は,旧暦2月の南西風の吹き荒れるころ,この星が沖に低く現れてほどなく沈むことを海難と結びつけたものである。なお太田全斎の《俚言集覧》には〈西心星〉の項に,〈房州布良にて見ゆる星,其(その)土俗に云ふ,西心と云ふ道心化して星となりしといへり〉とあるが,西心は,寛文年間に布良から約1里の横渚(よこすか)村で入定した西春という僧のことで,同地にその墓があり,布良星をも〈にゅうじょうぼし(入定星)〉と呼んでいる。そのほか,茨城地方で同じ星を〈上総の和尚星〉といい,殺された旅僧が化したもので,同じ季節に荒天を前ぶれすると伝えているのも,起源は一つのものであるらしい。
山形星
カシオペヤ座の5星が,北の空高くM形を描くものをいう。主として愛媛・岐阜地方でいう名。これは二つの山形であるが,一つの山形のヒヤデス星団〈つりがねぼし〉をこの名で呼ぶ地方もある。
遣らい星(やらいぼし)
こぐま座β,γの和名。〈やらい〉は〈鬼やらい〉などに通じて,追いはらう意味らしい。この2星が北極星の近くをめぐり,その外をめぐる北斗七星を隔てている印象から生まれた名で,たとえば広島地方では,〈七つ星(北斗七星)が北の子の星(北極星)を攻めようとするのを,やらい星が防いでいる〉という。岩手,静岡,三重,福井,岡山,高知,広島その他分布が広く,福井地方の〈やろぼし〉,東北地方の〈じゃろっぼし〉,鹿児島地方の〈やえぼし〉もこのなまりらしい。同じ意味で〈ばんのほし(番の星)〉という地方もある。
四つ星
主として,春のからす座の四辺形をいい,群馬,静岡,奈良,徳島,広島の各地方で用いられる。静岡地方では単に〈よつ〉ともいい,呉地方では〈よつばい〉という。しかしペガスス座の大方形をこの名で呼ぶ地方もあるらしく,埼玉地方ではこれを〈よつまぼし〉といっている。
老人星(ろうじんせい)
りゅうこつ座のα星,カノープスの漢名。《史記》の天官書に〈狼(シリウス)の比地に大星あり,南極老人という。老人現るれば治安く,見えざれば兵起る〉とあり,日本にも古く伝わって,陰陽寮の星祭に老人星祭が行われ,《年代記》にも〈老人星見(あらわる)〉の文字を散見する。醍醐天皇の昌泰4年(901)が延喜と改元されたのは,辛酉(しんゆう)という大凶の干支にあたっていたのと,前年秋に老人星が見えたためだという。一名を南極寿星ともいった。
脇星(わきぼし)
オリオン座のα星とβ星が〈三つ星〉をはさむため〈わきぼし〉と呼ばれる。福井の方言であるが,滋賀県長浜市の旧虎姫町では,色によって〈金わき,銀わき〉といい,京都府の旧竹野郡では,〈かなつき(三つ星)の両わきだて〉という。同じ意味で,能登,壱岐では〈からつきのあいて〉である。なお岩手地方に〈むずらばさみ〉の名がある。
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恒星 →彗(すい)星 →星雲 →星座 →星団 →惑星
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星や星座の起源に関しては,多くの神話群の中でも,ギリシア神話がもっとも豊富な内容を伝えている。ギリシア神話によれば,星は曙の女神エオスがアストライオスAstraiosという神と結婚して生んだ子どもたちだという。ヒヤデス星団となったヒュアデス,すばるとなったプレイアデス,オリオン座にその名を残すオリオンなど,星座の起源譚も多い。しかし星座の起源についての説明は,ギリシア神話のなかでもつねに一定しているわけではない。たとえばおうし座は一説によれば,フェニキアの王女エウロペをゼウスの愛人にするために背に乗せて海を渡り,クレタ島まで運んだ牛が天にあげられたものだが,別の伝承によれば,クレタ王ミノスの祈りにこたえて,海神ポセイドンが海から出現させた牛である。ミノスの妃パシファエがこの牛に恋し,名工ダイダロスにつくらせた本物そっくりの牝牛の模型の中に入って,その牛の種を受けて半牛半人の怪物ミノタウロスを生んだという。そのあとこの牛は英雄テセウスによって殺され,星座になった。

 またギリシア神話の星座の起源譚の中には,しばしばオリエントの神話がとり入れられている。たとえばうお座の起源は,怪物の王テュフォンを恐れ,神々がそれぞれ動物に姿を変えて姿を隠したときに,美の女神アフロディテは,息子の愛の神エロスとともにユーフラテス川に飛びこみ,魚たちにかくまってもらった。そこでその魚たちが,その功績によって星にされたと物語られている。これは実は,ギリシア人によってアフロディテと同一視されたシリアの女神アタルガティスAtargatisの神話にほかならない。それによると,魚たちが星にされたのは,ユーフラテス川の中で発見した卵を岸に運び上げ,それからアタルガティスが誕生するのを助けたためであったという。

 北欧神話によれば,太古に神々の王オーディンが2人の弟ビリとベーと協力して宇宙をつくったときに,世界の南の果てにある灼熱の火焰界ムスペッルスヘイムから吹き出る火花を取って天空に置き,それぞれに場所と運行を定めてやったのが星の起源だという。

 ブラジルのボロロ族の神話では,星の起源は次のように説明されている。あるとき女たちが畑でトウモロコシを収穫し,その場で粉にひいていたところ,1人の男の子がそのトウモロコシを盗み,竹筒の中に隠しもって先に村に帰った。そして1人で留守番をしていた祖母に頼んで菓子にしてもらい,仲間の少年たちといっしょにむさぼり食った。彼らはこの悪事が露見するのを恐れて,祖母の舌と村に飼われていたコンゴウインコのうち1羽の舌を切ってしまい,他のインコはすべて放してしまったうえで,ハチドリに頼んで取りつけてもらった節のある長いつる草をよじ上って,天に逃げていった。村に帰ってきた女たちは子どもたちがいないのに気づき,祖母とコンゴウインコに尋ねても答えが得られない。そのうちにつる草を登っていく少年たちを発見し,大声で呼びかえそうとしたが少年たちは耳を貸さず,母たちは必死で彼らのあとを追って登り始めた。するとそれを見た列の最後にいた少年が,天に着いたところでつる草を切ったために,母たちは地面に墜落してつぶれ,いろいろな種類の動物になった。少年たちも罰を受け,星に変えられて,夜ごと自分たちの所為で母たちが陥った不幸な状態を眺めさせられることになった。夜空に見える星の輝きは,下界を見下ろしている彼らの目であるという。

 ガイアナ(南アメリカ)のワラウ族の神話によれば,狩りの名人があるとき人食いの女の怪物に捕まり,えじきにされかかった。しかし怪物の2人の娘が彼に恋し,命乞いをしてくれたおかげで危うく助かり,妹娘と結婚して怪物の家で暮らすことになった。ところが,いくらたくさんの魚を取ってきても,大食の化物はたちまち食い尽くしてしまうので,彼はやがて疲れ果て病気になり,同情した妻といっしょに逃げ出す決心をした。そして怪物をだましてサメ(またはワニ)に食い殺させておいて逃げていくと,そのことに気づいた姉娘が鋭い小刀をもって追ってきた。急いで妻を高い木に登らせ,自分もあとから登ったが,そこへ追い着いた姉娘によって片足を切り落とされてしまった。それでも夫婦はともかく天にたどり着き,妻はすばる星に,夫はヒヤデス星団になった。夫の切られた足は,オリオン座の三つ星になったという。
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暗い夜空にあって光り輝く星は,太陽や月と並んで,それ自体神的な存在として崇拝されるとともに,もっともポピュラーな聖性,永遠,不死,希望などの象徴となっている。世界の多くの神話において特定の星が神と結びつけられているし,英雄や聖人など神に嘉(よみ)された者が天にあげられて星となる例もまた少なくない。星を持物(アトリビュート)とする神も多く,バビロニアのイシュタル,ギリシアのアフロディテ,ローマのウェヌス(ビーナス)など,とくに金星と縁の深い女神の系列が目だつ。一般に太陽に対して,星は月とともに女性原理と高い親和性を示すようだ。

 星が人間に対して影響力をもつという占星術の信念も,星の力が神の意志として観念されていることに由来する。そこでは,あらゆる人間的事象がその支配星によって決まると考えられるから,人間の運命とはすなわち星のめぐりにほかならない。欧米各国語には,英語に限っても,例えば,〈be born under a lucky star(幸運な星の下に生まれる)〉〈thank one's star(星まわりに感謝する)〉〈One's star is in the ascendant(運が向いてくる)〉など,運命と星を同一視した多くの言い回しがある。また神の意志の表明としての星の出現は当然ながら重大事の予兆ともなる。〈ベツレヘムの星Star of Bethlehem〉は,キリスト降誕の際,天に現れて東方の三博士をベツレヘムへと導いた(《マタイによる福音書》2:1~10)。ただし吉兆ばかりではなく,とくに流星やすい星の出現はしばしば凶兆とされた。

 星に現れるこのような神威にあやかるため,これを図形化して護符などとして用いることが古くから行われた。以下にその代表例をあげる。(1)四芒星形 元来はバビロニアの太陽神シャマシュの標章で,マルタ十字はこれに由来するという。(2)五芒星形(ペンタグラム) 霊力,啓示,知識などの象徴。〈ソロモンの封印Seal of Solomon〉も同形。ピタゴラス学派によって尊重され,魔術書にも多くの例を見る。(3)六芒星形 〈ダビデの星Star of David〉と呼ばれイスラエルの国章として有名なもの。一般に創造の象徴とされるが,二つの正三角形が組み合わさった形なので両性具有,対立物の統一の象徴ともなる。(4)八芒星形 金星を表すものとして女性の生産力を象徴するとされる。タロットの〈星〉の札にはこれが描かれることが多い。

 なお,ヒトデはその形状から,ラテン語ではstella maris(〈海の星〉の意),英語ではstar-fishと呼ばれる。その多くが五芒星形である。これが奇妙なことに,キリスト教では尽きざる愛の力や聖霊の象徴とされるのは,触れるものすべてを焦がし,食べたものを即座に燃やしてしまうというような古代伝承(大プリニウス《博物誌》第9巻)の影響もさることながら,前述した金星=地母神の系譜に連なる聖母マリアの属性が,〈海に落ちた星〉であるヒトデに反映した結果と考えられそうである。
占星術 →太陽 →
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「星」の意味・わかりやすい解説


ほし
star

元来は,太陽と月を除くすべての発光天体に与えられた名称。狭義では恒星のみをさすが,夕空に輝き始める一番星,流れ星(→流星),ほうき星(→彗星)など,俗称としては惑星その他を意味する場合も多い。恒星は,古来その変わらぬ配置から,主として各種の神話にちなんだ星座に見立てられ,大空の区分に用いられた。暦法や航海術など科学の発達に貢献する一方,占星術やさまざまな迷信,信仰のもとともなった。その正体は,太陽と同様,内部の原子核融合反応によって発生した放射エネルギーにより光る巨大な気体塊である。宇宙には無数の星があり,肉眼ではそれらのごく一部しか見えない。太陽系にもっとも近い恒星はプロキシマ・ケンタウリであり,太陽から約 4.27光年の距離にある。もっとも遠方にある星々は数十~数百億光年離れた銀河の中にある。恒星はわれわれの太陽のように単独で存在する場合もあるが,二つの星が対となっている連星,数個の星からなる星系を形成しているもの,多数の構成要素から星団を形成しているものなどのほうがより一般的である。さらに,星ごとに明るさ,色,温度,質量,大きさ,化学的組成,年齢が大きく異なる。銀河系に属する恒星数は約 2000億個と推定されている。
観測される星の明るさは,見かけ上の明るさを表す等級が一つ上がると明るさが 2.512倍に,五つ上がると約 100倍の明るさになる。1等星は 2等星の 2.512倍明るく,6等星の約 100倍明るいことになる。なかにはシリウスの-1.5等のように,非常に明るいため等級が負の値をとる星もある。星の見かけ上の等級は,それ自体の光度を直接示すものではない。星本来の明るさは絶対等級で表され,10パーセク(32.6光年)離れたところで観察された場合の等級が絶対等級である(→光年パーセク)。星の色は青白色から赤まで広い範囲にわたっている。
星の色の測定にはいくつかの方法があるが,フィルタの助けを得て星の色を測定する方法が最も広く利用されている。星から発せられる光はほぼ黒体輻射のスペクトルを示すため,光の強度を波長域に分けて調べることでその星の表面温度を推定できる。また発生する吸収線(→吸収スペクトル)の型によっても温度を決めることができる。ほぼすべての星で水素がいちばん多い構成元素であるが,2万5000K(ケルビン)を上回る温度の星の外層部では水素は完全にイオン化(→電離)しているため,実質的に吸収線を生じない。1万K程度のもう少し温度の低い星では多くの水素原子がイオン化せずに存在し,十分な数の水素がより高いエネルギーレベルまで励起されているので強い吸収線を発生させる(→バルマー系列)。さらに低い表面温度をもつ星のスペクトルは異なる吸収線のパターンをみせる。広く行なわれているスペクトル型による分類では,星を高温から低温へ順に,O,B,A,F,G,K,Mの七つの大きな集団に分ける。この O-Mスペクトル順序は,色の順序でもある。O型の星は全天体中で最も高温であり,表面温度は 2万5000K以上と見積もられ,青色をしている。太陽も含まれる G型星は 5000Kから 6000Kと比較的低温で,白色から黄色である。M型は最も低温の星で,3500K以下の温度と暗赤色の色調が特徴である。
非常に高温な星のイオン化した水素のような例外があるものの,星の内部に多量にある構成元素の原子からは判定可能な吸収線が生じているため,スペクトル分析によりその星の組成について知ることができる。たとえば G型星のスペクトルは,鉄,カルシウム,ナトリウム,マグネシウム,チタンといった金属の吸収線が特色である。
実視連星を除いて,星の質量を直接決定するのは困難である。連星,特に矮星超巨星からなる連星については,星の大きさに関する詳しいデータが判明している。1920年代にマイケルソン恒星干渉計を使用して超巨星の視直径が測定された。光の干渉の原理に基づいたこの装置は,明るく大きな星の視直径を測定するのには効果的であるが,見かけの大きさが小さい天体の測定には使えない。その後,天文学者たちはこうした小さな星の直径を測定するのに適した光相関干渉法を開発し,1960年代の終盤からはスペックル干渉法(微傷変位測定法)という新しい手法により赤色巨星の大きさの再測定を行なっている。
星のスペクトルと絶対等級の相関性は,星の性質と進化に関する情報として特に重要である。スペクトル型に対する星の絶対光度を示すために,ヘルツスプルング=ラッセル図と呼ばれる図表が一般に使用されている。星々はこの図の数ヵ所の特定の部分に集団となって分布する傾向があり,大部分は高温で明るい星の位置する図の左上から低温で暗い星のある右下へ伸びる主系列と名づけられた狭い帯に沿って分布している。太陽を含む主系列の星はみな矮星である。その他に比較的多くの星が,主系列の上方,図の右上部分に集まっている。これらは低温で高い光度をもつ巨星であり,太陽のおよそ 100倍の明るさがある。さらにより明るい星である超巨星は,図のいちばん上に位置する。主系列の左下方には,白色矮星という高い表面温度をもちながらも光度が低い星がある。
星の進化は,密度の高い星間雲と星間微粒子がそれ自身の重力で内側へつぶれて星が形成されることから始まる。星間雲が濃縮するにつれて密度と内部温度が上昇し,かすかに赤い輝きを発するようになる。この段階で星は自身の重力による収縮によって発生するエネルギーで輝く。内部温度が数百万℃まで上昇すると,ジューテリウム(→重水素)がまず崩壊し,ついでリチウム,ベリリウム,ホウ素がヘリウムに変換される。この間,中心付近の温度は上昇し続け,熱核反応p-p連鎖が十分に持続するレベルにまで達すると星の収縮はやみ,星はその生涯の大部分を占める主系列段階へ入る。時間の経過につれて中心部の水素はヘリウムに変換され,中心温度は徐々に上昇して星の化学的組成が変化するとともに星の構造,大きさ,光度も変化する。太陽と同じ質量の星では,中心部の水素がすべて消費されてほとんどがヘリウムになると,周辺の薄い外殻部でエネルギーが発生するようになる。外殻での水素燃焼の結果,ヘリウムが常に供給されて増加し続けるため中心部は徐々に質量を増していき,大きさは逆に縮まっていく。星の外層は膨張して低温,赤色となり,収縮する中心部から発生するエネルギーが周辺部の水素を加熱し核反応を加速して光度を上昇させる。
星の進化の最終段階は大きく二つの因子に依存する。一つはその星自身の質量であり,二つ目は近接連星を形成する星かどうかである。1.4太陽質量よりも小さい質量の単独星は,外層が吹き飛ばされたのちに高温の小さな芯が残り,赤色巨星から白色矮星へと進化する。この白色矮星を一時的に包み込む膨張した気体殻は惑星状星雲として知られている。近接連星の伴星が赤色巨星になりつつあるときにもう一方が白色矮星の段階に達すると,白色矮星は伴星の外層から物質を取り込む。この物質が白色矮星表面に蓄積していくと,ついには熱核反応が誘発される。こうした反応から発生するエネルギーが一瞬の激しい爆発により蓄積した物質を吹き飛ばすと,この星は新星となる。太陽より 5倍以上質量の大きな単独星は,重力の位置エネルギーが星内深部を高圧力高温に維持するため,水素の供給が枯渇したあとでも中心部で核融合によるエネルギーを発生し続けることができ,鉄のような重い元素を継続的に生産する。このような大質量の星の外層は超新星として猛烈な爆発を起こし,数ヵ月間にわたり通常の星より 10億倍も明るく輝く。爆発の過程での中性子捕獲反応により,鉄よりも重い元素が生成され,将来の星の形成の元となる星間物質が宇宙空間に増加する。超新星爆発ののち,星の中心部が中性子星として残ることがある。稠密に詰め込まれた中性子で構成されているため,この型の星は太陽よりはるかに大きな密度をもつが,直径は約 20kmしかない。多くの中性子星は短い間隔の電波を非常に安定した周期で放射しており,このような天文物体のことをパルサーと呼んでいる。超新星の残存質量が太陽質量よりも 2~3倍以上大きいと内部への縮退が続き,ついにはブラックホールを形成すると考えられている。

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百科事典マイペディア 「星」の意味・わかりやすい解説

星【ほし】

広義では天体一般,ふつうはそれから太陽と月を除いたものをいう。さらに狭くは恒星だけをさす。

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デジタル大辞泉プラス 「星」の解説

武鹿悦子による児童向けの詩集。全38編を収録。2013年刊行。翌年、第54回児童文学者協会児童文学賞、および第44回日本童謡賞受賞。

出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報

世界大百科事典(旧版)内のの言及

【御神楽】より

…儀式は人長の作法と,本・末の受け持つ神楽歌から成るが,人長の指図で座を鎮め,《庭火》の曲で各楽器の音を試みることから始まる(人長式)。以下の構成は,〈採物〉〈小前張(こさいばり)〉〈星〉という三つの違った傾向をもつ神楽歌のグループから成るが,ここで現行神楽歌一具(御神楽における神楽歌次第)を掲げる。(1)人長式の部 《神楽音取(かぐらのねとり)》《庭火》《阿知女作法(あじめのさほう)》。…

※「星」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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