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茨城県南東部,利根川下流域に位置する海跡湖。広義には北浦を含めた呼称で,北浦に対して西浦とも称する。面積167.6km2は琵琶湖につぎ日本第2位。最大水深7m,湖面標高0m。淡水湖で水郷筑波国定公園の中心をなす。名称は《常陸国風土記》の香澄里(霞郷),《和名抄》の香澄郷に由来する。Y字状の湖面形をなし,北西側を土浦入,北側を高浜入とよび,桜川,恋瀬川がそれぞれ流入する。南西部では小野川が流入,南東端では西から新利根川が入り,利根川へは横利根川,常陸利根川をもって通じる。古代は北浦,外浪逆浦(そとなさかうら)を含んだ銚子方向に開いた入江で,中世には関東平野内部への交通路として利用され,また入江の奥は高浜(石岡市)をはじめ,物資集散の港として栄えていたが,江戸初期の利根川東遷の影響をうけて東よりで堆積作用が盛んになり,水域は縮小し,淡水化が進んで,現状に至った。昭和初期以降,干拓が沿岸各地で行われ,開田が進んだ。底質は軟泥で砂や礫(れき)は少なく,富栄養湖の典型である。40種類をこえる魚類が生息し,ワカサギ,シラウオ,エビ,フナなどが多い。明治期開発の帆引網によるワカサギ漁は観光用に北浦で保存される程度で,1968年以来,トロール漁法にかわり,つくだ煮などに加工される。北東岸を中心に,湖面にコイ養殖が発達している。
鹿島臨海工業地域の建設に伴う工業用水確保をはかるため,沿岸水田の塩害防止もかねた常陸川水門が1963年に建設されてからは,排水口遮断による湖沼の溜池化が進行した。生活雑排水の流入,湖岸周辺の台地に卓越する養豚業に起因する屎尿たれ流し,湖面を利用する養殖などの影響が湖水滞留と水質汚濁をひきおこし,近年深刻な状況を呈している。夏季高温時には,湖面一帯にアオコを発生させ,魚類生息へのマイナス要因となるほか,悪臭を伴い,沿岸市町村での上水道用水取水の障害となっている。こうした事情にもかかわらず,首都圏内に位置する貯水量豊富な湖沼としての霞ヶ浦への期待は大きい。都市用水,農業用水供給源を霞ヶ浦に求める複数の計画があるだけに,水質保全が茨城県政の重要課題とされている。利水面からの活用促進策としては,県西部地域の市町村への上水道・工業・農業用水供給を目的とする霞ヶ浦用水事業が1991年完成し,湖水のポンプアップによる用水の安定供給が行われるようになった。明治期から昭和初めまでは外輪蒸気船が貨客を輸送した水上交通は,地域の発展に大きく貢献した。鉄道交通が盛んになり,観光客輸送に重点を移してからも水上交通は定期運航が続けられたが,第2次世界大戦後は沿岸道路が普及,1975年に廃止。
執筆者:中川 浩一
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出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報
…1871年(明治4)廃藩置県をへて,茨城,新治(にいはり),印旛(いんば),木更津の4県に統合され,後2者が合併してできた千葉県の一部と新治県のうち常陸6郡を併せて,75年ほぼ現在の県域が定まった。下総国常陸国
[広大な台地と豊富な湖沼・河川]
県内の地形は北部の山地,中央部から南部,西部にかけての関東平野北東部にあたる広大な台地,南東部の霞ヶ浦,北浦と利根川およびその支流に沿って樹枝状にのびる低地に三分される。県北地方では阿武隈高地に属する多賀山地,八溝山地が広い面積を占め,また筑波山地が半島状に突出して常陸台地と常総台地を分けている。…
…漁民の自由な立入りは禁止された。例えば,霞ヶ浦南東部には江戸初期,幕府の箕和田御留川が設定され,さらに1625年(寛永2)下玉里村の土豪鈴木氏の申請により,〈湖は入会〉の原則を固守する霞ヶ浦四十八津の抵抗を押し切って,水戸藩は湖の北部高浜入を玉里御留川としている。鈴木氏は御川守となり,当初は直営の大網を引いたが,83年(天和3)以降,江戸の問屋,霞ヶ浦周辺の漁民の請負となり,入札によって運上人を定め,運上金を上納させた。…
※「霞ヶ浦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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