改訂新版 世界大百科事典 「キュリロスルカリス」の意味・わかりやすい解説
キュリロス・ルカリス
Kyrillos Loukaris
生没年:1572-1638
コンスタンティノープル総主教。オスマン帝国支配下の東方正教会の改革と教義の確立をはかった。クレタ島出身,イタリアで教育を受け,反ラテン感情を身につけた。コンスタンティノープルで聖職に就き,ほどなく合同問題が深刻化したポーランドの正教会の立直しに派遣された。その際,ウィルナ(現,ビルニュス)でルター派と接触,個人的に大きな影響を受けた。アレクサンドリア総主教を経て,1620年にコンスタンティノープル総主教。29年にジュネーブで公刊された《信仰告白》は,カルバン派の教えをとり入れた正教会の信仰告白として知られるが,当時の正教会には大きな衝撃であった。さらに30年には新約聖書の現代ギリシア語訳をジュネーブで刊行させ,これも大きな問題となった。キュリロスは,宗教改革が東方正教会に与えた影響をまともに受けたが,のちの正教会はそれを排除する形で教義の確立に向かった。のちローマとの内通のかどで反対派によって訴えられ,スルタンのムラト4世によって処刑された。
執筆者:森安 達也
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報