日本大百科全書(ニッポニカ) 「サーンクリティヤーヤン」の意味・わかりやすい解説
サーンクリティヤーヤン
さーんくりてぃやーやん
Rahul Sankrityayan
(1893―1963)
インドの著作家、農民運動の指導者。北インド、ウッタル・プラデシュ州のブラフマンの家庭に生まれる。カースト社会からの自由を求め、17歳のとき遊行者(ゆぎょうしゃ)になる。さらに、個の確立、社会変革を志向し、宗教社会改革結社アーリヤ・サマージへの参加を経て、仏教、マルクス主義を研究。北インドを中心にマルクス主義思想の普及に尽力。政治活動をも開始。民族運動、農民運動の衰退期にはインド内外を旅行。セイロン(スリランカ)に渡り、パーリ大蔵経を読破、得度。四度のチベット旅行では、大乗仏典の写本を多数発見。1935年(昭和10)に日本訪問。ソ連滞在三度。インド独立後、ヒンディー語公用語化運動の中心人物の一人。インドの社会主義革命を希求し、正統派ヒンドゥー・カースト社会との対決を生涯の課題としたが、自らの現世逃避的、遊行者的思想体質に規定されて、晩年、批判精神は弱まった。
[前川輝光]