ヨーロッパ諸語によるスリランカの呼称。シンハラ語の「シンハラ・ディーパ」(「獅子の子孫の島」の意)が,アラビア語をへて,ポルトガル語の「セイラーン」となり,それがヨーロッパ諸語に取り入れられた。1972年の完全独立時に,スリランカが正式な国名となったが,セイロンの呼称もまだ使われている。この国の人口の大半はシンハラ人とタミル人である。前者は,先住民の住む同島へおそらくインドから移住し国をつくり,前3世紀に伝わった上座仏教を国教とした。南インドからのタミル人の移住は11世紀のチョーラ朝の支配の頃から本格化し,シンハラ人は南部に移った。1505年にポルトガルがコロンボを占領し,1658年にはオランダが沿岸部を支配した。最後に1815年にイギリスが内陸部を含む全島を占領して,茶,ゴムなどのプランテーションを発展させた。その後民族運動が発展し,1948年イギリス連邦内の自治領となった。80年代以降,シンハラ人とタミル人の民族紛争が激化していたが,和平の動きも出ている。
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…東岸部では,デカン高原上から流下する諸河川が河口部に大きなデルタを形成する。 一方,島嶼部はセイロン島,ミャンマーのアラカン山脈から大スンダ列島へと連なる第三紀褶曲山脈列上に位置するアンダマン,ニコバル両諸島,およびサンゴ礁からなるラカディーブ,モルジブ両諸島を主とする。このうちセイロン島は,第三紀の形成になる北西部の平たん地帯を除いて,デカン高原南端部と同じ性格の安定陸塊を基盤としている。…
…正式名称=スリランカ民主社会主義共和国The Democratic Socialist Republic of Sri Lanka面積=6万5610km2人口(1996)=1831万人首都=スリ・ジャヤワルダナプラ・コーッテSri Jayawardanepura Kotte(日本との時差=-3.5時間)主要言語=シンハラ語,タミル語通貨=スリランカ・ルピーSri Lanka Rupeeインド亜大陸の南東端の海上に位置する,セイヨウナシの形をした島国である。英領時代には,外国ではセイロンとして知られていた。面積は九州と四国を合わせたよりも少し広い。…
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