チュービンゲン学派 (チュービンゲンがくは)
Tübinger Schule
ドイツの精神医学者ガウプが基礎を築いた学派。1906年チュービンゲン大学教授になったガウプは開かれた温かな人格を持った優れた研究者,医者,教育者で,教室はシュワーベン詩人学派と呼ばれた。その自由で繊細な学問的雰囲気を慕って,ライスE.Leiss,クレッチマー,シュトルヒA.Storch,カントO.Kant,ランゲ・アイヒバウムW.Lange-Eichbaum,ホフマンH.Hoffmann,フィリンガーW.Villinger,ショルツW.Scholzらが集まり,個性的で多面的な研究が行われた。ガウプの最大の業績の一つはパラノイアの心因論で,パラノイアが特定の人格構造と特定の体験から心理学的・了解的に発生することを明らかにした(ワグナー症例)。これが同学派の伝統の一つとなった。クレッチマーの敏感関係妄想,多次元診断・治療学,マウツF.Mauzの内因性精神病の予後学,精神療法,ランゲ・アイヒバウムの天才研究も名高い。
執筆者:飯田 真
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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世界大百科事典(旧版)内のチュービンゲン学派の言及
【ガウプ】より
…第1次大戦後,器質性か心因性かで論争の的だった戦争神経症についても,外傷ヒステリーの説をつらぬき,神経症の心因論確立に力をつくした。ガウプの教室には,その自由な雰囲気をしたって,クレッチマーらの俊秀が集まり,ドイツ的力動論をめざす〈[チュービンゲン学派]〉を築いた。36年,ナチスによる政治的圧迫のため退職したが,彼の学風はクレッチマーらにより継承され,今日に至っている。…
【精神医学】より
…20世紀に入るとともに,精神分析のS.フロイト,それを容認して力動的な症状論を展開するE.ブロイラー,現象学の導入により方法論を整備したK.ヤスパースら,新たな勢力が台頭して,19世紀の精神医学に深さと広がりと高さを加える。これらがヨーロッパ全域で豊かな開花をみせるのはとりわけ20世紀の20年代で,ヤスパース,H.W.グルーレ,マイヤー・グロースW.Mayer‐Grossを擁する[ハイデルベルク学派],R.ガウプとE.クレッチマーを擁する[チュービンゲン学派],そしてクロードH.ClaudeとH.エーを中心とするフランスの[サンタンヌ学派]などがその重要な拠点となった。ただし,これらの開花が現代精神医学の繁栄をもたらすまでには,30年代から40年代半ばにかけてナチス体制下のドイツ精神医学が精神病者をガス室へ送りこむのに荷担するというあの暗い歴史が介在しているのを忘れることができない。…
※「チュービンゲン学派」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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