知恵蔵 「ブライアン・オーサー」の解説
ブライアン・オーサー
1961年12月18日、カナダのオンタリオ州ベルビルに生まれる。スケートを始めた幼少の頃はアイスホッケーに取り組んでいたが、6歳の時初めてフィギュアスケートのイベントに出場したのをきっかけに、フィギュアスケートを本格的に始める。70年、ダグラス・リーに見いだされて師弟関係となる。以後、アマチュア時代を通して彼に師事する。
77年、カナダ選手権のノービスクラスで優勝。その後、当時は最高難度のジャンプであったトリプルアクセルに取り組み、79年カナダ選手権でジュニアクラスの選手として初めてトリプルアクセルを成功させた。これは、競技会において成功したトリプルアクセルとして世界で2例目の記録でもあった。その後、世界で初めて一つのプログラムでトリプルアクセルを2回成功させ、また世界初のトリプルアクセルを含むコンビネーションジャンプにも成功し、ミスター・トリプルアクセルとたたえられた。
主な戦績は、84年サラエボ五輪男子シングル銀メダル、87年世界選手権優勝、88年カルガリー五輪男子シングル銀メダルなど。サラエボ五輪でのトリプルアクセル成功は、冬季オリンピック史上初。カルガリー五輪では開会式でカナダ選手団の旗手を務め、最大のライバルとされたアメリカ代表のブライアン・ボイタノとの対決は「ブライアン対決(Battle of the Brians)」と呼ばれて大きな注目を受けた。オーサーは芸術点で上回ったが、技術点で差をつけられてボイタノに敗れた。
88年、カナダ勲章オフィサーを授与される。
引退後はプロに転向し、アイスショーに出演する傍ら、凍ったレイク・ルイーズ湖を舞台にした「スケーティング・フリー」などのテレビ番組制作に関わり、90年には、映画「カルメン・オン・アイス」でエミー賞を受賞。また、プロのスケート競技会にも出場し、99年からはトリプルアクセルに再び挑戦し、2000年にレイクプラシッドで開催された冬季グッドウィルゲームスで見事成功させた。
プロ転向後は振付師としても活動し、本田武史らの振り付けを手がけたが、後にコーチ業に専念。07年から指導した韓国のキム・ヨナ選手を、10年バンクーバー五輪でフィギュアスケート女子シングル金メダルに導いた。その後、キムとは契約を解消。12年、トロントへ移住した日本の羽生結弦と契約を結び、14年ソチ五輪の金メダルに導いた。09年、世界フィギュアスケート殿堂入り。
(葛西奈津子 フリーランスライター / 2014年)
出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報