キムヨナ(英語表記)Kim Yu-na

最新 世界スポーツ人名事典 「キムヨナ」の解説

キム ヨナ
Kim Yu-na
フィギュアスケート

フィギュアスケート選手 バンクーバー五輪金メダリスト
生年月日:1990年9月5日
国籍:韓国
出生地:京畿道富川
学歴:軍浦スリ高
経歴:5歳から母にフィギュアスケートを教わる。2004年ISUジュニアグランプリ(GP)シリーズ・ファイナル、2005年世界ジュニア選手権で同い歳の日本人ライバル浅田真央に敗れ2位。2006年3月の世界ジュニア選手権は浅田を破り初優勝。同年より母とともにカナダトロント拠点を移し、サラエボ五輪・カルガリー五輪男子シングル銀メダリストのブライアン・オーサーの一番弟子に(2010年8月まで)。同年11月初のシニア大会となったGPシリーズ第2戦スケートカナダで3位に入り、第4戦フランス杯でGPシリーズ初優勝。韓国人のGP優勝も初めて。12月GPファイナルでは浅田に逆転勝ちし初優勝。2007年3月世界選手権銅メダル。2007〜2008年シーズンは、GPシリーズ第3戦の中国杯、第5戦のロシア杯で優勝。GPファイナルでは浅田を破り2連覇を達成。世界選手権は2年連続銅メダル。2008〜2009年シーズン、GPシリーズは開幕戦スケートアメリカ、第3戦中国杯で優勝。GPファイナルでは3連覇を狙ったが、フリーでジャンプに2度失敗し、浅田に敗れ準優勝。2009年2月四大陸選手権初優勝。3月の世界選手権はフリーで131.59点、総合207.71点を出し、女子では史上初の200点超え、世界歴代最高得点をマークして初優勝。2009〜2010年シーズンのプログラムは、ショートプログラム(SP)は映画「007」よりジェームズ・ボンドのテーマ曲、フリーは「ピアノ協奏曲ヘ長調」。GPシリーズ初戦のフランス杯に浅田とともに出場、フリーで133.95点、総合で210.03点と、ともに自身の世界歴代最高得点を更新し浅田に大差をつけて優勝。第5戦スケートアメリカのSPでは自身の世界歴代最高得点76.12点を更新する76.28点を出して優勝。GPファイナルは2年ぶりに優勝。2010年バンクーバー五輪では、自らの世界歴代最高得点を大幅に更新する228.56点で2位の浅田に大差をつけて金メダルに輝いた。3月世界選手権は浅田に敗れ銀メダル。五輪後は引退か、現役続行か悩み続け、2010〜2011年シーズンは世界選手権のみ出場。1年1ケ月ぶりに実戦復帰し、SPは1位だったがフリーは2位で、安藤美姫に敗れて総合2位に終わる。2011〜2012年シーズンは休養。2012〜2013年シーズン、競技に復帰。プログラムは、SPは映画「吸血鬼の接吻」、フリーはミュージカルレ・ミゼラブル」のテーマ曲。2年ぶりに出場した世界選手権はほぼノーミスでカロリナ・コストナー(イタリア)、浅田を抑え、復活優勝した。ジャンプに安定感があり、女子では難度の高い3-3などの連続ジャンプも跳ぶ他、同世代では群を抜く表現力に優れる。GPシリーズ通算7勝。“ミス・パーフェクト”と称され、韓国では“国民の妹”として親しまれている。164センチ、48キロ。2006年世界的なマネジメント会社IMGと契約。2010年国際児童基金(ユニセフ)親善大使に任命される。

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現代外国人名録2016 「キムヨナ」の解説

キム・ヨナ
金 妍児
Kim Yu-na

職業・肩書
元フィギュアスケート選手 バンクーバー五輪フィギュアスケート女子シングル金メダリスト

国籍
韓国

生年月日
1990年9月5日

出生地
京畿道富川

学歴
軍浦スリ高

経歴
5歳から母にフィギュアスケートを教わる。◆◆2004年ISUジュニアグランプリ(GP)シリーズ・ファイナル、2005年世界ジュニア選手権で同い歳の日本人ライバル・浅田真央に敗れ2位。◆◆2006年3月の世界ジュニア選手権は浅田を破り初優勝。同年より母とともにカナダ・トロントに拠点を移し、サラエボ五輪・カルガリー五輪男子シングル銀メダリストのブライアン・オーサーの一番弟子に(2010年8月まで)。同年11月初のシニア大会となったGPシリーズ第2戦スケートカナダで3位に入り、第4戦フランス杯で韓国人としてGPシリーズ初優勝。12月GPファイナルでは浅田に逆転勝ちし初優勝。2007年3月世界選手権銅メダル。◆◆2007〜2008年シーズンは、GPシリーズ第3戦の中国杯、第5戦のロシア杯で優勝。GPファイナルでは浅田を破り2連覇を達成。世界選手権は2年連続銅メダル。◆◆2008〜2009年シーズン、GPシリーズは開幕戦スケートアメリカ、第3戦中国杯で優勝。GPファイナルでは3連覇を狙ったが、浅田に敗れ準優勝。2009年2月四大陸選手権初優勝。3月の世界選手権はフリーで131.59点、総合207.71点を出し、女子では史上初の200点超え、世界歴代最高得点をマークして初優勝。◆◆2009〜2010年シーズン、GPシリーズ初戦フランス杯で世界歴代最高得点を更新し浅田に大差をつけて優勝。第5戦スケートアメリカのSPでは自身の世界歴代最高得点を更新して優勝。GPファイナルは2年ぶりに優勝。◆2010年バンクーバー五輪では、自らの世界歴代最高得点を大幅に更新する228.56点で2位の浅田に大差をつけて金メダルに輝いた。3月世界選手権は浅田に敗れ銀メダル。◆◆五輪後は引退か、現役続行か悩み続け、2010〜2011年シーズンは世界選手権のみ出場、1年1ケ月ぶりに実戦に復帰し、銀メダル。2011〜2012年シーズンは休養。◆◆2012〜2013年シーズン、競技に復帰。2年ぶりに出場した世界選手権はほぼノーミスで復活優勝した。◆◆2013〜2014年シーズンのソチ五輪ではSPで1位になるも、フリーでアデリナ・ソトニコワ(ロシア)に逆転されて銀メダルに終わった。大会後、引退。◆◆ジャンプに安定感があり、女子では難度の高い3-3などの連続ジャンプも跳んだ他、同世代では群を抜く表現力に優れていた。◆GPシリーズ通算7勝。“ミス・パーフェクト”と称され、韓国では“国民の妹”として親しまれる。◆2010年国際児童基金(ユニセフ)親善大使に任命される。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「キムヨナ」の意味・わかりやすい解説

キム・ヨナ(金妍児)
キム・ヨナ
Kim Yu-Na

[生]1990.9.5. 京畿,富川
大韓民国(韓国)のフィギュアスケート選手。6歳でスケートを始め,2002年に初めて国際舞台に立ち,スロベニアのイェセニツェで開催されたトリグラフ杯ノービス・レベルで優勝した。2003年には韓国選手権大会で初優勝。翌 2004年はジュニアグランプリに参戦し,ハンガリー杯で金メダルを獲得した。2006―07年シーズンにシニアに移行し,2006年と 2007年にグランプリファイナルで優勝。その後カナダに拠点を移し,オリンピックの銀メダルを 2度獲得したブライアン・オーサーに師事する。2009年の世界選手権大会では,韓国人フィギュアスケート選手として初めてシニアの世界タイトルを獲得。さらに史上最高の 207.71点を出し,長年のライバルだった浅田真央の記録を塗り替えた。2010年バンクーバー・オリンピック冬季競技大会では完璧に近い演技で金メダルを勝ちとった。七つの 3回転ジャンプを織り交ぜた,技術的難度が高くかつ優美な演技は,歴代最高の 228.56点を獲得した。2011―12年シーズンは競技を休止したが 2012年に復帰し,ドイツのドルトムントで開かれた NRW杯で優勝した。

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