ベイレル・ベイ(英語表記)Beylerbeyi

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ベイレル・ベイ」の意味・わかりやすい解説

ベイレル・ベイ
Beylerbeyi

オスマン帝国軍管区のうち最大のものである州 (エヤーレト) の軍政官のこと。軍事封土ハスの保有者で,戦時にはサンジャク・ベイ,ス・バシ (郡レベルの指揮官) らに率いられたシパーヒーたちから成る在郷軍団の最高司令官として出征した。 17世紀以後はバーリー Vâlîと呼ばれた。

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世界大百科事典(旧版)内のベイレル・ベイの言及

【オスマン帝国】より

…また,各地域の実情に応じた柔軟な統治を実現するために,シャリーアの枠内にとどまることを条件に,カーヌーン(世俗法)およびヤサyasa(禁令)が,スルタンの勅令あるいはシェイヒュル・イスラムの〈意見書〉の形態をとって発布された。地方行政区分は,エヤーレトeyâlet(州),サンジャクsancak(県),カザーkazā(郡)からなっており,前2者にはそれぞれ,ベイレルベイbeylerbeyi,サンジャクベイsancakbeyiとよばれる軍政官が派遣された。カザーの行政官はウラマー層に属するカーディー(裁判官)であったが,彼は御前会議に列席する大法官(カザスケルkazasker)に直属し,同時に,刑事・民事訴訟の双方を取り扱うシャリーア法廷を主宰した。…

【ギリシア】より

…たとえばギリシア本土は古来の区分に準じて六つのサンジャク(県)に分けられたが(モレア,ボイオティアとアッティカ,テッサリア,アイトリアとアカルナニア,エピロス,エウボイア),それは必ずしも民族集団の境界を示すものではなくなった。この地方の軍政長官ベイレルベイの下に,ティマール制の導入によって領主階級となったアナトリアのシパーヒーがおり(なかにはイスラムに改宗した旧ギリシア人貴族もいたが),その他アナトリアから移住した農民や牧羊者が多く定着した地域もあった。とくにスルタンに忠誠だった牧羊者(ユリュク)は,トラキア,マケドニア,テッサリアの諸地方では,ギリシア人の村々の間に監視役として移住させられた。…

【ティマール】より

…その保有者はアライベイalaybeyi,スバシsubaşıとよばれる)およびハス(10万アクチェ以上。その保有者はサンジャクベイsancakbeyi(県軍政官)およびベイレルベイbeylerbeyi(州軍政官))の保有者たちの指揮に従った。この制度は,帝国領土のうち,アナトリアとバルカン半島のほぼ全域およびシリア(歴史的シリア)の一部の地域に施行され,これら諸地域に社会的・文化的共通性を付与した。…

※「ベイレル・ベイ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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