改訂新版 世界大百科事典 「シパーヒー」の意味・わかりやすい解説
シパーヒー
sipāhī
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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①〔トルコ〕sipāhiオスマン帝国のトルコ系在郷騎士。スルタンからティマール(封土)を与えられ,その見返りとして戦時には禄高に応じて軍備を整え出征した。16世紀末以後戦力の中心はイェニチェリ(常備軍)に移り,シパーヒーは重要性を失った。
②〔インド〕sipāhīペルシア語,ウルドゥー語で「兵士」を意味する。植民地インドに関しては「インド人傭兵」の意味に用いられる。イギリス東インド会社時代および直接統治時代に,イギリスが植民地支配のために雇用したインド人一般兵士をさす。彼らは他のイギリス植民地にも配備された。また第一次世界大戦,第二次世界大戦などインド国外の戦争にも動員された。英語の「セポイ」はこの言葉が訛ったもの。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
… 内陸アジアから移住したトルコ族によって13世紀末に建国されたオスマン帝国は,16世紀前半までに,西アジア(イランを除く),北アフリカ,バルカン半島の大部分を征服・併合した。その軍事力の中心をなしたのはシパーヒーsipāhīとよばれる騎兵を中核とした在郷軍団(16世紀半ばには約4万騎と推定されている)であった。シパーヒーは,スルタンによって与えられた〈封土〉(ディルリキdirlik。…
…次のマムルーク朝(1250‐1517)でも,イクター制は国家と社会を規定する基本制度として機能し続け,軍隊制度の整備に伴って軍人の位に応じたイクター授与の体系化が著しく進んだ。オスマン帝国(1299‐1922)では規模の大小に応じてハースhas,ゼアーメトzeamet,ティマールの3種の土地分与が行われたが,イクターと同じ性格の土地はシパーヒー(騎士)が保持する比較的小規模のティマールであった。しかしティマール制は16世紀中ごろには早くも解体への兆しを見せ始め,またエジプト・シリアでも,17世紀半ばにはティマール制からイルティザーム(徴税請負)制への全面的な切替えを余儀なくされるにいたった。…
… 内陸アジアから移住したトルコ族によって13世紀末に建国されたオスマン帝国は,16世紀前半までに,西アジア(イランを除く),北アフリカ,バルカン半島の大部分を征服・併合した。その軍事力の中心をなしたのはシパーヒーsipāhīとよばれる騎兵を中核とした在郷軍団(16世紀半ばには約4万騎と推定されている)であった。シパーヒーは,スルタンによって与えられた〈封土〉(ディルリキdirlik。…
※「シパーヒー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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