改訂新版 世界大百科事典 「ミンマン」の意味・わかりやすい解説
ミンマン (明命
)
Minh Mang
生没年:1791-1841
ベトナムのグエン(阮)朝第2代皇帝。在位1820-41年。グエン朝の創始者ザロン(嘉隆)帝の第4子。1820年帝位につきザロン時代の開創の功臣を遠ざけて文官を重用し,清の制度を模した中央集権制をベトナムに導入しようとした。地方行政制度では,これまで有力武人による半独立的な支配が許されていた北部の北城総鎮,南部の嘉定総鎮を廃し,直轄の省府県とした。中央官制では,内閣,都察院を設置して皇帝の権限を強める一方,寓禄制を俸禄制に改め,あるいは科挙制を充実させるなど,官僚群の育成に努めた。そのイデオロギーとして儒教が重視され,皇帝自身が優れた学者であったことは《明命政要》などで知られる。その反面,キリスト教が弾圧され,フランスとの関係は悪化した。これらの中央集権化政策は地方勢力の反乱をよび,山地少数民族のノン・バン・バン(農文雲)の乱や,これを利用したレ・ズイ・ルオン(黎維良)の乱が起こり,南部では軍閥とキリスト教徒が結びついたレ・バン・ホイ(黎文)の乱が続いた。
執筆者:桜井 由躬雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報