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皇帝 こうていemperor; Kaiser

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

皇帝
こうてい
emperor; Kaiser

ヨーロッパ史の皇という称号は元来ローマ帝政開始期の官職インペラトルから発生し,帝政期のローマ国家の君主の地位を表現する概念であったが,ローマ皇帝権から派生して,ゲルマン部族系国家の君主権の表現としても,またローマ皇帝権への模倣,あるいは僭称としても使用されるにいたった。その例としてゲルマン系国家では,カルル1世 (大帝) のカロリング朝国家,オットー1世 (大帝) 以降のザクセン朝,ザリエル朝,ホーエンシュタウフェン朝などが指摘できる。その場合,皇帝は本来一つの部族ないし民族の首長としての王よりも上位の,普遍的な支配権のにない手と考えられた。カルル1世による西ローマ帝国の復興,オットー1世による神聖ローマ帝国の建設は,カトリック教会を媒介とした古代ローマ帝国の皇帝の継承あるいは拡大の所産であり,ギリシア正教のロシアではモスクワ大公家がビザンチン (東ローマ) 皇帝を継承してツァーリと称し,ロマノフ朝にも継承されている。ローマ皇帝理念の継承は,キリスト教会の宗教的権威と結合あるいは混融しつつ中世を通じて常に再生産され,神聖ローマ帝国を通じて近代に及んでいるが,フランス革命後のナポレオン帝政,二月革命後のナポレオン3世の第二帝政,ドイツのホーエンツォレルン家によるドイツ第二帝国における皇帝は,すでに中世のカトリック的権威との結合関係を脱した近代政治社会の権力的凝集を表現する概念に成長しているのが認められる。皇帝は,東洋社会にも広く存在するが,中国では秦の始皇帝が天下を統一した際,皇帝という称号が定められ,以来歴代天子の称となった。天子の称が周代の宗法封建制度を基礎として成立したのに対し,皇帝は官僚制度をもって,全人民を一律に支配する (斉民制) 専制君主を意味した。漢代以後,天子と皇帝の称号は両用されている。秦の始皇帝の創始した皇帝が,東アジアの他の地域に拡大,継承される場合が多く,モンゴル人国家の汗 (→カガン〈可汗〉 ) の地位や日本の天皇の地位もこのような概念拡大の系統に属する。

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デジタル大辞泉の解説

おうだい〔ワウダイ〕【皇帝】

皇帝破陣楽(おうだいはじんらく)」の略。

こう‐てい〔クワウ‐〕【皇帝】

《「皇」は美しく大であること、「帝」は徳が天に合するの意》
おもに中国で、天子または国王の尊称。始皇帝が初めて称した。
欧州・中東・中南米などの君主国で、君主の称号の一。欧州ではローマ皇帝位の継承者の称で、王より上位とされる。エンペラー(イギリス・インド)、カイゼル(ドイツ・オーストリア)、ツァーリ(ロシア)、シャー(ペルシアなど)の訳語。帝王。
[補説]作品名別項。→皇帝

こうてい【皇帝】[作品名]

ベートーベン作曲のピアノ協奏曲第5番の通称。1809年作。曲の雄大さからつけられた。
謡曲。五番目物金春(こんぱる)以外の各流。観世小次郎作。唐の玄宗皇帝が楊貴妃の病を憂えると、鍾馗(しょうき)の霊が現れ、病鬼を切り捨てる。
《原題、〈ドイツ〉Kaiserハイドン弦楽四重奏曲第77番ハ長調の通称。1797年作曲。エルデーディ四重奏曲の第3番。通称は第2楽章に自身が作曲したオーストリア皇帝賛歌(のちのオーストリア帝国国歌)の旋律を用いたことに由来する。

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デジタル大辞泉プラスの解説

皇帝

宝塚歌劇団による舞台演目のひとつ。作:植田紳爾。1998年、宝塚大劇場にて星組が初演。ローマ皇帝ネロの生涯を描くミュージカル

皇帝

ドイツの作曲家L・v・ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番(1809)。原題Kaiser》。ルドルフ大公に献呈。『皇帝』という名はベートーヴェンが名付けたものではなく、後にその勇壮な曲想から付けられたと考えられている。

皇帝

オーストリアの作曲家ヨーゼフ・ハイドンの弦楽四重奏曲第77番(1797)。原題《Kaiser》。エルデーディ四重奏曲の一つ。名称は後のオーストリア皇帝フランツ1世の賛歌が第2楽章の旋律に使われていることに由来する。

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世界大百科事典 第2版の解説

こうてい【皇帝】

王の中の王,諸王に超越する王の称号としての皇帝は,王権の及ぶ範囲が共同体や部族・氏族連合を越える広大な帝国の成立と結びついている。したがって,皇帝の称号の成立は,そこに含まれる国際関係を帝国の秩序に組み入れる観念の形成とも不可分といえる。日本の天皇号は,南北朝期の分裂した中国を統一した隋王朝の国際秩序の内部で,朝鮮半島三国との国際的関係からみずからを〈大国〉として位置づけることによって成立したとされている。

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大辞林 第三版の解説

おうだい【皇帝】

「皇帝破陣楽おうだいはじんらく」の略。

こうてい【皇帝】

諸王に超越する王の称号。中国では、秦の始皇帝およびそれ以降の歴代王朝の統一君主。西洋では、古代ローマ帝国の統治者およびその名称と権威を継承する諸君主の称号。
君主国で君主の称号。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

皇帝
こうてい
Kaiserドイツ語
emperor英語

最高の世俗的支配者=君主の称号。[平城照介]

ヨーロッパ

皇帝の称号はアウグストゥス以降のローマ皇帝に始まる。前期帝政は元首政とよばれるように、最高の軍隊統帥権=インペリウムを有したほかは、ローマ第一の市民=プリンケプスであるにすぎなかったが、ディオクレティアヌス以降の後期帝政では、専制的支配権を有するようになった。このローマ皇帝権は、帝国の東・西ローマへの分裂以後、2人の皇帝によって分有され、東ローマ皇帝権はビザンティン帝国の滅亡(1453)まで、バシレウスBasileusという称号のもとに存続したが、西ローマ皇帝権は西ローマの滅亡(476)とともに消滅した。
 紀元800年のカール大帝の皇帝戴冠(たいかん)は、ある意味で西ローマ皇帝権の復活であり、さらにオットー1世以降の神聖ローマ帝国の皇帝権も、カロリングの皇帝権の復活であったが、これら中世ヨーロッパの皇帝権には、ローマ的要素以外に、ゲルマン的要素とキリスト教的要素とが加わった。後者は、西欧キリスト教世界の全体に対する、具体的にはローマ教皇権に対する、世俗的権力による保護者としての皇帝という観念であり、教皇による皇帝戴冠の伝統がその象徴であったが、この要素は中世的皇帝権の理解の不可欠の前提をなすと同時に、次の二つの側面で、皇帝権に大きな問題を抱えさせる結果を生んだ。
(1)もともと皇帝の称号は、それが、国家や民族の範囲を超えた全世界的支配権である、という要求を含んでいた。ローマ帝国は全地中海世界を支配し、カロリング帝国も西欧キリスト教世界のほとんど全部を支配していたため、皇帝の現実的支配権と、その理念的要求とのずれは生じなかったが、神聖ローマ帝国の場合、皇帝権の担い手が、本国ドイツ以外にブルグントとイタリアのみを実質的に支配しえたにすぎないドイツ国王であったため、皇帝権の理念と現実との間に大きな食い違いが生じた。中世の政治理論家は、前者を皇帝の権威(アウクトリタス)とよび、後者をその権力(ポテスタス)とよんで区別するが、この権威は、皇帝が名実ともに全西欧教会に君臨するローマ教皇権の保護者であるという側面を媒介にしなければ、現実政治のうえでなんらの意味をももちえなかった。中世後期から近代にかけて、皇帝権が教皇権との結び付きをしだいに失うにつれて、皇帝権自体もその実質的意味を失い、ついには単なる君主の称号へと変化するのはそのためである。
(2)皇帝権と教皇権の間には、前者の後者に対する依存関係と並び聖職叙任権闘争で表面化する、両者の対立的側面も含まれた。この闘争以後、教皇権の皇帝権に対する優越性が強化され、インノケンティウス3世は、教皇の皇帝戴冠の伝統を皇帝承認権にまで拡大解釈し、ドイツ諸侯の皇帝選挙に干渉した。中世後期以降、皇帝権と教皇権の結び付きが失われた原因の一つには、皇帝権の側における、教皇権の束縛からの解放への動きも考えねばならない。カール4世の金印勅書は、皇帝選挙の法的手続を確立することにより、教皇の皇帝承認権を実質的に無視し、近世初頭には、教皇による皇帝戴冠の伝統も後を絶った。
 近世以降、皇帝権は実質的内容を失い、単なる君主の称号に変化した結果、ローマ的=中世キリスト教的皇帝権と歴史的にも理念的にもなんらつながりをもたない君主――神聖ローマ帝国の解体(1806)以後オーストリアの君主にすぎなくなったハプスブルク家や、ビザンティン帝国の滅亡により消滅した東ローマ皇帝権の継承者を主張するピョートル大帝以降のロシアの君主の場合は、まだある種の歴史的・理念的関連性が考えられる――も、皇帝の称号を帯びるという現象が生じた。ドイツ統一後のホーエンツォレルン家の君主、ナポレオンとその後継者を自任するナポレオン3世の場合などがそれにあたる。だが、これらの皇帝の称号のなかにも、皇帝という名称が本来もっていた、超国家的・超民族的支配権という観念が、まったく死に絶えていたわけではない。統一後のドイツ帝国は、プロイセン王国、バイエルン王国、バーデン大公国その他諸領邦国家の統合体にほかならず、プロイセン国王をも兼ねる皇帝は、これら領邦国家の君主権をかなりの程度にまで容認したうえで、それより一段高い君主であり、またナポレオンの場合も、単にフランスの国王であるばかりでなく、征服した諸国家をも統合したナポレオン帝国の皇帝であった。[平城照介]

中国

(しん)から清(しん)に至る歴代王朝の君主の称号。紀元前221年、六国を併合して統一国家を実現させた秦王政(始皇帝)が、丞相王綰(じょうしょうおうわん)らの答申を裁定して創始した。直接的には三皇(さんこう)(天皇(てんこう)、地皇(ちこう)、泰皇(たいこう))のうちの最高神である泰皇の「皇」と、上古の五帝の「帝」とをあわせたものであるが(『史記』秦始皇本紀)、この称号を採択した秦王の意図は、宇宙の最高神であり万物の総宰者である「皇皇(煌煌(こうこう))たる上帝」に自らを比擬し、それまで地上に現れたどの君主(帝、天子、王)よりもはるかに優越した地位と権威を天下に示すことにあったと考えられる。なお「始皇帝」「二世皇帝」の号はいずれも死後にたてられる諡号(しごう)(おくりな)であり、在位中は「皇帝」と称するのみであった。
 皇帝の号は漢王朝にも継承されたが、漢の支配体制は、郡県制を緩めてこれに伝統的な「封建」の論理を加味したもの(郡国制)であり、また法家一辺倒の秦に対して儒家思想が新しい装いのもとに復興してきたことに応じて、秦が捨てた「天子」の称号がふたたび復活した。かくて漢の皇帝は、「皇帝」と「天子」という二つの称号をあわせ称するようになったのであり、地上における最高権力者として君臨するとき、および祖先の霊を祭る場合には「皇帝」、外交の場合、および上帝を中心とする天地の諸神を祭るときには「天子」の号をそれぞれ用いた。この両号併用の制度は、以降の歴代の王朝でも受け継がれ、たとえば唐の皇帝の場合、その地位を象徴する璽印(じいん)は「神宝、受命宝、皇帝行宝、皇帝之宝、皇帝信宝、天子行宝、天子之宝、天子信宝」の八つで構成され、それぞれ使用目的が分別されていた。また漢代以降の君主は、政治的権威を確立ないしは継承して「皇帝」となり、上帝の命を受けて、または受命したことを継承して「天子」となり、この手続を経て初めて皇帝として君臨できたのであり、少なくとも唐代に至るまでの時代において、2次にわたる2種類の即位式が挙行されたのは、この理由による。
 秦の創始した皇帝の称号、および皇帝を頂点に置く支配体制は、1911年の辛亥(しんがい)革命に至るまでの2000余年の間存続したのであり、この点に中国前近代史上の最大の特質をみいだすことができる。[尾形 勇]
『西嶋定生著「皇帝支配の成立」(『岩波講座 世界歴史4』所収・1970・岩波書店) ▽尾形勇著『中国古代の「家」と国家』(1979・岩波書店)』

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世界大百科事典内の皇帝の言及

【インペラトル】より

…そのため共和政期末の超国法的強権取得者,スラ,ポンペイウス,カエサル等が好んでこの称号を名乗った。アウグストゥスはインペラトルをプロコンスル命令権(軍指揮権)取得者と見なし,これを自らの個人名に組み入れたが,ウェスパシアヌス以降その先例が定着してインペラトルは皇帝をさす公称になった。この場合,常に決定的なのは〈おおインペラトル〉という元老院での斉唱,後には兵士の歓呼で,そのため3世紀には帝国各地の軍団兵士の喚声が皇帝併立の事態を生んだ(軍人皇帝時代)。…

【王】より

…一般的な概念としては一国家,一民族,一部族などの最高支配者のことをいう。小規模な共同体の首長から強大な王国の支配者まで,世界史上,さまざまな王の類型が存在するが,通常,複数の国家の最高支配者とされる皇帝とは区別される。歴史的にみれば,古代の諸民族は国家形成の時期には王によって統合・支配されるのが普通で,ギリシア,ローマの都市国家でも形成期の段階では,戦士貴族のうち,〈同等者中の第一人者〉が王となった。…

【皇帝教皇主義】より

…皇帝Caesar,Kaiserが同時にローマ教皇Pope,Papstでもあるという原則,つまり,精神界をつかさどる教会の最高権威が,俗界の長たる国家の最高権力者の手中に握られているような国家・教会関係を示す造語として,18世紀以来使用され,本来,4世紀以後のローマ帝国(ビザンティン帝国)を対象とするものであったが,のちには,1917年までのロシア国教会,中世初期のカール大帝のフランク王国,近代のカトリック専制国家,領邦君主が自国のプロテスタント教会の最高司教の地位にあったドイツ・プロテスタント領邦国家などにも拡大適用された。 19世紀カトリック歴史家によってしばしば用いられたことからもわかるように,この概念はもともと,中世西ヨーロッパで叙任権闘争を通じて典型的に出現したような,ローマ教皇が神聖ローマ皇帝に対し優越する権威を主張した国家・教会関係(教皇皇帝主義Papocäsarismus)の反転像を示そうとしたものである。…

【秦】より

…戦国七雄の一つ。前221年に秦王政(始皇帝)が全国を統一し,中国最初の統一帝国となる。統一後,秦はそれまでの社会体制を大改革し,郡県制を制定,官僚組織を整備するなど中央集権的国家体制をしき,これらの制度はのちの中国各王朝に引きつがれることになる。…

【神聖ローマ帝国】より

…中世西ヨーロッパのキリスト教世界は,教皇皇帝という二つの中心をもつ楕円のような世界であった。そこでは,ローマ教皇を頂点とする教会が〈キリストの神秘体〉と考えられ,組織全体として〈聖なるローマ教会sancta Romana ecclesia〉とよばれたのに対応して,かかる教会の防衛を任務とする皇帝によって支配される超国家的領域は,〈ローマ帝国〉〈神聖帝国〉ないし中世中期以降は〈神聖ローマ帝国〉とよばれた。…

【神寵帝理念】より

…〈神の恩寵によって地上に立てられた皇帝〉(ドイツ語でKaiser von Gottesgnaden)を支配権の根底におく考え方。神帝とは区別される。…

【ビザンティン帝国】より


【キリスト教ローマ帝国理念】
 コンスタンティヌス1世の時代にカエサレアの司教エウセビオスによって提唱されたこの理念の内容は次のようであった。すなわち,ローマ帝国初代の皇帝アウグストゥスは,神の摂理で世界をキリスト降誕のそのときに統一し,それによってキリストの福音がひろまるべき政治的な枠組みをつくり上げた。その300年後にコンスタンティヌス1世が現れ,同じく神の摂理で自らキリスト教に改宗するとともに,ローマ世界帝国のなかにキリストの教えを有機的に植えつけた。…

※「皇帝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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