旺文社世界史事典 三訂版 「カティンの森虐殺事件」の解説
カティンの森虐殺事件
カティンのもりぎゃくさつじけん
Katyn Massacre
1943年ドイツがスモレンスク付近のカティンの森で,ポーランド人将校4500余名の死体を発見。当初デマとソ連は否定したが,のちソ連秘密警察による犯罪と判明し,ゴルバチョフ大統領が謝罪した。
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
外国人や外国の思想・文物・生活様式などを嫌ってしりぞけようとする考え方や立場。[類語]排他的・閉鎖的・人種主義・レイシズム・自己中・排斥・不寛容・村八分・擯斥ひんせき・疎外・爪弾き・指弾・排撃・仲間外...
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