警察とは何をいうかは,国によって異なっている。ドイツやフランス等の大陸系の諸国では,警察とは〈公共の安全と秩序を維持するために,国の一般統治権に基づいて権力的に人の自然の自由を制限する作用〉と考えられてきた。このような警察概念は,もともとPolizeiという語を,〈公共の福祉〉という国家目的のために行われる国家作用一般を意味するものとして把握した15世紀後半に確立された考え方にその淵源を有する。警察は,当初すべての国家作用を意味するものとしてとらえられていたが,その後18世紀にかけてしだいに外政,軍政,財政および司法を除く内務行政に限定して理解されるようになった。そしてさらに自然法思想等の影響により,警察は治安維持を目的とする権力作用として,つまり積極的に人民の福利を図る作用を除いて理解されるようになった。その例として,プロイセン一般ラント法の第2章17節10条が〈公の静穏,安全および秩序を維持し,かつ公共体またはその成員に対して生ずる危険を除去するために必要な措置をとることが警察の責務である〉と規定し,フランスの軽罪処罰法16条が,〈警察は,公の秩序,自由,財産および個人の安全を維持するために設けられる〉と規定していることがあげられる。
これに対して,イギリス,アメリカでは,警察は,もともと刑事犯=市民的法益侵害を除去するための司法警察が重要視されてきた。イギリス,アメリカでは,警察は,市民の自由や権利を守るための裁量権限のない権力作用として理解されてきたといえる。
日本の警察についての考え方は,大陸系の諸国における伝統的理解を引き継ぎ,それをむしろ日本的に脚色する形で成立した。たとえば日本の警察制度の創設者である川路利良は,〈海陸軍ハ外部ヲ護スル用兵ナリ,警察ハ内部ヲ補フ薬餌ナリ〉と述べ,警察と国民の関係は,〈一国ハ一家ナリ,政府ハ父母ナリ,人民ハ子ナリ警察ハ其保傅ナリ〉と説明している。ここでは,国民は,子供=未成年者であり,警察は,国民=未成年者の保育者としてとらえられている。こうした考え方を背景にして,行政警察規則(1875年の太政官達)第1章1条は,〈行政警察ノ趣意タル人民ノ兇害ヲ予防シ安寧ヲ保全スルニアリ〉と規定したのである。このような警察の理解においては,それが,消極的作用であり,また国家作用であり,権力的作用であることが重視されており,かつ警察は国民の保育者でもあるとみる点に特徴があった。
大陸系諸国や日本では警察は司法警察と行政警察に分けて理解されてきた。司法警察とは,犯罪の捜査,被疑者の逮捕などのような刑事司法権の補助的作用としての警察をいい,行政警察とは,行政上の目的を達成するために行われる警察をいうのである。
行政警察はさらに狭義の行政警察と保安警察に分類して説明される。保安警察とは,他の領域の行政作用と関係なしにそれ自身独立の作用として行われる警察をいい,例えば,風俗警察,言論出版に関する警察などがそれにあたる。これに対して狭義の行政警察とは,他の行政作用に関連して行われる警察であり,警察機関以外の行政機関によって行われる警察である。例としては,衛生警察,産業警察などがあげられる。
なお,学問上警察概念を論ずる場合は,必ずしも後述する警察機関の権限や所掌事務の範囲の問題に限られず,広く警察作用の実質の問題として考える必要がある点は注意を要する。
現在,警察法(1954公布)は,警察の責務として,〈警察は,個人の生命,身体及び財産の保護に任じ,犯罪の予防,鎮圧及び捜査,被疑者の逮捕,交通の取締その他公共の安全と秩序の維持に当ることをもつてその責務とする〉(2条1項)と規定している。これは刑事司法権の補助的作用としての警察=司法警察を警察機関の主たる責務としつつ若干の行政警察を警察機関の責務として規定しているものといえる。
警察に関する伝統的な考え方については検討を要する点をいくつか指摘できよう。まず,日本国憲法の基本精神からすれば,そもそも国政は国民の厳粛なる信託に基づき,国民の福利を実現するために行われなければならないのであって,その見地からすれば,伝統的警察概念でいう公共の安全と秩序というものも,国民の生命,身体,財産などの人権とそれを保護するための社会的諸制度を擁護する作用としてとらえられねばならない。
また警察の用いる手段も,今日では権力的手段と限定されず,各種の非権力的手段も存在している。例えば,消防法,水防法上の指導,助言(消防組織法20条,20条の2,水防法35条の2),救急業務への協力要請(消防法35条の7)などがその例である。また,警察法2条1項を根拠に行われている警備情報収集活動も,その当否はともかくとして,非権力的警察活動であるということができよう。
さらに警察の存立の基礎を,国の一般統治権とすることに対しても,それでは,地方自治体の秩序維持作用を正当に理解できないことになると思われる。従来は,警察は国の一般統治権に基づく作用であるとして,警察行政機関に対する一般的・包括的授権も認められるかに解されてきたが,憲法41条(〈国会は国権の最高機関であつて国の唯一の立法機関である〉)および法治主義の基本原理からしても,警察作用に対する一般的・包括的授権を認める見解は正当ではないというべきであろう。
以上述べた見地よりすれば,警察を司法警察と行政警察に区別して理解するとしても,行政警察は,〈公共の安全と秩序を維持する消極的行政作用〉として理解されるべきであろう。しかしこの見解は今日多数の支持するところとはなっていない。今日ではむしろ,警察作用を積極的作用としても理解すべきだとする見解もある。このような見解は,今日の国家を,秩序維持者,外敵の排除者としての夜警国家=消極国家から国民の生存を配慮するための給付国家=積極国家へ転換したものとしてとらえ,こうした給付作用担当者としても警察をとらえようとしている。そこでは,狭義の行政警察としてとらえられる衛生警察,産業警察,建築警察などの警察行政権限は,一般的な公共の安全や秩序の維持作用=消極作用としてでなく,人権擁護の見地から積極的に権限を行使すべき行政領域としてとらえられるべきだとされるのである。しかし,隣人の日照権や通風権保護のための建築主への規制や,国民の健康権を保護するための衛生警察上の規制権限などは,今日では,警察行政の枠内で説明すべきではなく,医事衛生行政,環境保全行政の枠内でそれぞれ把握されるべきものであると思われる。また産業警察も経済行政,消費者保護行政の枠内の問題として説明されるべきであろう。今日の国家を給付国家として説明すること自体に批判があるほかに,警察行政作用を積極的行政作用として理解することにも問題があるものとする見解が有力に主張されている。
また伝統的警察概念が〈人の自然の自由を制限する作用〉とする場合の〈人の自然の自由〉と,現行憲法の保障する基本的人権との関係についても検討が必要であろう。
明治初年には警察は軍務官(およびその後身の兵部省)の所管であった。1869年(明治2)11月兵部省は各藩から兵士を選抜して府兵を組織して東京府の警察事務を行わせたが,その他の各地方にも府兵・県兵が置かれた(これらは1871年に廃止)。72年には警察が司法省警保寮の所管となり,軍事と警察は分離された。警保寮は東京の邏卒を指揮したほか,全国の警察の整備・統一に一定の役割を果たした。さらに73年警保寮は新設の内務省へと移管された。そして,74年には太政官布告〈司法警察規則〉,75年には同じく〈行政警察規則〉が公布され,司法警察,行政警察の概念が確立された。警保寮は,77年には警視局,続いて81年には警保局と改称した。そして東京では若干の変遷を経て81年に復活した警視庁が警察をつかさどり,その他の地方では90年以後警察部が警察をつかさどることとなった。こうして戦前の警察制度はほぼ確立されたが,第2次大戦終了後に旧警察法(1947公布)が制定施行されるまで,日本の警察権(警察作用の根拠となる権力)は,すべて国家の権能として行使された。内閣官制のうえで警察とは,保安警察のことをいい,内務大臣がこれを所轄していた。また,憲兵隊も国防保安法その他の軍機保護立法の下で,国民に対して警察権を持っていた。
第2次大戦後新憲法が制定され(1947公布),それにともない戦前の諸制度は,大幅に改革された。戦後改革の一環として出発した新しい警察制度は,民主主義確立の立場と地方自治の尊重,人権擁護の立場から内務省を解体して派生したものである。つまり,従来警察機構の任務とされていた諸事務のうち若干のものは労働省,建設省,厚生省,消防庁のほか,地方公共団体の長の権限とされ,警察機構の所掌事務は大幅に縮小された。
警察機構自体についても,1947年に公布された旧警察法は,従来の中央集権的国家警察体制を根本的に改革し,国家地方警察(略称,国警)と,市および人口5000人以上の市街的町村に設置する自治体警察(略称,自警)の二本建てとし,その管理も民間人からなる公安委員会にゆだね,警察運営の民主化を図った。
しかし,自治体警察の多くの面における非効率や,国の治安維持責任の不明確さを改める等の理由によって,戦後改革の一環として生まれた旧警察法にかわって現行警察法が54年に制定されたのである。
現在,日本の警察機構を定めている警察法の1条は,〈個人の権利と自由を保護し,公共の安全と秩序を維持するため,民主的理念を基調とする警察の管理と運営を保障し,且つ,能率的にその任務を遂行するに足る警察の組織を定める〉ことを警察法の目的とし,警察は,〈個人の生命,身体及び財産の保護に任じ,犯罪の予防,鎮圧及び捜査,被疑者の逮捕,交通の取締その他公共の安全と秩序の維持に当ることをもつてその責務とする〉(2条1項)と規定している。さらに〈警察の活動は,厳格に前項の責務の範囲に限られるべきものであつて,その責務の遂行に当つては,不偏不党且つ公平中正を旨とし,いやしくも日本国憲法の保障する個人の権利及び自由の干渉にわたる等その権限を濫用することがあつてはならない〉(2条2項)としている。
(1)都道府県警察 現行警察法は,以前の市町村の自治体警察を統合して都道府県警察とした。都道府県警察は当該都道府県について警察法2条にいう責務に任ずる。これは都道府県がみずから警察を維持し,警察の責務に任ずるということであり,その意味で都道府県警察は一応は自治体警察であるといえる。
都道府県知事の所轄の下に都道府県公安委員会が置かれる(38条1項)。都道府県公安委員会は都道府県警察を管理する(同条3項)。都警察の本部として警視庁が,また道府県警察の本部として道府県警察本部が置かれ,それぞれに対応する公安委員会の管理の下に,都警察および道府県警察の事務をつかさどる(47条)。警視庁の長は警視総監であり,道府県警察本部の長は道府県警察本部長である。なお,北海道における函館,旭川,北見,釧路の四つの〈方面〉には方面本部が置かれ,それを管理する機関として方面公安委員会が置かれる(51条)。また,政令指定都市における道府県警察の事務を分掌させるため,市警察部が置かれる。警視総監は国家公安委員会が都公安委員会の同意を得たうえ内閣総理大臣の承認を得て任免し,道府県警察本部長および方面本部長は国家公安委員会が道府県公安委員会の同意を得て任免する。また,都道府県警察の職員のうち,警視総監,警察本部長,方面本部長以外の警視正以上の階級にある警察官は一般職の国家公務員として位置づけられ(56条1項),その任免は国家公安委員会が都道府県公安委員会の同意を得て行い,その他の職員は警視総監または警察本部長が都道府県公安委員会の意見を聞いて任免する(55条3項)。なお,都道府県警察の職員のうち,警視正以上の階級にある警察官を地方警務官といい,それ以外の都道府県警察の職員を地方警察職員という。
都道府県警察は相互に協力する義務を負う(59条)。都道府県公安委員会は警察庁または他の都道府県警察に援助を要求できる(60条1項)。また,都道府県警察は,その管轄区域内における犯罪の鎮圧および捜査,被疑者の逮捕その他公安の維持に関連して必要がある限度においては,その管轄区域外にも権限を及ぼすことができる(61条1項)。都道府県警察の警察官は,上記61条の場合等を除いて,当該都道府県の管轄区域内で職権を行う(64条)。(2)中央機構 内閣総理大臣の所轄のもとに置かれる国家公安委員会は,〈国の公安にかかわる警察運営をつかさどり,警察教養,警察通信,犯罪鑑識,犯罪統計及び警察装備に関する事項を統轄し,並びに警察行政に関する調整を行うことを任務とする〉(5条1項)。さらに国家公安委員会の管理下に警察庁が置かれ,(a)警察に関する諸制度の企画及び調査,(b)警察に関する国の予算に関すること,(c)国の公安にかかわるものについての警察運営に関すること,(d)緊急事態に対処するための計画およびその実施に関すること,(e)全国的な幹線道路の交通規制,(f)皇宮警察に関すること,(g)警察教養,警察通信,犯罪鑑識に関することおよびそれぞれの施設の維持管理,(h)犯罪統計に関すること,(i)警察装備に関すること,(j)警察職員の任用,勤務および活動の基準に関すること,(k)警察行政の調整,(l)以上の事務遂行に必要な監査事務などを担当している(17条,5条2項)。警察庁長官は国家公安委員会が内閣総理大臣の承認を得て任免する(16条1項)。警察庁長官は警察庁の所掌事務について都道府県警察を監督する(同条2項)。警察庁にはその所掌事務の一定部分を分掌させるため地方機関として管区警察局が置かれ(30条),東京都および北海道における警察通信に関することを分掌させるため東京都警察通信部と北海道警察通信部が置かれる(33条1項)。管区警察局長は警察庁長官の命を受け,管区警察局の所掌事務について府県警察を指揮監督する(31条2項)。
なお,内閣総理大臣は大規模な災害または騒乱その他の緊急事態において,治安維持のためとくに必要があると認めるときは,国家公安委員会の勧告に基づき,全国または一部の地域について緊急事態の布告を発して,一時的に警察を統制することができる(71条,72条)。
警察は政治的に中立でなければならないが,前述のように,中央警察機関としての国家公安委員会は,内閣総理大臣の所轄のもとにおかれ(4条),その委員長は,国務大臣=政治家をもってあてることになっている。この点,警察の公正中立性を確保できるかにつき,疑問がないわけではない。また,国家公安委員会や都道府県公安委員会は,行政委員会であり,合議制の機関として組織されているが,現実には事務局にあたる警察庁および都道府県警察主導の運営がなされており,行政委員会の形態をとった本来の警察民主化機関としての活動の活性化が求められている。
また,警察官は,団結権を保障されておらず(国家公務員法108条5項,地方公務員法52条5項),労働組合を結成した警察官は,国家公務員である場合には,3年以下の懲役または10万円以下の罰金に処せられる(国家公務員法110条1項20号)。これに対し,イギリス,アメリカの警察官はスト権を剝奪されていない。警察官は政治的行為についても制限を受けている(102条,110条19号,地方公務員法36条)。また警察官の職務については点数制による独特の勤務評定制度が存在しており,それが警察官の行動に与える影響を問題視する見解もある。また,警察官は交友関係についても厳しい規制をうけており,市民社会とは異質の〈警察社会〉の存在やあり方には厳しい批判もある。さらに,それを維持するものとして,日本独特の警察官僚制の存在がある。いわゆるキャリア組とノンキャリア組の待遇・権限には大きな相違が存在し,これには警察社会の中に独特の身分的位階秩序を濃厚に残存せしめるとともに,警察官が市民の人権保障のために精進することに関して,上に対する忠誠のみを重視する傾向を生み出しているという批判も存在している。
現実の警察機構において,予算,人員,その他の運営上においても,いわゆる警備公安警察に向けられる割合の大きさにも注意を要する(警備警察)。このような警察は,秘密警察であり,予防警察であって,日本国憲法の人権尊重原則,民主主義的行政運営の原則よりしてこれを問題視する見解も少なくない。しかも,こうした警備公安警察活動を経験した者が,警察庁幹部にも多いことが問題視されている。こうした警察は,戦前の国家体制を維持する警察として猛威をふるった特別高等警察,高等警察を想起させる。
日本の警察は,欧米と違い伝統的に市民生活,民事上の生活関係に広範に介入する警察としても独特の性格をもっている。外国の研究者などによる日本の警察への称賛の声は,主として交番システムによる市民と警察の協力関係の密接さに向けられている。外勤警察のあり方の検討は,警察庁文書《70年代の警察》におけるCR戦略(コミュニティ・リレーションズ戦略)でも重要視されている。欧米のように,市民生活への不介入を厳しく考えているところとちがって市民の生活相談,民事上の法律関係への介入がむしろ農村地帯では常態であり,〈おまわりさん〉として親しまれる警察の姿は,欧米の研究者・市民からは特異の眼でみられるものである。しかし,この点は,独立した市民社会の未成熟のあらわれとしてむしろ日本的みじめさとしてとらえる見解もある。
以上に述べたように,現代日本の警察組織や活動については,検討や改革を要するもろもろの点を指摘できる。
警察組織の活動を日本国憲法の精神に沿って法的に統制するためには,どのような法的論理が必要であろうか。
今日の日本の実定法制においては,警察法上も,いわゆる組織法と作用法の区別が重要である。組織法とは,各種行政機関の権限の所在や責務に関する規定をいう。これに対して作用法とは,そうした権限や責務を次のような法的要件のあるときに,どのような程度の権限をだれに対してどのような手続で行使できるかということを定める。いかなる行政機関も,その権限を行使するためには,組織的授権だけでは足りず,作用法上の授権も必要である。このことは警察に関しても妥当することであり,さまざまな警察活動につきそれぞれ検討する必要がある。この意味で,警備公安警察の手段としての内偵,張込み,尾行,盗聴などを警察法2条1項(責務規定)を唯一の根拠として正当化することには疑問がある。
さらに問題になるのは,警察裁量の法的統制の問題である。警察裁量とは,現実に警察行政機関に権限を授権する法規が,いかなる権限をいかなる程度において,いかなる要件があるときにだれに対して行使できるのかについて,明確に一義的に規定していないときに生ずる警察行政機関の判断の余地のことである。今日でも警察法令上一般的抽象的な不確定概念が使用されることが少なくないので警察裁量の法的統制の問題はきわめて重要である。そこでまず警察行政機関に権限を授権する法規のあり方が問題にされなくてはならない。すでに述べたような一般的・包括的授権がまず憲法41条および13条(個人の尊重,生命・自由・幸福追求の権利の尊重)の見地から許されてはならないし,さらに,法令の委任を受けて行われる警察行政機関の委任立法,たとえば,公安委員会の規則制定のあり方が問題にされなくてはならない。こうした警察立法権限における裁量の法的統制のほかに,従来注目されてこなかった事実行為における裁量の統制も問題にされなくてはならない。たとえば,警察官職務執行法における職務質問や,同法5条にいう〈警告〉や〈制止〉における裁量の統制の問題である。これらは,事実行為の発動権限を警察官が把握している以上,人権擁護の見地からとくに要請されるものである。
行政法学においては伝統的に,警察権限行使の限界に関する理論として,(1)警察消極の原則,(2)警察責任の原則,(3)警察公共の原則,(4)警察比例の原則をあげ,これを条理上の法原則として説明してきた。警察消極の原則とは,警察が公共の安全と秩序に対する侵害の具体的危険性が存在するときにそれを除去するためにのみ行使されるべきだとする原則である。警察責任の原則とは,警察違反の事実や状態を生ぜしめている責任者に対してのみ警察権限の行使は行いうるにすぎないとする原則であり,警察公共の原則とは,警察権限は公共の安全と秩序を維持するためにのみ行使しうるのであって,私住所,私生活,私法上の法律関係への警察の不介入を定めるものである。また,警察比例の原則とは,警察権限の行使は,対象となる社会公共に対する障害の大きさに比例しなければならず,つねに警察目的を達成するための必要最小限度でなければならないとするものである。こうした諸原則に反して行使された警察権限は,警察裁量権の濫用=警察権の濫用として違法となる。
ただこの法理は,警察に対する一般的・包括的授権を認め,しかも法令と行政権限行使の形式的適合性のみで十分とする形式的法治主義を採用していた時代を背景に警察権限を実質的に統制するための条理上の法原則として採用されたものであった。しかし,警察消極の原則は,警察概念の問題として明らかにしうるし,警察公共の原則や警察比例の原則は,人権尊重,民主的行政の確立を規定する現行憲法上は当然の法原則に属すものということができる。むしろ今日では,警察裁量権限は,警察立法権限への統制をも含めた視点から統制されるべきであろう。
警察行政の法的統制を徹底させるためには現実の警察活動に対する行政救済の問題も考慮されなければならない。
まず警察権行使が違法である場合の国家賠償の問題がある。国家賠償請求事件全体のうち,この種の事件は比較的多数存在する。さらに警察官個人の賠償責任の問題もあるが,国家賠償事件とのかかわりで公務員個人の責任を問うた場合は認容されないのが通例になっている。しかし,公正な職務執行と適正な規範意識の形成を促進する見地から,故意または重過失の場合には,警察官個人の責任を免除すべきではなかろう。また,警察権限行使にかかわる国の賠償責任を危険責任と解して,加害警察官の具体的・個別的特定は必ずしも必要でないとする判例もある。警察権限の不行使による損害についても,一定の要件の下では損害賠償責任は認められうる。
また,警察権行使については,損失補償を必要としないとする見解が従来有力であったが警察責任者(警察違反の状態の発生に責任のある者)でない者への警察下命による損失のほか,通常の受忍限度を超える損失が生じた場合は,警察責任者に対する警察下命による損失であっても,原則として補償が必要であるとする見解が有力である。
さらに,警察作用に協力した者に対して災害補償の制度があり,〈警察官の職務に協力援助した者の災害給付に関する法律〉(1952公布)などがこのような場合について規定している。
また,現に国民の権利・利益が警察活動によって妨害されている場合は,その活動が法的判断権の行使としてあらわれているか,継続的性質を有する事実行為としてあらわれている限り,行政不服審査または行政訴訟による救済を求めることができる。
なお,国民の生命,身体,健康などの重大な法益に対する侵害の明白な危険が切迫するときには,国民は警察権限の介入を求めうる警察介入請求権があるという見解があるが,いまだ定着した考え方とはなっていない。
もともと警察とは,公共の安全と秩序を維持する機関・作用である。絶対主義国家における公共の安全と秩序とはまさに君主=国家の安全と秩序にほかならなかった。しかし市民国家=市民革命をへた後は,公共の安全と秩序とはまさに市民の日常生活の安全と秩序の維持にほかならない。市民生活の安定確保のためにこそ警察機関は今日においてもその存在理由=公共性を主張しうるのである。
ところが,一方で現体制に敵対する思想や行動とそのための諸組織=結社に対して,これを権力的に排除することを目的とする警察が存在するという批判,具体的には警備公安警察をめぐる批判がしばしばなされている。そこでは,警備公安警察においては現体制自体の権力的維持が〈公共性〉としてとらえられており,その現行憲法の考え方からしてそれを正当化することは,困難であるとされる。
日本の警察は,今日いわゆる市民警察的活動にも力を入れている。しかしそれは,警備警察的活動の強化と相携えて強化されているという側面もある。すなわち,警察=市民の味方であり,警備警察活動の対象者=体制破壊者=市民の敵という推論が安易になされやすい。そこでは,警備公安警察は,市民警察の実質化であり,警備公安警察と市民警察は,公共性概念の下で矛盾しないものとして説明されるのである。たとえば,公安条例のあり方や運用についても大衆運動=暴徒=暴力=市民の敵として把握する論理の存在が指摘されよう。軽犯罪法や迷惑防止条例によるビラまき等の取締りにも同じような論理を指摘できる。
人権の擁護とそのための秩序の維持,住民生活の平穏は,自己自身の努力だけでは実現するものでなくそのための実力部隊を必要とするのは事実であるが,たいせつなことは,そのための実力をいかに民主的に統制とれたものにするか,ということである。
先進資本主義国の警察制度は,これを一応は英米型警察制度と大陸型警察制度に分けて把握することができる。英米型警察制度は,若干の国家警察を除き,自治体警察および行政委員会制度による警察管理制度をとっているのに対して,フランスに代表される大陸型の警察制度は,中央集権的な国家警察中心の警察制度をとっている点に特徴がある。警察が,公共の安全と秩序の維持に任ずるものであるかぎり,それは,それぞれの国における社会制度・国家制度のあり方と離れて存在しえないことを,このことは示している。
イギリスの警察には,県警察county police,特別市警察county borough police,組合警察combined policeおよび首都警察Metropolitan Police(俗称,スコットランド・ヤード),ロンドン市警察City of London Policeの区別があるが,首都警察を除いてすべて自治体警察である。首都警察は,内務長官の管理の下におかれているのであるが,県警察は,常任共同委員会,特別市警察は,監視委員会(特別市議会の常任委員会)などの管理の下におかれている。組合警察は,県と県,県と特別市が協議により共同して管理するものであり,ロンドン市警察は,市議会が管理するものである。
アメリカの警察には,市町村警察,州警察,連邦警察の区別がある。市町村警察は,自治体警察であり,州警察は自治体警察の管轄区域外の地域の警察を行うものである。警察の管理機関は,比較的大きい市では,市長あるいは市支配人または合議制の警察委員会または独任制の警察委員である。州警察の管理機関は,一般的には,州知事の任命する州警察長である。連邦警察(FBI)は,一定の国家的犯罪や州際犯罪を担当している。アメリカではイギリスと相違して警察委員会制度が廃止されてゆく傾向にあるといわれている。
大陸型警察制度の典型は,フランスの警察制度である。フランスでは,内務大臣の管轄下にパリ警視庁préfecture de policeと国家警察隊sûreté nationaleなどの主要な警察がおかれており,人口1万人以上の地方都市の自治体警察は,国家警察隊が監督している。また軍隊の警察機能も存在し,憲兵隊は,村落地域,および小さな町の警察業務に従事することがある。これらはすべて,内務大臣が指揮することになっている。
イタリアの警察は,軍事機構と一体となって組織されている点に特徴がある。つまり,内務大臣の管理の下,国防軍の一部である公安保護局guardia di pubblica sicurezzaの警察隊が,公共の安全と秩序の維持に当たっている。
このように先進資本主義国の警察制度をみてくるとき,日本の警察制度は,第2次大戦後の出発点においては,大陸型から英米型への移行を示しながらも,また大陸型へ復帰しつつあり,両者の混合型と一部でいわれる西ドイツの警察制度との対比が今後問題になるところである。なお,社会主義国の警察制度は,その国の統治構造を反映してか,例えば,旧ソ連の警察制度は,内務省が掌握する国家警察であり,外見からすると,大陸型警察制度に近いものであったといわれている。
執筆者:原野 翹
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
社会秩序の維持および国民生活の安全を確保することを目的とする行政作用、またはこれを担当する行政機関をいう。警察法が「警察は、個人の生命、身体及び財産の保護に任じ、犯罪の予防、鎮圧及び捜査、被疑者の逮捕、交通の取締その他公共の安全と秩序の維持に当ることをもってその責務とする」(2条1項)旨規定する場合における「警察」とは、行政作用の一種としての警察を意味し、他方、同法が「都道府県警察は、当該都道府県の区域につき、第2条の責務に任ずる」(36条2項)旨規定する場合における「都道府県警察」とは、警察作用を担当する行政機関としての警察機関を意味する。
[関根謙一]
〔1〕国民生活の安全および社会秩序の維持を確保することを目的とする行政の手段としては、古代とくに816年(弘仁7)ころに検非違使(けびいし)庁が創設されて以来明治維新に至るまでの間は、主として犯人の追捕(ついぶ)と糾弾の方法によっていた。もちろん、明治維新以前においても、自身番・木戸番の制度や、賭博(とばく)・売春の取締り、淫祠邪教(いんしじゃきょう)の取締り、鉄砲の取締り等、今日「警察」に属すると考えられている行政上の制度や作用が存在していたが、これらは、「警察」という特別な行政の一部門として観念されることなく、多くは「取締り」の観念の下に、主たる手段である犯人の追捕・糾弾の作用とともに、渾然(こんぜん)一体をなして一般の行政に属せしめられていたのである。
明治以降、権力分立思想に基づく法制が整備されるに及んで、国民生活の安全および社会秩序の維持の確保の手段は、行政権に属する作用と司法権に属する作用とに二分され、それまでのおもな手段であった犯人の追捕・糾弾の方法による作用が司法権に属させられることとなるとともに、新たに、命令強制の方法による作用が行政権に属させられることになった。前者を「司法警察」とよび、後者を「行政警察」ないし単に「警察」とよぶ。これは、フランス型の権力分立思想に基づく制度に倣ったものであり、ここに、三権分立を制度的前提として行政権に属する作用としての近代的な「警察」の観念が成立するのである。
〔2〕1872年(明治5)10月太政官(だじょうかん)布告第17号をもって公布された司法省警保寮職制第2章第2条は「警保寮ヲ置クノ趣意ハ国中ヲ安静ナラシメ人民ノ健康ヲ保護スル為(ため)ニシテ安静健康ヲ妨クル者ヲ予防スルニアリ」と規定して、その後における警察の観念の萌芽(ほうが)を示しているが、まだこの段階では、「行政警察」と「司法警察」との区別が確立しておらず、行政権に属する作用としての「警察」の観念が明確に意識されているものではなかった。
〔3〕1874年(明治7)1月に、警保寮が司法省から内務省に移管されたが、その際に太政官から発せられた警保寮職制並事務章程は、フランスの制度に倣って「行政警察」と「司法警察」とを明確に区別するに至った。さらに、1875年(明治8)3月太政官達第29号をもって発せられた行政警察規則は、行政警察の概念内容をいっそう明確に示すに至り、ここに、行政権に属する国家作用としての「警察」の観念が成立したのである。
[関根謙一]
明治憲法下における「警察」の概念については、概念構成の方法論に関する対立に基づき、「学問上の警察の概念」と「法上ないし法制上の警察の概念」との対立があり、両者の間における論争は、最後まで結着をみるに至らなかった。
〔1〕「学問上の警察の概念」とは、主として美濃部達吉(みのべたつきち)が、明治憲法第9条の規定の解釈との関連において、主張する警察の概念である。明治憲法第9条は、「天皇ハ法律ヲ執行スル為ニ又ハ公共ノ安寧秩序ヲ保持シ及臣民ノ幸福ヲ増進スル為ニ必要ナル命令ヲ発シ又ハ発セシム」と規定していた。美濃部は「公共ノ安寧秩序ヲ保持スル為ニ必要ナル命令」とは保安目的の命令であり、「臣民ノ幸福ヲ増進スル為ニ必要ナル命令」とは福利目的の命令であるが、そのいずれの目的の命令も、内務行政の目的の範囲に属する命令であり、警察目的の命令であるとした。すなわち、明治憲法第9条に規定する命令の目的の範囲は「警察」の目的の範囲と「完全相一致スル」ゆえに、「憲法第九条ハ畢竟(ひっきょう)スルニ執行命令及行政規則ノ外ニハ唯(ただ)警察命令ノ大権ヲ認メタルモノニ外ナラス」とした。他方において美濃部は、警察の概念について、「法律上ノ観点ヨリ謂(い)ハハ其ノ目的ノ積極的ナルト消極的ナルトニ依(よ)リテ其ノ行為ノ法律上ノ性質ヲ区別スヘキ理由ヲ看出スコトヲ得」ないがゆえに、「警察トハ、社会生活ノ秩序ヲ維持スルガ為ニ国家ノ一般統治権ニ基キ人民ニ命令シ強制シ其ノ自然ノ自由ヲ拘束スル作用ヲ謂(い)フ。」(『日本行政法』中巻)ものと定義すべきであると主張するとともに、警察の概念において、「第一ノ要素トシテ挙ケラルルモノハ命令及強制ノ権力ニ依ル作用ナルコト」にあるのであって、その目的が保安目的であるか福利目的であるかを問わず、命令強制の権力作用は警察に属する作用であるのに対し、非権力的作用は、その目的の積極的であるか消極的であるかを問わず、警察作用ではなくて「保育」の作用である、とした。
〔2〕以上みてきたように美濃部によれば、明治憲法第9条の解釈に関して、ひとまず、保安目的の命令も福利目的の命令もともに警察命令であるとするのであるが、ここで、ただちに、警察権の限界の理論、とくに目的に関する限界(いわゆる「消極目的の原則」)の理論を持ち込んで警察命令制定権の範囲の縮小を試みるのである。すなわち、博士によれば、警察命令は、法規命令たる性質を有する命令であるが、法規すなわち個人の自由を制限する規律を定めることができるのは、ただ消極目的すなわち保安目的の分野に限られるのであって、福利目的のような積極目的の分野においては、法規命令を制定することができず、行政規則のみを制定することができるにすぎない、とする。その結果、明治憲法第9条の独立命令制定権は保安目的の分野においてのみ法規命令を制定することを承認する規定であるということになるが、このことは、警察命令制定権に「警察権の限界」の理論を適用した結果にすぎない、とするのである。このように、明治憲法第9条の独立命令は警察命令であると主張することによって美濃部は、この独立命令制定権に警察権の限界論を適用し、その結果、福利目的のための法規命令の制定の可能性を理論上封ずることができたのである。
美濃部による「警察権の限界論」は、明治憲法第9条の独立命令制定権の範囲を限定し、警察命令を制定する場合における準則としての機能をもたせようと試みたため、いろいろと変遷したが、最終的には、(1)目的に関する限界(いわゆる「消極目的原則」)、(2)警察公共の原則、(3)警察の比例の原則、(4)警察責任の原則、の4原則にまとめられるに至った(『日本行政法』下巻)。
〔3〕美濃部による警察概念は、「学問上の警察の概念」といわれるが、「学問上」といわれるのは、学問的分析の手段として概念を構成する場合には、法律上の観点からみて共通の性質の作用であって、共通の法理・法原則に服する作用は共通の概念の下に包摂せしめることが望ましいわけであるが、この場合における「警察」の概念も、このような観点から学問上の分析道具として思弁的に構成された概念であって、実定法上の「警察」とはなんら関係のない概念である、との理由からであった。そして、この場合における「警察」に属する作用に共通する法律上の性質とは、目的、手段、権力の3点における性質のことであり、共通の法理・法原則とは、主として「警察権の限界論」に由来する法原則を意味していた。
美濃部の見解に対しては、大要次のような疑問が提起されていた。
(1)警察の「概念」においては、福利目的も保安目的も、すなわち積極目的も消極目的も、いずれも警察目的に含まれるとしながら、「限界論」においては、消極目的の原則を掲げて、結局、警察目的を保安目的のみに限定するのはなぜか。
(2)「学問上の警察」概念とは、目的のいかんを問わず、ただ、手段が命令強制の権力作用である、というにすぎないのではないか。
(3)美濃部が前記のような主張をするのは、明治憲法第9条の解釈において、保安目的の命令についてのみ法規的事項を定めることができるが、福利目的の命令については単なる行政規則しか制定することができない、と主張するためではないか。
(4)要するに、「学問上の概念」とはいうものの美濃部の警察の概念はそのユニークな憲法解釈の方法と結合されており、明治憲法第9条の独立命令制定権の範囲を制限するために考案されたイデオロギー的性格を有する概念であって、このような概念構成の方法は、現行法体系の統一的理解と整序を目的とする法律学における概念構成の方法として根本的に誤っているのではないか。
[関根謙一]
佐々木惣一(そういち)による「警察の概念」は、「学問上の概念」に対する以上のような疑問から出発する。
〔1〕佐々木説では、警察の概念を明らかにするには、厳正に法が警察として思考するものをみるほかはなく、法を認識する者が自身で学問上の概念として構成するものや、法を認識する者が警察なる語に与える意義などは、けっして法上の概念とはいえないのであって、警察の概念を構成することは、わが国の現行法制が警察という語をもっていかなるものを示しているかを明らかにすることにほかならない、と主張したうえ、現行法制上根拠とすべき基本法は、1875年(明治8)の行政警察規則である、とする。佐々木が行政警察規則を根拠として構成した警察の概念は、次のとおりである。「警察とは、国家が、一般統治の下にある社会生活の秩序の障害を除去するが為に、その障害の原因たる事実に対する干与を、権力を用いて人の自然の行為の自由を制限することを中心として、為す所の包括的な活動をいう。」(『警察法概論』)。佐々木は、これを警察の「法上の概念」ないし「法制上の概念」であるといい、わが国の制度における警察の概念は、この意味における法制上の概念以外にはなく、学問上の概念なるものは存在しない、と主張したのである。
〔2〕「学問上の概念」と「法制上の概念」の相違点は、主として警察概念の構成要素としての「警察の目的」の内容とその要素が概念構成において占める重要性との2点における差異にある。「学問上の概念」における警察の目的には福利目的が含まれると同時に、目的の要素が警察概念の構成において占める重要性は、手段の要素に比較して軽い。これに対して、「法制上の概念」における警察の目的は保安目的に限定されるが、その目的の要素が警察概念の構成において占める重要性は、手段の要素に比較して重い。たとえば、「学問上の概念」論者は、警察概念の構成にあたり、保安目的と福利目的との間に差別をしないが、他方、手段による差別を導入して、同一の目的の作用であっても、権力作用を手段とするものを「警察」とよび、非権力作用を手段とするものを「保育」とよぶのである。これに対して「法制上の概念」論者は、保安目的の作用であるか福利目的の作用であるかの区別に基づき、前者を「警察」とよび、後者を「化育」ないし「育成」とよぶのであって、この場合においては、手段が権力的であるか否かはかならずしも重要な要素ではなく、警察の手段についても、包括的にみれば権力作用を中心としているが、個別的には非権力作用をも含むものであり、他方、「化育」行政においても、非権力的作用の手段のみならず、権力作用の手段をも含みうる、とするのである。
〔3〕要するに、「法制上の概念」は、実定法上の概念としての警察の概念内容を確定することを主たる目的として構成されたものであり、「学問上の概念」のように憲法上の独立命令制定権の範囲に限定を加えることを目的として構成されたものではなかったから、「学問上の概念」論者にとって警察命令を制定する場合における立法原則として重要な機能を有する「警察権の限界論」は、「法制上の概念」論者にとっては、さしたる重要性を有する理論ではなかった。それは、せいぜい、実定法上の文言たる「不確定概念」の解釈の基準としての機能を有するにすぎない理論であった。したがって、「法制上の概念」を前提とする「警察権の限界論」においては、「学問上の概念」を前提とする限界論において主として警察命令に関する立法上の原則としての機能を有するものとして主張される(1)消極目的の原則と、(2)警察責任の原則の二つの原則については、これを認める必要がなく、ただ、実定法上の不確定概念を確定するための解釈基準としての機能をもあわせ有する(1)私生活自由の原則(警察の合目的性に基づいて生ずる限界)と、(2)警察比例の原則(警察の手段の必要性に基づいて生ずる限界)の2種類の限界の存在を承認するのみである。
〔4〕第二次世界大戦前においては、「学問上の警察の概念」が、学説としては少数説であったにもかかわらず、警察の実務を支配していた。戦前、衛生、営業、交通等の各行政分野で、牛乳営業取締規則、道路取締令、労働者募集取締令等の内務省令や、料理屋飲食店営業取締規則、浴場及び浴場業取締規則等の庁府県令が明治憲法第9条の規定に基づく警察命令として多数制定されたが、これらはいずれも、「学問上の警察」およびこれを前提とする「警察権の限界」についての理論に基づいて制定されたものであった。
[関根謙一]
新憲法の施行に伴い、戦前「警察の概念」を構成するうえにおいて重要な役割を演じていた明治憲法と行政警察規則が廃止された。そして、新憲法においては、独立命令たる警察命令の制定権が否定されて、立法権は国会の独占するところとなった。その結果、警察命令制定権の範囲を制限する機能を有していた「警察権の限界」の理論と、この理論を誘導する機能を有していた「学問上の警察」の概念は、いずれも、その主たる機能を失うことになった。また「法制上の警察」の概念も、その概念構成の根拠であった行政警察規則が廃止されたため、その根拠を失うことになった。他方、新憲法は、その権力分立思想についても変更を加え、戦前の大陸型権力分立思想から英米型の権力分立思想に転換したため、戦前、司法権に属する作用とされ、「司法警察」の名でよばれていた犯罪捜査の事務が、戦後は行政権に属するものとされ、警察機関が担当することとされるに至った(警察法2条、刑事訴訟法189条)。これに伴い、「司法警察」の概念が消滅したため、司法警察の対立概念であった「行政警察」の概念も、また、存在根拠を失うことになった。現行警察法においては、警察の目的を「個人の権利と自由を保護し、公共の安全と秩序を維持する」(1条)ことと規定するとともに、冒頭に記したように、警察の責務に関し、「警察は、個人の生命、身体及び財産の保護に任じ、犯罪の予防、鎮圧及び捜査、被疑者の逮捕、交通の取締その他公共の安全と秩序の維持に当ることをもってその責務とする。」(2条1項)とのみ定めて、手段に関する規定を置いていない。警察機関は、この目的および責務を達成するため、権力的手段のみならず、誘導、助言、勧告、指導、情報およびサービスの提供、金銭の給付等の非権力的な各種の手段を講じて、「国民の幸福の増進」と「公共の福祉の実現」に努力している。権力的手段を用いる場合には、その手段の行使について、法令上に根拠を有しなければならないことはいうまでもない。そのような法令としては、警察官職務執行法、刑事訴訟法のほか、道路交通法、風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律、銃砲刀剣類所持等取締法、警備業法等、多数の例がある。
なお、警察の手段の変遷について一言付け加えておく。明治以前においては、治安維持の作用は、主として犯人の追捕・糾弾の手法によっていたが、明治憲法下においては、犯人の追捕・糾弾の手法は従たる地位に退き、これにかわって、行政上の命令強制の権力作用が主たる手段としての地位を占めていた。新憲法下の警察行政においては、このような行政上の権力作用の手段もまた従たる地位に退かんとし、かわりに、非権力作用たる助言、指導、勧告、情報およびサービスの提供、金銭の給付等の作用が警察の手段として主要な地位を占めようとしている、といってよいであろう。
[関根謙一]
明治憲法下においては、警察の事務は国の事務であり、警察の組織は内務省に従属する国家行政組織であり、警察官はすべて内務大臣の指揮監督に服する国の官吏であった。明治憲法下におけるこの国家警察の制度は、戦後においては、自治体警察を基本とする警察制度へと根本的に改められることになった。
〔1〕1948年(昭和23)に施行された旧警察法は、当時日本を占領していた連合国最高司令部(GHQ)の指令に基づき、市および人口5000人以上の市街的町村においては、当該市町村の区域を管轄する市町村警察を設置することとし、あわせて、それ以外の田園地帯を管轄する国家警察(国家地方警察)を各都道府県ごとに設置することとする、という自治体警察と国家警察との二本立ての制度を設けた。その結果、全国に1605の自治体警察と46の都道府県国家地方警察とが併立することになったが、この制度は、警察行政についての政治的中立性と民主的管理の確保を図るうえで長所を有する反面、非能率かつ不経済であるのみならず、わが国の実情にかならずしも適合していないという短所を有する制度であった。そこで、占領解除後の1954年に、旧警察制度の長所を生かすとともに、その短所を補うとの趣旨の下に制定されたのが、現行警察法である。
〔2〕現行警察制度のおもな特色は、次の2点に存する。第一の特色は、国の警察機関と都道府県の警察機関との2種類の警察機関を設けたことである。すなわち現行警察法は、警察の事務が、国家的性格と地方的性格をあわせ有する特殊な性質の事務であって、一義的に国家的性格の事務であるとも地方的性格の事務であるともいいきれない事務であるとの認識にたち、この事務を原則として都道府県に団体委任し、都道府県警察を警察行政の基本単位とすることとした。また、国の警察機関を設けて、国家的見地または全国的見地から都道府県の警察行政について統轄・調整その他の関与を行うことにより、各都道府県警察における警察事務の均質性と警察行政の統一性を確保するとともに、皇宮警察に関する事務のように、国家的見地からとくに国に留保する必要がある警察事務については、都道府県に委任することなく、国の警察機関がこれをつかさどることとした。その結果、国の警察機関と都道府県の警察機関との2種類の警察機関が存在することになったが、この2種の警察機関は、警察行政の円満な管理と運営を図ることを共通の目的として有機的に結合されており、旧警察法下における自治体警察と国家地方警察との間の関係のように、相互に無関係な独立の警察機関として並存しているわけではない。
現行警察制度の第二の特色は、国および都道府県のいずれの警察機関においても、行政組織の構造が管理機関と実施機関との2種類の行政機関から構成される複合的な構造を有していることである。すなわち、国の警察機関については、管理機関としての国家公安委員会と実施機関としての警察庁を置くこととし、都道府県の警察機関については、管理機関としての都道府県公安委員会と実施機関としての都道府県警察を置くこととした。そして、警察庁または都道府県警察がつかさどる事務については、国家公安委員会または都道府県公安委員会がこれを管理するものとし、他方、国家公安委員会または都道府県公安委員会がつかさどる事務については、警察庁または都道府県警察本部がこれを「補佐」するものとして、相互の有機的な結合を図り、もって警察行政の運営において政治的中立性と民主的管理を確保するとともに、能率的な運営を期することとしている。
[関根謙一]
行政法学においては、警察とは、消極的な社会目的のために、命令・強制によって人民の自然の自由を制限する一般統治権の作用をいう。実定法上警察機関の職務とされているものには限られない。この警察権については伝統的に次のような限界があるとされてきた。
[阿部泰隆]
警察権の目的を社会秩序の維持や災害防止など消極的なものに限定し、福祉の増進や私的競争関係への介入を目的としてはならないとするもので、たとえば、旅館業、飲食店営業の許可は公衆衛生の確保を目的とするだけで、業者間の過当競争による共倒れは法の規制の枠外である。
[阿部泰隆]
警察権は、客観的に公共の安全・秩序に対する障害を生じ、または生ずるおそれがあるときに、その状態の発生に客観的に責任ある者にのみ発動できる。主観的な責任を問うものではないから、その障害の発生について責任のない者に対しても警察権を発動できる。たとえば、延焼のおそれのある建物を取り壊す破壊消防(消防法29条2項)がある。
[阿部泰隆]
警察権は私生活、私住所に侵入してはならず、民事上の法律関係に干渉してはならない。もっぱら社会公共に対する障害の防止に努めるべきである。たとえば、交通事故については、警察官が調べるのは刑事上の側面のみで、民事上の損害賠償には介入しない。このことは逆に、刑事事件にならないと警察が市民を守らないという問題をも惹起(じゃっき)する。
[阿部泰隆]
警察権の発動は、発動を必要とする事態の重大性の程度と均衡を失しないようにしなければならない。いわゆる、雀(すずめ)をねらって大砲を打つな、との原則である。ささいな違反を理由に営業免許などを取り消すとか、デモ隊にピストルを発射するのもそうである。
以上の警察権限界の法理は、もともと広範な行政の自由裁量的権力行使を制限するための理論上の産物であったが、しだいに法律の定める原則となった。それとともに法律はこの原則の例外を定めることも少なくない。たとえば、行政が公害被害者の救済、日照被害のような私人間の紛争の調整に乗り出すのは警察公共の原則の例外である。したがって、警察権の限界の法理は今日文字どおりには妥当していない。
[阿部泰隆]
これは、行政活動により権利利益を侵害される国民の救済一般と異なるところはない。すでに違法に権利を侵害された場合には国家賠償により金銭的填補(てんぽ)を求めるしかない。違法不当な行政処分については行政不服審査、違法な行政処分については取消訴訟により行政処分を取り消してもらうことになる。たとえば、無実の罪で、証拠も足りないのに逮捕されたり、静かにデモしているのに警棒で殴られれば損害賠償を求めうるし、許可申請が違法に不許可になれば損害賠償とともに、取消しを求めることができる。
[阿部泰隆]
『田上穣治著『警察法』新版(1983・有斐閣)』▽『杉村敏正他著『警察法入門』第2版(1981・有斐閣)』▽『宍戸基男他著『新版警察権限法注解』上下(1976、77・立花書房)』▽『広中俊雄著『戦後日本の警察』(岩波新書)』
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出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
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