クレシーの戦(読み)クレシーのたたかい

百科事典マイペディアの解説

クレシーの戦【クレシーのたたかい】

百年戦争初期の戦闘。エドワード3世とその長子エドワード(黒太子)の率いる英軍が,1346年北西フランスのクレシーでフィリップ6世の仏軍を惨敗させた。英軍が自営農民出身の長弓歩兵を用いたのに対し仏軍が旧式な騎士戦術をとったことに勝敗の原因があった。
→関連項目大砲

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世界大百科事典内のクレシーの戦の言及

【弩】より

…しかし異教徒に対する戦闘はもちろん,その後も弩の使用は続き,14世紀初めには鋼鉄製の弩が作られ,火器の普及まで使用された。イギリスでは13世紀後半に長弓が普及し,百年戦争におけるクレシーの戦(1346)では,弩を使用したフランス軍(ジェノバ人弓兵)をエドワード3世の率いる長弓隊が打ち破った。その原因は,弩を使用した傭兵の未組織性と訓練不足にもあったが,弩が長弓に比して貫通力,射程距離(最大射程は弩の約360mに対し,長弓は約255m),命中精度のいずれにも優ったにかかわらず,長弓が毎分約6本(最大12本)発射できるのに対し,弦の巻上機を使用する弩が,毎分約1本しか発射できなかったためであろう。…

【歩兵】より

…このような武器で武装した歩兵は,古代と同じような密集隊形をとって騎兵を打ち破った。スイス独立軍の民兵(歩兵)がモルガルテンの戦(1315)においてオーストリアの騎士を撃破し,百年戦争中のクレシーの戦(1346)においてイギリス農民軍の長弓隊がフランスの騎士を打ち破ったのは,騎士(騎兵)の時代の終りを告げる出来事であった。さらに1424年ころに発明された火縄銃の活用が図られるようになり,フランスは1448年に自由射撃隊を創設して百年戦争で大きな戦果をあげ,歩兵の価値が再認識された。…

【弓矢】より

…弩の場合毎分2発が限度だったが,よく訓練された長弓兵には毎分12発が可能であった。大部隊の弓兵を動員して弾幕を張ることに,クレシーの戦(1346)におけるイギリス軍の新戦術がみられた。同1346年7月,ノルマンディーに上陸したイギリス軍主力には騎兵はごく少数で,その代りおよそ7000に達する〈雲のごとき弓兵〉がいた。…

※「クレシーの戦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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