ツポレフTu-144(読み)ツポレフティーユーいちよんよん(その他表記)Tupolev Tu-144

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ツポレフTu-144」の意味・わかりやすい解説

ツポレフTu-144
ツポレフティーユーいちよんよん
Tupolev Tu-144

旧ソビエト連邦の超音速輸送機。アンドレイ・ニコラエビッチ・ツポレフらによって設計され,1968年 12月 31日コンコルドより2ヵ月早く初飛行した。 1970年5月には再びコンコルドに先立ちマッハ2を記録したが,機体形状がコンコルドと酷似しているため「コンコルドスキー」などと揶揄された。全長 65.7m,全幅 28.8m,総重量 180t,客席 140,ターボファン・エンジン4基を積み,巡航速度マッハ 2.35,航続距離 6500km。 1973年のパリ航空ショーでデモ飛行中に墜落し,超音速旅客機の将来に暗い影を落としたが,1975年 12月からモスクワ-アルマアタ間に貨物便として就航,1977年 11月には同じ路線で旅客便の定期運航も始まった。しかし空力特性や燃料消費が予想外に悪く,経済性や信頼性にも問題があったとみられ,102便が飛んだだけで,1978年6月6日運航中止となった。その後,1979年6月から新しいエンジンに換装した Tu-144Dがモスクワ-ハバロフスク間の貨物便として飛び始めたが短期間で終了した。 Tu-144は総数 12機がつくられ,2機が事故で失われたという。

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世界大百科事典(旧版)内のツポレフTu-144の言及

【SST】より

…開発に13年,約1兆円もかかったのは多くの地上・飛行試験を行ったためだが,この間,世界的に環境の保全が重要な課題として認識されるようになり,ソニックブームなどの問題から,一時は74機あった注文も大部分取り消されて,試作機を含め20機で生産を終えた。ソ連(現ロシア)では1962年ころ中型SSTツポレフTu144の開発を始め,68年12月試作機が初飛行,大幅に設計変更した量産機は77年11月に国内旅客便に就航したが,技術的問題から約半年で運航を中断した。またアメリカでは1963年政府がメーカーにSSTの提案を要求,66年12月ボーイング社が選ばれ開発を始めたが,公害反対論が高まり71年5月議会で開発費の政府支出が否決され中止した(ただしその後もSSTの研究は続けている)。…

※「ツポレフTu-144」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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