ツポレフ(その他表記)Andrei Nikolaevich Tupolev

改訂新版 世界大百科事典 「ツポレフ」の意味・わかりやすい解説

ツポレフ
Andrei Nikolaevich Tupolev
生没年:1888-1972

ソ連航空の父というべき名設計者。トゥポレフとも呼ぶ。パストマゾボの生れ。帝政ロシア当時の航空学者N.E.ジュコーフスキーからモスクワ工科大学で教育を受け,革命後はソ連の中央空気および流体力学研究所でジュコーフスキーの助手を務め,1920年には自分で設計局をもった。その後ドイツのユンカース系統のジュラルミン金属機を多く設計した。そのころ彼の設計は頭文字を使ってANT各型と命名され,その中には8発のANT20もある。第2次世界大戦中には軍用機を設計,このときはツポレフTu各型となった。戦後の活躍も目覚ましく,ターボプロップ機,ジェット機から,ついにTu144超音速輸送機までを手がけた(もっとも,このころは彼の息子アレクセイが設計責任者であった)。現用ロシア軍用機にもツポレフの名を冠したものが多い。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ツポレフ」の意味・わかりやすい解説

ツポレフ
つぽれふ
Андрей Николаевич Туполев/Andrey Nikolaevich Tupolev
(1888―1972)

ソ連の飛行機設計者。1922年のANT-1(ANTはツポレフの頭文字)からTu-154、爆撃機Tu-26バックファイアや超音速輸送機Tu-144を含む多彩な作品を発表している。晩年には息子のアレクセイAlexei Tupolev(1925―2001)が実務を担当した。輸送機はほとんど西欧の模倣作だが、軍用機には独創的なものが多く、ソ連の誇る航空学者N・E・ジュコフスキーの流れをくむツポレフの個性が明らかに認められる。スターリン時代には投獄されたことがある。

佐貫亦男

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ツポレフ」の意味・わかりやすい解説

ツポレフ
Tupolev, Andrei Nikolaevich

[生]1888.11.10. カリーニン,プストマゾボ
[没]1972.12.23. モスクワ
ソ連の空軍将校で航空機設計技術者。モスクワ高等工業大学卒業後,1918年に中央航空力学研究所創設に協力,35年まで同所の次長。アメリカとドイツに機密を漏したとして,38年に逮捕されたが5年後に社会に復帰。第2次世界大戦中には空軍中将として活躍。 53年にソ連科学アカデミー会員に選出。彼の設計による旅客機,中・長距離爆撃機は 100種以上にのぼるが,このうち 55年に設計された Tu-104双発ジェット機は旅客機として広く使われた。世界最初の超音速旅客輸送機 Tu-144の設計者としても知られる。 Tuは彼の名前を取ったもの。

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百科事典マイペディア 「ツポレフ」の意味・わかりやすい解説

ツポレフ

ソ連の航空機設計家。モスクワ工科大学で航空力学を専攻,革命後中央空気・流体力学研究所に入り,1920年自分の設計局を主宰するようになる。1922年のANT-1複葉機からTu-2爆撃機,Tu-144超音速輸送機など,大型機の設計に当たった。
→関連項目ジュコーフスキー

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