コンコルド(読み)こんこるど(英語表記)Concorde

翻訳|Concorde

日本大百科全書(ニッポニカ) 「コンコルド」の意味・わかりやすい解説

コンコルド
こんこるど
Concorde

イギリス、フランス共同開発の超音速旅客機(いわゆるSST)。1956年ごろから両国でそれぞれ別個に計画が始められたが、構想が似通っていることと、新しい技術の開発のため莫大(ばくだい)な費用を要することから、62年に共同開発に踏み切った。その後、長い開発期間を経て、試作機が1969年3月に初飛行を行い、70年11月にマッハ2.0を記録した。76年1月より英国航空(ブリティッシュ・エアウェイズ)がロンドンバーレーン、エールフランスがパリ―リオ・デ・ジャネイロ線に就航させた。全幅25.6メートル、全長62.1メートル、翼面積358.3平方メートル、最大重量185.1トン、最大乗客数128人、最大速度マッハ2.02(時速2180キロメートル)、巡航高度2万メートルといったデータをもち、細く長い三角の翼が特徴であり、翼の下に2基ずつまとめたエンジンクラスターを備えている。胴体もきわめて細く、客席は3~4列配置となっている。2003年10月、商業運航を終了。

 就航前から騒音排気ガスによる大気汚染が問題となり、また速度や飛行高度の関係から交通管制がむずかしいなどの理由で、乗り入れおよび通過国からの反対が多く、就航路線はごく限られてしまった。このため量産機になってかなりの改善が加えられ、乗客数も少なくはないが、稼動率が低く、さらに燃料費の高騰などから、膨大な開発費を国家の補助に仰いだにしても採算性は悪かった。両社とも巨額の欠損を抱えながら、運航を続けていたというのが実情である。数々の新機軸を生み出し、航空技術の発展に大きく寄与した点は高く評価されているが、設計の古さが目だち今後の発展は望めなくなったことから、1979年6月の第16号機で生産は打ち切られた。その後も無事故で運航は続けられたが、機体の老朽化問題がささやかれたやさき、2000年7月25日パリ発ニューヨーク行きエールフランス便が離陸直後に墜落事故を起こし、113人の死者を出した。この事故以降、エールフランス、英国航空両社は一時コンコルドの運航を停止、その後再開したもののエールフランスは2003年5月には運航を終了、英国航空も同年10月24日の便を最後に商業運航を終了している。

[落合一夫]

『ブライアン・トラブショー著、小路浩史訳『コンコルド・プロジェクト 栄光と悲劇の怪鳥を支えた男たち』(2001・原書房)』


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「コンコルド」の意味・わかりやすい解説

コンコルド
Concorde

イギリスとフランスが共同開発した超音速旅客機。 SST; Super Sonic Transport。コンコルドは「協調」「調和」などを意味する。ターボジェット・エンジン (推力1万 7250kg) 4基を備えた変型三角翼をもち,1969年3月2日に初飛行,1970年 11月にマッハ2をこえた。定期便は 1976年1月 21日,ロンドンから英国航空,パリからエールフランスが同時に運航を開始したが,他の航空会社の注文は得られず,1979年 16機で生産打ち切りとなった。量産機は,全長 62.1m,全幅 25.6m,総重量 185t,最大巡航速度マッハ 2.05,航続距離 6580km,乗客 100。 2000年7月 25日パリ郊外に墜落する事故を起こし,2001年 11月7日から運航を再開したものの,老朽化による燃料漏れなどの不具合が多くなり,部品補給を維持するにはコストがかかりすぎるといった理由から,2003年全機引退した。機体は欧米各地の博物館に展示されている。

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