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ファナリオット Phanariot

世界大百科事典 第2版の解説

ファナリオット【Phanariot】

もとの意味はイスタンブールのファナルPhanar地区(トルコ語ではフェネルFener。灯台の意)に住む住民をさしているが,17世紀後半から台頭したギリシアの商業貴族の多くが,ファナル地区にあった東方正教会の総主教座を中心としてこの地区に住んでいたため,とくにこの新興貴族層をさすようになった。その代表的家族としては十指ほどあげられ(マブロコルダトス家,モルジ家,イプシランディス家,スツォス家,ハンジェルリ家,カリマキ家,ギカ家など),彼らはおもに東西貿易によって財をなしたが,そのすべてがギリシアの出身ではなかった。

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世界大百科事典内のファナリオットの言及

【ギリシア】より

… オスマン帝国は商業・外交をおもに外国人の手にゆだね,初めはユダヤ教徒が重用されたが,17世紀以降ギリシア商業の発達に伴いギリシア人がこれに代わるようになった。ギリシアの新興大商人はイスタンブールの一画のファナル地区に群居したためファナリオットとよばれたが,彼らの中からスルタンの宮廷の通訳官となって政府の要職を占める者や,ワラキア,モルドバの公に選出される者も輩出した。このほか,この時期には商業の活発化,農村の疲弊のために帝国外へ移住するギリシア人が急増し,彼らのコロニーはブカレスト,ペシュト(現,ブダペスト),ウィーンをはじめ,ライプチヒ,ブロツワフ,モスクワの諸都市,西方ではリボルノ,ベネチア,マルセイユ,ロンドン,アムステルダムから北アメリカへ,そして東はインドのカルカッタで建設された。…

【ワラキア】より

…しかし国内体制の強化をめざした彼は,生産力の確保のために95年農民の移動の自由を禁じて農奴制をいっそう促進する政策をとった。
[オスマン帝国の進出とファナリオット]
 ミハイ勇敢公以後のワラキアはますますオスマン帝国への従属を強めていった。オスマン帝国は宗主国として以前同様に毎年の貢納金を課したほか,多量の小麦と家畜を買い上げ,その買上げ価格はトルコ商人によって一方的に決められた。…

※「ファナリオット」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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