翻訳|lighthouse
船舶が陸地、主要変針点または船位を確認する際の目標とするために沿岸に設置し、あるいは港湾の所在・港口などを示すために港湾などに設置した構造物で、灯光を発し、塔状のものをいう。独特な形と塗色によって昼間の目標としても役だつが、夜標としてもっとも重要で、外洋に面して設置され、遠距離からの目標となるものは堅固高大で光力も強く、光達距離も大きい。他方、内海、港湾などに設置される灯台はいずれも前者に及ばず、灯質の異なるものを用いている。
[川本文彦]
灯台に限らず、すべての夜標の灯光と一般の灯光との識別を容易にするとともに、付近にある他の夜標の灯光との誤認を避けるために定められた、灯光の発射状態をいう。夜標の数が増えるにつれて灯質も増え、現在では次の六つの基本灯質に、白、赤、緑、黄の灯色、周期を加えて多くの組合せをつくっている。(1)不動光 一定の光度を持続し、暗間のないもの。(2)明暗光 一定光度の光を一定間隔で発し、明間または明間の和が暗間または暗間の和よりも長いか、等しいもの。(3)閃光(せんこう) 一定光度の光を1分間に50回未満の割合で一定間隔で発し、明間または明間の和が暗間または暗間の和より短いもの。(4)急閃光 閃光と同じであるが、1分間に50回の割合で光を発するもの。(5)連成不動光 不動光中に、より明るい光を発するもの。(6)互光 それぞれ一定の光度をもつ異色の光を交互に発するもの。
[川本文彦]
灯は灯器の大きさ、すなわち焦点距離とレンズの高さによって、1等から6等までと等外の7等級に分けられ、光度はレンズの外で測ったカンデラ数(1カンデラは約1燭光(しょっこう)に相当する)で示される。等級と光度はかならずしも比例せず、灯質、灯色、レンズの数などによって異なるが、だいたい等級の上のものほど光力も大きい。
日本でもっとも光度の強い灯台は犬吠埼(いぬぼうさき)灯台(重要文化財)で、1等、200万カンデラである。
[川本文彦]
灯光の光達距離は光度と大気の透過率および地球表面の湾曲によって決まる。前者を光学的光達距離、後者を地理学的光達距離というが、日本の灯台の光力は強いので、天気さえよければ地理学的光達距離まで見える。
地理学的光達距離は、平均水面上の灯高をHメートル、眼高をhメートルとして、2.083(+)海里として計算することができ、灯台表や海図には眼高を5メートルとした場合の光達距離が記載されている。日本でもっとも高い灯台は余部埼(あまるべさき)灯台で、平均水面上284メートル、光達距離は39.5海里、約73キロメートルである。
[川本文彦]
夜標の光源は大部分が白熱電灯であるが、用途によってはネオン灯、キセノン灯、ハロゲン灯も用いられ、電力は商用電源、自己発電(風力発電、波力発電を含む)または電池(太陽電池、燃料電池、空気電池を含む)によって供給される。点灯時間は原則として日没時から日出時までであるが、天候によって点灯時間外でも点灯されることがある。また無看守・無管制の夜標では常時点灯しているものもある。
[川本文彦]
灯台の起源は夜航海の始まりと時を同じくすると考えられる。
エジプトの地中海沿岸に沿ってリビア人が塔を建て、火を燃やしたのが記録に残る最初の灯台とされている。世界七不思議の一つ、「アレクサンドリアのファロス」とよばれた灯台は、エジプトのプトレマイオス王朝時代、ソストラタスによって紀元前3世紀に建てられ、その高さが200フィート(約61メートル)以上もあったといわれる。このほか1584年から1611年までかかって西フランスのガロンヌ河口に建てられたコルドアン灯台などが有名であるが、これらは灯台であるとともに、内部に礼拝堂や僧侶(そうりょ)の居室をもった神殿でもあった。
灯台独自の目的で建設された最初の灯台はジブラルタル海峡東口に1595年に建てられたコルンナ灯台で、石造、高さ9フィート(約2.8メートル)の小塔にガラス張りの灯籠(とうろう)を設け、その中で油に火をともした。現状に近い灯台として初めて建設され、有名なのは、1698年、イギリス、プリマス港沖のエジストン岩礁に建てられたエジストン灯台である。
日本では壱岐(いき)、対馬(つしま)、筑紫(つくし)に664年(天智天皇3)「のろし(烽)」を設けて海岸防備と遣唐使船の目標を兼ねたのが灯台の始めとされている。その後、和式灯台として16世紀末から明治の初めまでは灯籠式油灯明台(住吉、浦賀などが有名)が設けられた。1868年(明治1)観音崎、野島崎、品川、城ヶ島に洋式灯台の建設が行われ、1869年1月1日観音埼灯台が点灯、続いて12月には野島埼灯台が点灯された。その後全国各地に灯台が設けられ、2021年(令和3)現在3125基の灯台が航海の安全のために夜の海を照らしている。
[川本文彦]
灯台は木、動植物油、石炭、石油、アセチレンガスなどを燃やし、アーク灯、電灯を用いて、灯火による夜の道しるべとなってきたほか、現在では霧信号や船舶気象通報業務を行うものもあり、さらに無線方位信号所、各種ビーコンを併設しているものもある。
[川本文彦]
『長岡日出雄著『日本の灯台』(1993・交通研究協会)』▽『坪内紀幸他著『灯台 海上標識と信号』改訂版(1994・成山堂書店)』
アカシダイともいう。照明用灯火具の一種。主として油用の灯火具をさすが、もっとも原初的なものとしては、樹脂だけになった松の根を細く割ったヒデを燃すために用いたヒデバチがある。ヒデバチは石で臼(うす)型、角型にしたもののほかに、鉄製の古鍋(ふるなべ)を用いたり、石皿を三つまたの枝にのせたものなど、地方によってその形態はさまざまであった。ごま油、菜種油などが貴重品でなかなか用いることのできなかった農山村では、こうしたヒデバチが近代まで使われていた。油が灯火に使われ始めたのはかなり古い時代からで、初めは細い棒を3本束ねて足を開き、その頂部に灯明皿を置いた結(むすび)灯台とよぶ簡単な作りのものを使用した。灯台の高さはほぼ三尺二寸(約97センチメートル)とされ、丈の高いものを高(たか)灯台、長檠(ちょうけい)といい、低いものを切(きり)灯台、短檠(たんけい)などとよんだ。屋内でこうした灯火具を使用していたようすは中世の絵巻物にも描かれている。平安時代以降、円型の台に長竿(さお)を立てその先端に蜘蛛手(くもで)をつけて灯明皿を置いた灯台が用いられるようになった。台の形が菊の花形である菊(きく)灯台、牛糞(うしくそ)形の牛糞灯台がつくられ、これらには蒔絵(まきえ)や螺鈿(らでん)の装飾を施すこともあった。さらに江戸時代中期には、皿の油を自動的に補給する仕掛けをもった鼠(ねずみ)灯台がつくられた。
[倉石忠彦]
航路標識の一つ。船に陸上の特定の位置を示すために設置する塔状の構造物で,頭部に強力な灯器を備えている。また,日本の古代,中世に室内で用いられた灯火具も灯台といった。
→ランプ
灯台の歴史は古く,前280年ころエジプトのアレクサンドリアの港口のファロス島に建設された灯台は特に有名で,古代世界の七不思議の一つに数えられた。これは高さ約60m(一説では110m)の石積塔で,塔の頂部の台で枯草や木に樹脂を混ぜたものを毎夜燃やしたという。
日本では7世紀半ばに壱岐,対馬,筑紫に防人(さきもり)を配し,煙や火によって外敵の侵入を知らせるための施設である烽(とぶひ)を設けたのが始まりといわれ,その位置が遣唐使船の目標に便利だったので,昼は煙をあげ夜は篝火(かがりび)を焚いて目印とした。中世には船舶航行はかなり盛んであり,たいまつなどを燃やして航行の目印とすることは各地で行われたと思われる。
近世になると,豊後の姫島や志摩の菅島に篝火が船の遭難防止のために設けられており,慶安年間(1648-52)には江戸湾に入る航行が頻繁な相州浦賀港にも灯台が設けられ,航行の目標とされている。そのほか,摂津住吉大社の高灯楼,安芸宮島厳島神社の灯明台など,神社の灯台が有名である。これらは,本来は周辺の漁民の神前の灯明用であったものが,海岸に建てられ航行用の標識として便利であったため,むしろ船舶用の灯台としての役割が定着したものである。特に住吉大社の高灯楼は高さが20m近くもあり,大坂沖合を航行する船舶に恰好(かつこう)の標識となっていた。なお,神社の高灯楼は夜間照明の少なかった時代には陸上交通の目印となっている場合も多く,これも灯台と呼ばれ,近代都市の街灯の先駆としての役割を果たしている。17世紀後半以降,東廻航路・西廻航路の開発により廻航量が増加し,その寄港地である全国各地の港が賑わうが,夜間航行のため港の出入口や要所に灯台としての常夜灯が設けられた。多くは石製の高灯楼の形をしたもので,越前三国や出羽酒田などに残っているものは廻船問屋や問屋商人たちの寄付によって作られたことがわかる。これらの灯台は油皿に灯心を入れて火をともすもので,火力は乏しく雨風にも弱かったが,夜間航行の船の標識としては十分有効なものであった。
西洋式の灯台は1869年(明治2)点灯された観音埼灯台が最初で,日本の近代灯台事業はここに始まったとされている。現在の灯台記念日は,観音埼灯台起工の日すなわち1868年(明治1)11月1日(旧暦9月17日)をもって,1949年に制定された。
→灯籠
執筆者:玉井 哲雄+沓名 景義
設置場所は灯台の目的によって異なる。遠距離の目標となる灯台は,外洋から初めて近づく陸岸近くの主要な島や岬などに設置され,構造が堅牢で,光度も強く光達距離も大きい。たとえば本州東岸の尻屋埼灯台,金華山灯台,本州南岸の野島埼灯台,四国南岸の足摺岬灯台などがこれにあたる。沿岸航海や出入港用の灯台は暗礁などの危険物のある付近や,陸上目標の少ない海岸および防波堤先端などに設置するが,前者に比べて規模は小さい。
灯台などの航路標識の灯火と付近の一般の灯火との識別を容易にするとともに,隣接の航路標識との誤認を避けるために灯台によって特定の灯光の発射状態が定められている。これを灯質という。灯質には灯色を変えないものと,灯色を変えるものとがあり,前者には不動光,せん(閃)光,明暗光,後者には互光(灯色の混合),せん互光,明暗互光があり,かつそれらの灯色を変え,またいろいろ組み合わせて灯質をつくっている。灯色には白色,紅色,緑色,黄色およびオレンジ色などを使っている。灯台の等級は光度の強さで表さずに,レンズの大きさ,すなわちレンズの焦点距離およびレンズの高さ(大きさ)で表し,1等級~6等級および等外の7等級に区分している。
光の届く距離を光達距離といい,これには地理的光達距離と光学的光達距離の2種類がある。地球面は湾曲しているので,いかに光力が強くても灯高と観測者の眼高によって光達距離は制限される。これを地理的光達距離という。光学的光達距離は気象条件によって変化するので,たとえば晴天の暗夜におけるものを名目的光達距離としている。日本の灯台は一般に光力が強いので,おおむね地理的光達距離による光達距離が海図に記載されている。
なお,航空機の安全航行のため山頂などに設置するものに航空灯台があるが,海上から見えるものについては船の航海目標として利用できるものもある。
→航路標識
執筆者:沓名 景義
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
字通「灯」の項目を見る。
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出典 日外アソシエーツ「動植物名よみかた辞典 普及版」動植物名よみかた辞典 普及版について 情報
…油用灯火具の一類。灯台(ともしだい)が油皿を台上におくのみで裸火をともすのに対して,行灯は油皿の周囲に立方形や円筒など形の框(わく)を作り,これに紙をはり,風のために灯火が吹き消されたりゆれ動くのを防ぐように,火袋(ひぶくろ)を装置した灯火具の総称である。〈行灯〉の文字は地方によっては〈あんど〉とも〈あんどう〉とも読まれている。…
…失明者に希望の〈ともしび〉をという願いのもとに世界各地に作られている盲人のための福祉施設。ライトハウス,すなわち〈灯台〉という意味の盲人福祉センター第1号が,1906年,創立者マザーWilfred Holt Matherの手によってニューヨークに設立され,以来アメリカ各地にライトハウスが作られるようになった。マザー夫人は,29年に来日してライトハウス建設を呼びかけた。イギリス留学中にマザー夫人の著書に接した岩橋武夫は,日本にもライトハウス作り運動を起こす必要性を痛感し,36年マザー夫人を招いて啓発運動を行い,大阪に世界で13番目のライトハウスを創設した(1952年,日本ライトハウスとなった)。…
…灯光,形象,彩色,音響,電波などを利用しており,種類としては夜標,昼標,霧信号所,電波標識などがある。灯台も航路標識の一種で,夜標の代表的なものである。国際的な関連が強く,国際航路標識協会(IALA)および国際水路機関(IHO)において国際的に極力内容を統一するよう協議しており,日本では航路標識法に基づき海上保安庁が管理している。…
※「灯台」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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