…結局,恐怖の火星人がスクリーンに姿を現すまでには,さらに20年ほどの歳月が流れることになる。 そうした本格SF不振の反面,当時〈怪奇映画〉で当てたユニバーサルが,1936年に,いわゆる〈スペース・オペラ〉(宇宙を舞台に善と悪が闘うヒロイックな冒険小説や劇画)を〈連続活劇〉として映画化したバクター・クラブ主演の《フラッシュ・ゴードン》(当時のメジャー作品1本の半分の予算で,シリーズ全26本を6週間で撮り上げたという)を大ヒットさせ,その総集編が《超人対火星人》と題して日本でも公開された。続いて,そのシリーズの続編(1938,40)や,同じ主演者による《バック・ロジャース》シリーズ(1939。…
…1930年代および40年代の連続活劇は,台詞が少なくアクション中心の,もっぱら〈土曜のマチネーの子どもたち〉を対象にしたもので,人物や趣向の多くは新聞連載の劇画や漫画雑誌からの借りものであった。もっとも人気を集めたトーキー連続活劇は,バスター・クラブBuster Crabbe(1907‐83)扮するフラッシュ・ゴードンを主人公とした宇宙冒険ファンタジー《超人対火星人Flash Gordon》(1936)で,ふつうの連続活劇の約3倍にあたる35万ドルというもっとも費用をかけた作品であり,その後も38年と40年に2本の続編がつくられた。第2次世界大戦とともに,イメージの上で反日的な性格を持った《フーマンチューの太鼓Drums of Fumanchu》(1940)とか反ナチ的な《密林の女王Jungle Queen》(1941)などがつくられ,戦後は《スーパーマンSuperman》(1948)や《バットマンBatman and Robin》(1950)などがつくられたが,しだいに質が低下して粗悪化の一途をたどり,50年代半ばにはすたれて番組の穴埋めに使われるようになり,やがてこのジャンルはテレビに移行,本来の連続活劇はコロムビアの《ブレージング・ゼ・オーバーランド・トレイルBlazing the Overland Trail》(1956)が最後のものになった。…
※「フラッシュ・ゴードン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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