コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

ボイチェホフスキ Stanisław Wojciechowski

世界大百科事典 第2版の解説

ボイチェホフスキ【Stanisław Wojciechowski】

1869‐1953
両大戦間期ポーランドの政治家教育者。議会制民主主義最後の大統領。ポーランド社会党の創設者の一人で,青年運動労働運動,協同組合運動で活躍する。1892‐95,99‐1906年西欧諸国に亡命し,1915‐18年にはロシアに滞在,モスクワのポーランド人組織を指導する。独立後ポーランド農民党右派に接近。19‐20年内相を務め,22年大統領となる。26年5月ピウスツキの軍事クーデタによって下野する。26‐39年ワルシャワ農業経済専門学校教授を務める。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

世界大百科事典内のボイチェホフスキの言及

【ポーランド】より

…この結果,政府は不安定な議会多数派に依存することとなり,しばしば行動不能に陥った。1922年初代大統領に選ばれたナルトビチGabriel Narutowicz(1865‐1922)はその年の12月に暗殺され,ボイチェホフスキStanisław Wojciechowski(1869‐1953)が後を継いだ。 国境問題は隣接国家との激しい緊張を引き起こした。…

【ポーランド】より

…この結果,政府は不安定な議会多数派に依存することとなり,しばしば行動不能に陥った。1922年初代大統領に選ばれたナルトビチGabriel Narutowicz(1865‐1922)はその年の12月に暗殺され,ボイチェホフスキStanisław Wojciechowski(1869‐1953)が後を継いだ。 国境問題は隣接国家との激しい緊張を引き起こした。…

※「ボイチェホフスキ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

ボイチェホフスキの関連キーワードスタニスラフ ウォチェホフスキー

今日のキーワード

処暑

二十四節気の一つ。元来,太陰太陽暦の7月中 (7月後半) のことで,太陽の黄経が 150°に達した日 (太陽暦の8月 23日か 24日) に始り,白露 (9月8日か9日) の前日までの約 15日間であ...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android