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リヒャルト・シュトラウス りひゃると・しゅとらうす

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知恵蔵2015の解説

リヒャルト・シュトラウス

ドイツ後期ロマン派を代表する作曲家。1864年、ミュンヘン生まれる。ミュンヘン宮廷歌劇場のホルン奏者である父の影響で、幼い頃から音楽の英才教育を受けて育つ。ワーグナーに心酔し、20歳代から実験的な作品を次々と発表した。当時はそのテーマや手法の斬新さから聴衆から批判を浴びることも少なくなかったが、自身は「真の芸術ほど最初は理解されないものだ」と語り、また「音楽で表現できないものはない」と、管弦楽の音だけによって日常から哲学の世界までをも描くことに挑戦し続けた。代表作の一つ、交響曲「ツァラトゥストラはこう語った(かく語りき)」(96年作曲・初演)は、自身の持つ作曲技法を駆使し、哲学者ニーチェの思想の表現に挑んだ作品である。
その後、オペラや交響曲、歌曲など多くの分野で傑作を生み出し、ワーグナーの後継者としてドイツ音楽界の頂点に君臨した。「サロメ」(1903~05年作曲、05年初演)や「エレクトラ」(06~08年作曲、09年初演)は、斬新なストーリー不協和音を使った音楽による過激な作品であり、ウィーンの演出家ラインハルトの協力を得て上演した「バラの騎士」(09~10年作曲、11年初演)や「ナクソス島アリアドネ」(11~12年作曲、12年初演)は後期ロマン派の様式でオペラを総合芸術にまで高めた作品とされる。20年代に時事オペラと呼ばれる普通の市民の日常生活を描くジャンルが生まれると、他愛ない夫婦げんかをテーマにした「インテルメッツォ」(18~23年作曲、24年初演)を作った。また、無声映画時代の始まりと共に多くのオペラ映画が作られるようになると、「バラの騎士」の映画化(26年)に合わせて、映画用の編曲を行うなど、時代の変化にも巧みに応じてきた。
同時代の作曲家マーラーと同様、指揮者としても当時のドイツ最大のカリスマ一人として活躍した。バイエルン国立歌劇場音楽総監督(1894~96年)、ベルリン国立歌劇場音楽総監督(99~1913年)、ウィーン国立歌劇場芸術最高監督(19~24年)など要職を務め、その音楽性は指揮者を務めたベルリンフィルやウィーン・フィルなど名門オーケストラを通じて、現代に受け継がれている。
第1次世界大戦後のナチス政権との関わりについては、様々な見方があるが、第2次世界大戦終結後の非ナチ化裁判では最終的に無罪となった。晩年をドイツのガルミッシュ・パルテンキルヒェンで過ごし、「カプリッチョ」(40~41年作曲、42年初演)、「最後の四つの歌」(48年作曲、50年初演)などの作品を残した。60年以上という芸術分野全体でも例の少ない息の長さにわたって代表作を生み続け、49年死去。2014年は、生誕150周年。

(葛西奈津子  フリーランスライター / 2014年)

出典|(株)朝日新聞出版発行「知恵蔵2015」
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