日本歴史地名大系 「三峰城跡」の解説
三峰城跡
みつみねじようあと
「越前国城蹟考」に「城跡 脇屋右衛門義助 平泉寺衆徒砦 三嶺村ヨリ五町計巽方山上城台櫓台六ケ所有」とある。「太平記」巻一九(新田義貞落越前府城事)に、延元二年(一三三七)「此時マデハ平泉寺ノ衆徒等、皆二心ナキ将軍方ニテアリケルガ、是モイカヾ思ケン、過半引分テ宮方ニ与力申シ、三峯ト云所ヘ打出、城ヲカマヘテ」とみえ、また「三峰ノ衆徒ノ中ヨリ杣山ヘ使者ヲ立テ、大将ヲ一人給テ合戦ヲ致スベキ由ヲ申ケル間、脇屋右衛門佐義助朝臣五百余騎ヲ相副テ三峯ノ陣ヘ指遣サル」とある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報