上原種美(読み)ウエハラ タネヨシ

20世紀日本人名事典 「上原種美」の解説

上原 種美
ウエハラ タネヨシ

大正・昭和期の農業教育家 霞ケ浦農科大学(現・茨城大学農学部)初代学長。



生年
明治18(1885)年1月

没年
昭和25(1950)年10月30日

出生地
山梨県

学歴〔年〕
東京帝国大学農科大学農学科〔明治42年〕卒

経歴
農商務省嘱託を経て明治43年文部省に入り、実業学務局農業教育課長、東京高等師範学校教授を兼任。大正10年三重高等農林学校初代校長。昭和11年東京農業教育専門学校校長となり21年退任、同年霞ケ浦農科大学(茨城大学農学部の前身)初代学長に就任。この間、大日本教育会副会長、実業教育振興中央会常務理事などを務め、種々の農業教育機関の責任者として各機関の創設、発展に尽くした。また明治末から大正期の文部省内で農学関係行政官として、農業教育制度を体系化し整備充実に努めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「上原種美」の解説

上原種美 うえはら-たねよし

1885-1950 大正-昭和時代の教育者
明治18年1月1日生まれ。文部省実業学務局農業教育課長と東京高師教授をかね,大正10年三重高農初代校長。東京農業教専校長をへて,昭和21年霞ケ浦農大(現茨城大農学部)初代学長となった。大日本教育会副会長。昭和25年10月30日死去。65歳。山梨県出身。東京帝大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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