上吉川村・下吉川村(読み)かみよかわむら・しもよかわむら

日本歴史地名大系 「上吉川村・下吉川村」の解説

上吉川村・下吉川村
かみよかわむら・しもよかわむら

万里小路家領の吉河上よかわかみ庄内四ヵ村の一。嘉吉元年(一四四一)五月一四日の吉河上庄四ヵ村代官職請文案(建内記嘉吉元年六月記紙背文書)に上吉川・下吉川とみえ、権大納言万里小路時房は稲田光増を吉河上庄内四ヵ村各半分の代官に補している。嘉吉の乱後、山名氏守護になると、文安元年(一四四四)五月一四日、谷堂(最福寺)華蔵坊重慶が代官となり、重慶の仲介により守護代垣屋熙続家臣である斎藤良英が又代官となった(建内記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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