吉川町(読み)よしかわまち

日本歴史地名大系 「吉川町」の解説

吉川町
よしかわまち

面積:三一・六三平方キロ

郡の南部に位置し、東は江戸川を隔てて千葉県流山市・野田市、西は中川(古利根川)を隔てて越谷市・草加市、北は松伏まつぶし町、南は三郷みさと市に接する。町域の川藤かわふじ地区の榎戸えのきど須賀すか地区は大正一二年(一九二三)の古利根川の直道流路改修工事により分断され、対岸の越谷市に入り込んでいる。中川と江戸川の間に発達する沖積低地の中にあり、自然堤防と標高三―五メートルの後背湿地からなる低平な地形をしている。町の南東端を走る常磐自動車道をはじめ、東西に県道越谷―野田線、川藤―野田線、加藤かとう平沼ひらぬま線が、南北に県道三郷―松伏線、中井なかい―松伏線、葛飾―吉川―松伏線などが並行して走り、JR武蔵野線が町の南西端を横断している。

古代の当町域は下総国葛飾郡に属し、「万葉集」巻一四に「鳰鳥の葛飾早稲を饗すともその愛しきを外に立てめやも」とある早稲米の産地は当地であるという。中世になると下河辺しもこうべ庄に属し、下河辺庄司下河辺氏の所領であったと考えられる。


吉川町
よしかわまち

面積:七六・四五平方キロ

中頸城郡北部にあり、北は柿崎かきざき町、東は柏崎市、南は東頸城郡大島おおしま村・浦川原うらがわら村、西は頸城村大潟おおがた町に接する。

東西に細長い町域のほぼ中央を吉川が西流し、その北側を大出口おおでぐち川が流れ、柿崎町内で合流し、柿崎川となって日本海に注ぐ。町域東端は兜巾ときん(六七六・二メートル)尾神おかみ(七五七メートル)などがそびえ、山がちである。西端は清生せいじよう池・長峰ながみね池などが残る新田地帯。全体として標高二〇〇メートル前後の丘陵性山地地帯が多い。基幹産業は米・野菜を中心とする農業で、農閑期には出稼の酒造業に従事する者が多く、越後杜氏として知られる。吉川の地名は永享一一年(一四三九)一一月七日の越後守護上杉房朝袖判社領寄進状(居多神社文書)に「吉川西方分」とみえ、居多こた神社(現上越市)の九月九日の祭礼費用を出すため、田二町・屋敷五軒などが寄進されている。


吉川町
よしかわちよう

[現在地名]函館市吉川町など

昭和六年(一九三一)九月に設定された町で、亀田かめだ町の西に位置する。それまで函館区大字亀田村かめだむらの字であった有川通ありかわどおり札幌通さつぽろどおり万年橋まんねんばし万年橋脇まんねんばしわき・ゴミかわ(五筆)前浜まえはま(一筆)の各一部を併せて吉川町域とした(函館市字地番改正調書)。「蝦夷日誌」(一編)亀田川の北側、有川村(現上磯町)寄りを流れる「ヨシ川」(小流で、ゴミ川との間隔八町三〇間)、「ゴミ川」(小流)について記しており、町名はこのヨシ川に吉川の文字をあてた。


吉川町
よかわちよう

面積:五六・四五平方キロ

加古川の支流美嚢みの川上流の丘陵地に位置する。四囲を二〇〇メートル前後の丘陵に囲まれた南北一八キロ・東西八キロの小盆地を、美嚢川支流の北谷きただに川と吉川川が西流する。南は神戸市北区、西は三木市・加東かとう東条とうじよう町、北から東は三田市に接する。町の中央を横断する県道西脇―三田線はかつて大坂道とよばれ、中世頃より北播磨から大坂・京都への幹線であった。灘五郷の酒米で有名な山田錦は近世期に当町域で作られたとの説もある。正徳二年(一七一二)吉川谷内二四ヵ村を加増された下野壬生藩主鳥居忠英は領内の稲作を改良し「鳥居米」の名で出荷、これが酒造米に使用されたと伝える。


吉川町
よしかわちよう

[現在地名]中央区東日本橋ひがしにほんばし二丁目

横山よこやま町三丁目の東にある。南側を両国広小路に面する片側町で、北は下柳原同朋しもやなぎはらどうぼう町。町名は葭が繁茂する中を流れる小川を埋立てた地の意で、もとは葭川町と記したと伝える(東京府志料)。寛永江戸図に「町ヤ」とあり、当初は町屋が設けられたことがあったが、貞享(一六八四―八八)頃に廃止され、元禄一〇年(一六九七)頃に表坊主衆の拝領地として新たに起立された(沿革図書)。安永三年小間附町鑑では田舎間七六間二尺五寸六分、公役金を負担しており、名主は横山町三丁目と同じ。元禄一七年に小松屋喜兵衛が吉原よしわら遊女であった妻の名を付けて売出した幾世餅は江戸土産として有名(続江戸砂子)


吉川町
よしかわちよう

[現在地名]新庄市万場町ばんばちよう

万場町から西折し、指首野さすの川に沿って右折し、ここに城下北の出入口である大木戸があり、広小路となる。広小路は天神社・自性院にぶつかって左折し、指首野川を渡り鍛冶かじ町に続く。延享三年(一七四六)の家数二八、宝暦一一年(一七六一)の家数五一、天明八年(一七八八)の家数四三・人数一二一、天保九年(一八三八)の家数二四・人数一二七(新庄城下町の研究)。「新庄寿永軒見聞集」によれば、雨具を商う家が多く、袖桐油・歩行合羽・乗掛桐油、鉄砲槍長刀の雨鞘・挟箱の油単・油紙まで扱っており、ほかに石工もいる。広小路北端に天神社があり、藩主の氏神である天満宮は城内に祀られているため、町人にも拝させるためここに分祀した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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