上小唐崎町・下小唐崎町(読み)かみこがらさきちよう・しもこがらさきちよう

日本歴史地名大系 「上小唐崎町・下小唐崎町」の解説

上小唐崎町・下小唐崎町
かみこがらさきちよう・しもこがらさきちよう

[現在地名]大津市中央ちゆうおう一―二丁目・京町きようまち二丁目

中京町の東に連なる京町通の両側町で、上小唐崎町・下小唐崎町と続く(寛保二年町絵図)。天正一四年(一五八六)頃の大津築城に伴い坂本から町屋を移転したとされ、「輿地志略」は小唐崎町の跡が坂本に残るという。「大津珍重記」は慶長五年(一六〇〇)以後とする。寛永一九年(一六四二)の触書請状(中京町共有文書)に中京町などとともに小唐崎町とみえる。元禄八年町絵図によれば、上小唐崎町は家数二三(町中借屋などを含む)、下小唐崎町は町番屋を含め一六。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

「歓喜の歌」の合唱で知られ、聴力をほぼ失ったベートーベンが晩年に完成させた最後の交響曲。第4楽章にある合唱は人生の苦悩と喜び、全人類の兄弟愛をたたえたシラーの詩が基で欧州連合(EU)の歌にも指定され...

ベートーベンの「第九」の用語解説を読む