米屋(読み)コメヤ

デジタル大辞泉 「米屋」の意味・読み・例文・類語

こめ‐や【米屋】

米を売る店。また、それを業とする人。米穀商。

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精選版 日本国語大辞典 「米屋」の意味・読み・例文・類語

こめ‐や【米屋】

  1. 〘 名詞 〙 米を売る店。また、それを職業とする人。
    1. [初出の実例]「一でうもどりばし、こめやがやどにて候」(出典:御伽草子・浄瑠璃十二段草子(室町時代物語大成所収)(室町末)一一たん)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「米屋」の意味・わかりやすい解説

米屋
こめや

米(玄米、白米)を売買する商人。業態は複雑である。米は前近代では貢租であり、流通には制約があった。古代の8~10世紀の公営の市(いち)では余剰米が米廛(こめてん)(店)で放出、販売された。中世の14世紀には港々の問丸(といまる)は米問屋の機能を果たし、15世紀には先進地域の市で米を量り売りする女性の米売りがいたし、16世紀には京都に米座(米屋座)ができて米の売買を独占していた。

 近世の17世紀になって、米は大量に売買され、いろいろな米商人が現れた。米の取引は大坂と江戸が中心で、流通米には蔵米(くらまい)と納屋米(なやまい)とがあった。蔵米は幕府、諸藩の年貢米(ねんぐまい)の払下げ米である。大坂には諸藩の蔵屋敷があり、蔵元(くらもと)が売買にあたり、掛屋(かけや)が代金の出納をした。掛屋には蔵元の兼帯が多かった。払下げ米は蔵米問屋が引き受け、米仲買や米穀仲買、駄売屋(だうりや)を通じて搗米屋(つきごめや)に渡った。江戸では幕府の蔵米は札差(ふださし)から、諸藩の払下げ米も蔵屋敷・米会所から、米仲買を通じて、または直接に脇店(わきだな)八ヶ所組米屋に売られ、搗米屋はそこから買った。納屋米は農民が直接に市場に出すもので、地方の市や在町の米問屋へ売った。産地で集荷された米は都市の米問屋に送られた。大坂では納屋米問屋、江戸では上方(かみがた)筋からの下(くだ)り米問屋と、関東・奥州筋からの地回(じまわ)り米穀問屋と、それとは別に関東・陸奥(むつ)9か国からの関東米穀三組問屋があった。なお、大坂には京都筋向きの上(かみ)問屋や上積(かみづみ)問屋があった。問屋で取引される米は玄米であったから、消費者の手に渡るには精米しなければならなかった。搗米屋は小売りの米屋であり、問屋から入手した玄米を米舂(こめつき)を雇って店頭で踏み臼(うす)で精白した。米舂は多く甲斐(かい)(山梨県)、信濃(しなの)(長野県)、越後(えちご)(新潟県)からの農閑期出稼ぎであった。近世での米の大量集散地は、大坂、江戸のほか、酒田、新潟、桑名(くわな)、下関(しものせき)、尾道(おのみち)などの港町であった。

 近代になって、米は完全に商品となった。生産地には生産者の農民から買い集める米仲買と移出問屋、消費地では生産地から買い付ける米問屋と、そこから玄米を仕入れて精白して消費者に小売りする米屋とになった。小売りの米屋は前代の搗米屋である。第二次世界大戦中は国家管理が強化され、1942年(昭和17)の食糧管理法により米穀供出制と配給制が実施され、米取引は食糧営団に統制された。戦後の現代では、食糧営団は食糧配給公団に改組され、その配給所から米の配給を受けた。1951年(昭和26)に公団は廃止されたものの、食糧管理法は一面で強化され、生産された米は政府が買入れ価格で買い入れて、民主的に選ばれて登録した民営の米屋に売り渡し、小売価格(消費者価格)も政府が決定していた。この米屋は少数の卸と多数の小売りに分かれている。しかし、米屋の配給米の不正や古米の大量の持ち越しや食管会計(食糧管理特別会計)の赤字などから、米の流通改革が求められた。1994年(平成6)食糧管理法が廃止となり、食糧法が制定されると、米の小売りは大幅に緩和され、スーパーマーケットなども参入してきた。2004年には食糧法が改正され、米の小売業者は登録制から届出制へと、よりいっそうの緩和がなされている。そのため、米屋も精米や白米の販売のほかに、米以外の商品も取り扱うようになった。さらにコンビニエンス・ストアなどに変更する店も多く、米穀を専門に取扱う米屋は大幅に減少している。

 ところで、米価は庶民生活にとって重大なものであったから、米屋は近世の打毀(うちこわし)、近代の米騒動というように不況のときの攻撃の対象となっていた。

[遠藤元男]

『鈴木直二著『米穀配給組織の研究』(1965・柏書房)』


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改訂新版 世界大百科事典 「米屋」の意味・わかりやすい解説

米屋 (こめや)

米を販売する商人であるが,業態は複雑であった。米は前近代では貢租であったから,流通には制約があった。古代,平城京,平安京には東西の市に〈米廛〉(米店)があり,米を販売していた。中世後期では諸所の市に米の量り売りをする女性の米売りがいた。末期には,京都に米座(米屋座)ができ,米の売買を独占した。近世になって,米は大量に売買され,いろいろな米商人がこれに参加した。米の市場は大坂と江戸が中心であった(米市)。流通米には蔵米(くらまい)と納屋米(なやまい)とがあった。蔵米は領主が徴収した年貢米のうちから,家臣の禄米などを支出した残りを払い下げたもので,大坂には西国,北国の諸藩の蔵屋敷が置かれ,蔵元(くらもと)が売買にあたり掛屋(かけや)が代金を出納した。払下米は米問屋(こめどいや)が引き受け,仲買を通して市場に出された。江戸では幕府の蔵米が札差(ふださし)を通して米問屋に売却され,諸藩の払下米は脇店八ヵ所米屋が引き受けた。納屋米は地主が収納した小作米や農民の保有米で,直接に市場に出荷され,地方の米問屋から消費地の米問屋へ送られた。消費地の都市では搗米屋(つきごめや)が問屋から米を買い,出稼ぎの米舂(こめつき)を雇って店頭で精白して消費者に売っていた。小売の米屋である。

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