日本歴史地名大系 「上山田庄・下山田庄」の解説
上山田庄・下山田庄
かみやまだのしよう・しもやまだのしよう
三箇院家抄(内閣文庫蔵大乗院文書)に「九十九上山田庄・下山田庄」とある。「百内馬場」に並んで記載されており、山辺郡内の興福寺大乗院領荘園と考えられる。所在は荘号から現山田町に比定される。
応永六年(一三九九)の興福寺造営段米田数帳(春日神社文書)の山辺郡の大乗院方に「山田上・下庄三十四町三反小四十歩」とある。これは寺門段銭・段米賦課の面積であり、実面積ではないが一応規模の目安となろう。戦国期と考えられる春日進官領大和諸郷納高帳(天理図書館保井文庫)には「山田方 上山田領合四石七斗三升、別所領合弐石四斗弐升、下山田領合壱石九升、ソマノカワ領合弐斗一升」とある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報