日本歴史地名大系 「山田村」の解説
山田村
やまだむら
- 鹿児島県:川内市
- 山田村
元応二年(一三二〇)
山田村
やまだむら
現吾妻町域の南西部を占め、北西は海に臨む。山田川・
江戸時代は島原藩領の北目筋に属する。慶長国絵図に「山田」とみえ、高二千五九〇石余。寛永一九年(一六四二)の平戸町人別生所糺によれば、長崎
宝永四年(一七〇七)検地と記す島原領内村明細帳によれば、島原まで陸路で六里一一町、村内は川床・牛口・布郷(布江)・永中・栗林・馬場・阿母の七名に分れ、田一千二一九石余・一七八町二反余(うち両毛作一一五町余)、石盛は上々田が一〇で、上田九ツ五分・中上田九ツ・中田八ツ・下田七ツ・下々田五ツ五分、さらに三下田が四ツ五分、四下田が三ツ。
山田村
やまだむら
現山田町を東流する
山田村
やまだむら
生月村の南部に位置し、北を除く三方が海に臨む。
慶長四年(一五九九)平戸松浦家を継いだ鎮信は籠手田氏・一部氏の家臣らを立退かせ、新たに山田村に井上右馬允を配しているが(同一九年「松浦信正分限帖」生月史稿)、そこは兵士と農民からなる村であるという(一六〇九年「イエズス会日本年報」)。井上氏の墓地とされる宝篋印塔群がある。籠手田氏の重臣で山田奉行であったというガスパル西玄可が慶長一四年
山田村
やまだむら
山田村
やまだむら
- 秋田県:湯沢市
- 山田村
雄物川の横手盆地への谷口にあたり、雄物川の西に南北に長く発達した村。北は
「語伝仙北之次第」によれば、天正一〇年(一五八二)由利衆が小野寺氏を
とあり、また同時期と推定される「御年貢取り立て等その日記共の写」(色部文書)にも「山田領」とあって、最上氏支配下では、一独立領主扱いを受けていた。文禄四年(一五九五)に最上勢が湯沢城を攻めた折には「夫ヨリ春道(関口ノ城主佐々木喜助春道)カ計ラヒトシテ、西馬音内肥前守茂道、山田民部少輔高道、柳田治兵衛尉、松岡越前守、深堀左馬ノ五人心替シテ最上ニ組ス」(奥羽永慶軍記)と、小野寺氏との関係を断ち切っている。
山田村
やまだむら
南北朝時代には南朝方の本拠に近い当地一帯は度々合戦場となった。
山田村
やまだむら
- 埼玉県:秩父市
- 山田村
北流する
山田村
やまだむら
- 山口県:萩市
- 山田村
村名の由来を「注進案」は「往古平家之御領地にて三位一郷之由、山相僅之田地只今之山田組之所に有之、農業仕人家とても無御座、真に山相之田と申事より発り山田と相唱来」と記す。また「里伝に云、山田村は古しへは三見上村と云ひしとぞ、さるは佐々木四郎阿武郡に四歩を十八郷に分ち、三見郷を二タ村にわけて上村下村と云ふよし、慶長の比までも猶しか唱へ来れり」とし、「三見上村」とよばれたとする。
山田村
やまだむら
- 富山県:婦負郡
- 山田村
郡の北西部、
山田村
やまだむら
山田村
やまたむら
近世の初めは幕府直轄領と旗本荻原二氏・志村・河野・中村・山本・窪田・石坂・山本領の一〇給。
山田村
やまだむら
山田村
やまだむら
宇和盆地西部の大村。
太閤検地の石高は二千四三五石八斗八升で宇和島藩内最大であり、耕地面積の比率は田九九パーセント、畑一パーセントで、まったく水田に依存する。寛文検地の石高は一二パーセント減少し、田八四パーセント、畑一六パーセントに変化している。「墅截」による村柄は「中」、耕地は田畑とも「中」、水掛り「悪」である。鬮持制実施期の本百姓一人前の耕地は田一町五畝、畑二反一七歩であり、百姓数一八八人のうち本百姓一三九人、半百姓四〇人、四半百姓八人、庄屋一人に分れている。
山田村
やまだむら
中之条盆地西方の
万治二年(一六五九)の沼田藩領分書上写によると高二六一石余、寛文郷帳では田方五四石余・畑方二〇七石余。
山田村
やまだむら
- 高知県:宿毛市
- 山田村
当地は「和名抄」に載る古代の
山田村
やまだむら
山田村
やまだむら
山田村
やまだむら
- 大阪府:吹田市
- 山田村
〔中世〕
千里丘陵から
山田村
やまだむら
山田村
やまだむら
球磨川支流の山田川流域の谷々に点在する集落よりなり、概して南が低位で水田が開ける。北は
寛永一一年(一六三四)の郷村高辻帳では本田高一千四四石七斗余・新田畑高四八三石四斗余である。同一八年の検地帳によると上田七町四反七畝余・中田二七町六反一畝余・下田四九町四反一畝余、上畑一六町八反四畝余・中畑八町五反六畝余・下畑四町九反一畝余・野畑二町四反四畝余・山畑一二町七反一畝余、屋敷八町四畝余、合計一三〇町五畝余、分米一千一五六石一斗余で、水田には比較的恵まれているが、中田・下田の比率が高い。
山田村
やまだむら
山田村
やまだむら
山田村
やまだむら
山田郷の中心地で、南北朝期には国衙領
山田村
やまだむら
- 兵庫県:伊丹市
- 山田村
寺本村の南に位置し、北西端を山陽道がかすめる。宝徳四年(一四五二)二月一九日の与一大夫等下地預け状(稲垣文書)によると、「山田せう下村衛門三郎下地」二反は地下(村)のものとなっていたが、この時に宮内大夫に預けられた。署名している与一大夫と斎阿弥は山田庄の村落の代表者と考えられる。なお白井系図によると、天正六年(一五七八)頃山田城主白井栄正らが荒木村重と争って没落したという。文禄三年(一五九四)片桐且元による検地があり(同年九月晦日「山田村検地帳」山田部落有文書)、惣都合高三九一石余・家二七軒。
山田村
やまだむら
山田村
やまだむら
南は
山田村
やまだむら
山田村
やまたむら
山田村
やまだむら
山田村
やまだむら
大館盆地西端部に向かって南流する山田川中流域に位置する。天文年間(一五三二―五五)の浅利則頼侍分限帳(佐藤文書)に「御歩行頭 山田村居主蟹沢庄兵衛、同村ニ居主御番頭山田助右衛門、同村ニ居主山田喜左衛門」とみえる。中世後期を通じ浅利氏領であったが、天正初め頃安東(秋田)氏領となる。天正一九年(一五九一)の村高は二八一・二六〇石(「出羽国秋田郡知行目録写」秋田家文書)。
山田村
やまだむら
- 熊本県:玉名市
- 山田村
慶長九年(一六〇四)の検地帳によれば田二三町四畝余・畠屋敷一七町九反四畝余・屋敷四一筆、分米三七八石五斗余。
山田村
やまだむら
- 宮崎県:西都市
- 山田村
貞和四年(一三四八)一二月、日向に下向した伊東祐重が仮の居としたのが「都於郡山田池ノ房」であったと伝える(日向記)。応永三三年(一四二六)五月一六日、伊東祐立は垂水立秀に山田名内の市田寺寺務職(水田一町)を安堵している(「伊東祐立市田寺務職宛行状写」伊東文書)。室町期の年未詳四月一二日の伊東祐長書状(荒武文書)によると荒武藤兵衛尉が山田を知行することとなった。弘治二年(一五五六)六月吉日の土田帳写(予章館文書)によると
山田村
やまだむら
- 和歌山県:橋本市
- 山田村
紀ノ川の右岸の小高い丘陵地から葛城(和泉)山脈の山腹にかけてあり、南は
山田村
やまだむら
山田村
やまだむら
- 静岡県:袋井市
- 山田村
山田村
やまだむら
山田村
やまだむら
山田村
やまだむら
山田村
やまだむら
山田村
やまだむら
山田村
やまだむら
南は
山田村
やまだむら
- 福岡県:大野城市
- 山田村
山田村
やまたむら
山田村
やまだむら
山田村
やまだむら
山田村
やまだむら
山田村
やまだむら
山田村
やまだむら
山田村
やまだむら
山田村
やまだむら
山田村
やまだむら
山田村
やまだむら
- 秋田県:男鹿市
- 山田村
男鹿半島の北部中央、
康永四年(一三四五)銘の割石板碑が残る。菅江真澄は「十文字野といふに碑二ツまでたてり(中略)馬手の、
天正一九年(一五九一)の出羽国秋田郡知行目録写(秋田家文書)に「山田村 中真口村」として三五一石七斗六升七合とある。
山田村
やまだむら
山田村
やまだむら
山田村
やまだむら
- 岐阜県:高山市
- 山田村
山田村
やまだむら
慶長郷帳の村高六九〇・五五石、旗本秋山右近領。元和五年(一六一九)津藩(藤堂高虎)領に編入され廃藩置県に至る。「宗国史」に戸数一一二、人数五三二、祠に八幡、寺に
本居宣長の「菅笠日記」は「ひろき道にいづ。
山田村
やまだむら
山田村
やまだむら
- 奈良県:大和郡山市
- 山田村
山田村
やまだむら
- 栃木県:小山市
- 山田村
鬼怒川と
山田村
やまだむら
藤原定家仮託本ともいわれる建保五年(一二一七)成立の「三五記」(群書類従本)の奥書に「信州善光寺参詣次於伊那郡山田郷数日逗留時節、山田彦次郎清原真人盛政、依有殊懇志、彼二帖抄物、令相伝者也、(中略)長禄四年九月十二日、俗名前参議具世桑門光暁判」とあり、これが山田郷の初見である。また山田氏については享禄二年(一五二九)の写本「信州大塔軍記」のなかに「山田新左衛門」の名がみえる。村の南の山上(八三七メートル)に山田城の跡が残っており、このほか村内に
山田村
やまだむら
山田村
やまだむら
山田村
やまだむら
山田村
やまだむら
山田村
やまだむら
山田村
やまだむら
- 岐阜県:瑞浪市
- 山田村
山田村
やまだむら
山田村
やまだむら
- 山口県:下松市
- 山田村
永禄四年(一五六一)八月二日付の三田就政に対する毛利隆元宛行状(「閥閲録」所収三田新五左衛門家文書)に「周防国都濃郡山田郷虚昌寺領之内弐
慶長五年(一六〇〇)の検地帳では山田村として総高は六七九石六升、同一五年の検地帳では一千二二石余、うち田方は六六町余で九四二石余、畠方が一三町余で五〇石余、百姓屋敷四六とあり、毛利輝元が次男就隆に元和三年(一六一七)分知した領知目録(毛利家文書)にも山田村一千二二石五斗五升五合とみえる。
山田村
やまだむら
- 岡山県:玉野市
- 山田村
山田村
やまだむら
慶長一七年(一六一二)の由利郡中慶長年中比見出検地帳(由利郡中世史考)に滝沢領の一村として村名がある。正保四年(一六四七)の出羽一国絵図に一四三石とあり、元禄一一年(一六九八)の出羽国由理郡之内村高帳にもほぼ同高が記される。その後近世中・後期にかけて活発な新開が行われたらしく、天保郷帳には三六六石八斗九升二合とあるが、具体的な史料はない。
山田村の北に隣接する
山田村
やまだむら
山田村
やまだむら
東方
山田村
やまだむら
山田村
やまだむら
山田村
やまだむら
山田村
やまだむら
- 佐賀県:唐津市
- 山田村
正保絵図に「山田村」と記し、文化年中記録に畝数二五町三段四畝二四歩とある。
正元二年(一二六〇)の将軍政所下文(石志文書)に御家人山田四郎種と鴨打源次集の闘争のことがみえ、山田四郎種はこの村と関係あるとされる。
山田村
やまだむら
山田村
やまだむら
- 高知県:安芸市
- 山田村
安芸川中流東岸に位置し、対岸は
元禄郷帳によれば本田高二一六・六〇三石で、「井ノ口村枝郷」の注があり、元禄地払帳では本田高・新田高ともに井ノ口村・
山田村
やまだむら
- 岐阜県:関市
- 山田村
津保川左岸にあり、
山田村
やまだむら
山田村
やまだむら
山田村
やまだむら
山田村
やまだむら
- 石川県:加賀市
- 山田村
山田村
やまだむら
山田村
やまだむら
山崎城下の東隣に位置し、北は
山田村
やまだむら
山田村
やまだむら
- 兵庫県:小野市
- 山田村
山田村
やまだむら
山田村
やまたむら
山田村
やまだむら
江戸時代に入り、寛永一三年(一六三六)一一月九日付の徳川家光領知朱印状(石清水文書)によれば、山田村の六三石が
山田村
やまだむら
山田村
やまだむら
山田村
やまだむら
- 長野県:長野市
- 山田村
天正七年(一五七九)正月の諏訪社下社の下諏訪春宮造宮帳(諏訪大社上社文書)に、「外籬廿間 若槻庄之内(中略)真弓田郷・山田之郷」とあるように、中世に
山田村
やまだむら
山田村
やまだむら
山田村
やまだむら
山田村
やまだむら
山田村
やまだむら
山田村
やまだむら
山田村
やまだむら
山田村
やまだむら
山田村
やまだむら
山田村
やまだむら
山田村
やまだむら
山田村
やまだむら
山田村
やまだむら
- 秋田県:本荘市
- 山田村
南北に山を負う沢地に成立し、東西に帯状に細長い耕地があり、
慶長一七年(一六一二)の由利郡中慶長年中比見出検地帳(由利郡中世史考)では内越郷に属している。寛永二年(一六二五)の油利之内修理大夫様御知行御検地帳免定之目録写によれば二五七石二斗六升四合で、その納米は一四七石八斗九升七合であった。正保三年(一六四六)の出羽国油利郡内高目録(秋田県庁蔵)の村高は二二三石余で、畑は三石でほとんどが田である。
山田村
やまだむら
山田村
やまだむら
山田村
やまだむら
山田村
やまだむら
山田村
やまだむら
- 大分県:日田市
- 山田村
山田村
やまだむら
山田村
やまだむら
中世の村。現川辺町上山田・中山田・下山田に比定される。嘉元四年(一三〇六)四月一四日の千竈時家譲状(千竈文書)に「かミやま」と「しもやまたのむら」がみえ、当時は上山田村と下山田村に分れていた。年未詳七月一〇日の河辺郡知行目録写(長谷場文書)に守護被官の所領として「山田之村 十八丁」、別府氏の所領として「大角之村 十八丁」がみえる。大角村の比定地は、大字下山田に
山田村
やまだむら
- 富山県:黒部市
- 山田村
山田村
やまだむら
山田村
やまだむら
山田村
やまだむら
山田村
やまだむら
- 岡山県:総社市
- 山田村
山田村
やまだむら
山田村
やまだむら
山田村
やまだむら
山田村
やまだむら
山田村
やまだむら
- 和歌山県:海南市
- 山田村
西を
山田村
やまだむら
- 山口県:下関市
- 山田村
現下関市の東部にあたり、村の南部を
応永三〇年(一四二三)二月二五日の中村専阿書状写(長門一宮住吉神社文書)に「山田」の地名がみえる。天文一二年(一五四三)六月の大徳寺文書に「長州山田村包光名」とみえ、包光名は京都
慶長一五年(一六一〇)の検地帳に「山田村」とあり、総石高五八九石余、うち田三六町余で五六六石余、畠四町余で一三石余、百姓屋敷二三。
山田村
やまだむら
- 大分県:竹田市
- 山田村
山田村
やまだむら
山田村
やまだむら
山田村
やまたむら
山田村
やまだむら
山田村
やまだむら
山田村
やまだむら
山田村
やまだむら
織田盆地北方山麓にあり、東は
山田村
やまだむら
- 京都府:綾部市
- 山田村
中世は上林庄の地。村名は勧進奉加帳(光明寺文書)の天正一七年(一五八九)分に「山田 こゑたわのうは」とあるのが早い。
山田村
やまだむら
山田村
やまだむら
- 兵庫県:三田市
- 山田村
山田村
やまだむら
山田村
やまたむら
- 東京都:八王子市
- 山田村
散田村の南東にあり、北は
山田村
やまだむら
山田村
やまだむら
山田村
やまだむら
山田村
やまだむら
- 大分県:竹田市
- 山田村
山田村
やまだむら
- 大分県:竹田市
- 山田村
山田村
やまだむら
山田村
やまだむら
- 奈良県:五條市
- 山田村
吉野川西方、
山田村
やまだむら
山田村
やまだむら
山田村
やまだむら
山田村
やまだむら
- 茨城県:下館市
- 山田村
東は
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報