天理市(読み)テンリシ

デジタル大辞泉 「天理市」の意味・読み・例文・類語

てんり‐し【天理市】

天理

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日本歴史地名大系 「天理市」の解説

天理市
てんりし

面積:八五・七三平方キロ

奈良盆地中央東部から大和高原に及び、北は奈良市、南は桜井市に、東は山辺郡つげ村、西は大和郡山市と磯城しき郡。春日断層崖下の布留ふる扇状地上の丹波市たんばいち町を中心に盆地から山地へ広がる丹波市地区を核心とし、東部高原上の福住ふくすみ地区、西方の農村地帯である二階堂にかいどう地区、南方の朝和あさわ地区・柳本やなぎもと地区、北方の櫟本いちのもと地区からなる。

高原の北方奈良市境には標高六三二・五メートルの高峰たかみね山、桜井市境には標高五八五・七メートルの竜王りゆうおう山がある。市域内にはあまり大きい河川はないが、布留川が中央部を、菩提仙ぼだいせん川が北部をそれぞれ東から西に流れ、また初瀬はせ(大和川)が市の西端をわずかに横切る。市域の東半分にあたる大和高原は、大和青垣国定公園に指定されている。

当市は県内でも最も古墳の多い地域であり、石上いそのかみ神宮・大和おおやまと神社など古代信仰の中心地であるとともに、教派神道最大の天理教本部の所在地でもある。

〔原始〕

市内の遺跡は断層崖下の台地・丘陵上と、西流する河川の扇状地上に営まれているが、布留川北岸の布留遺跡は後期旧石器・縄文・弥生・古墳時代にわたる複合遺跡。出土土器は爪形文土器に属する縄文時代中期以前のものや若干の晩期の土器のほか、磨消縄文が主で、天理式といわれ、後期縄文式土器の編年基準となっている。

弥生式土器は後期のものがおもに発見され、さらに古墳時代まで継続している。また布留遺跡の西方の平等坊びようどうぼう岩室いわむろ遺跡では集落を囲む大溝が確認され、出土の弥生式土器は中―後期が中心で、初瀬川流域の檜垣ひがい町から中―後期の、同じく柳本町からも同時期の土器が発見されている。後期の高地性集落に東大寺山とうだいじやま遺跡と薬師山やくしやま遺跡があり、東大寺山では二つの住居群と二重の濠跡が発見されている。東大寺山遺跡の南方、高瀬たかせ川を挟んだ平尾山ひらおやま丘陵から二個の銅鐸が発見されている。

古墳時代の遺物散布地のうち布留遺跡などの主要遺跡は縄文・弥生時代から継続したものが多い。前期古墳は南から柳本・大和おおやまと杣之内そまのうち・東大寺山の四古墳群に区別され、柳本古墳群は前期の古墳が中心、大和古墳群には前―中期の前方後円墳や前方後方墳が含まれる。杣之内古墳群には後期―終末期にかけての大円墳が存在、東大寺山古墳群は東大寺山古墳を中心として大型前方後円墳や前方後方墳が含まれ、前期後半―中期初頭の古墳が集中している。東大寺山古墳群の東方や南側、石上・豊田とよだ丘陵にも後期の大群集墳がある。古墳時代後期の群集墳は柳本古墳群の東に竜王山りゆうおうざん古墳群があり、横穴式石室をもつ小円墳や横穴が中心で約六〇〇基余が知られている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「天理市」の意味・わかりやすい解説

天理〔市〕
てんり

奈良県北部にある市。 1954年3町3村が合体して市制。中心市街地の丹波市は布留川の扇状地にあり,奈良から三輪,初瀬にいたる上街道の宿場町,市場町として発展。天保9 (1838) 年中山みきを教祖とする天理教が生れ,1881年その本部がおかれてからは天理教の町として発展した。神殿,教祖殿,「おやさとやかた」,信徒宿泊所,大学,図書館などの文教施設のほか,総合病院,プールなどの近代施設も完備。農村部では茶,果樹などの施設園芸,観光農園が行われ,紡織,食品加工業などもある。西山古墳,櫛山古墳,赤土山古墳 (いずれも史跡) をはじめ,石上 (いそのかみ) 神宮 (拝殿および所蔵の七支刀は国宝) ,長岳寺,崇神・景行両天皇陵など古社寺,遺構が多い。また,天理大学附属天理図書館には多くの国宝の書が所蔵されている。市域の一部は大和青垣国定公園に属する。 JR桜井線,近畿日本鉄道天理線が通るほか,名阪国道と西名阪自動車道の結節点。面積 86.42km2。人口 6万3889(2020)。

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