下加村(読み)しもかむら

日本歴史地名大系 「下加村」の解説

下加村
しもかむら

[現在地名]大宮市櫛引町くしひきちよう日進町につしんちよう

上加村の南にある。東端を与野町への道が南進し、櫛引村との境をなす。下賀村とも記した(田園簿など)。古くは上加村と一村であったと考えられる。田園簿によれば田一二五石余・畑二〇二石余、旗本柴田領。寛文元年(一六六一)検地があった(風土記稿)。元禄一一年(一六九八)上知となり(寛政重修諸家譜)、以降幕府領として幕末に至る(寛政八年「足立郡村々高辻帳」都築家文書、改革組合取調書など)。持添の原地はらち新田があり、延享二年(一七四五)神尾若狭守の検地で幕府領になった(風土記稿)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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