下唯野村(読み)しもゆいのむら

日本歴史地名大系 「下唯野村」の解説

下唯野村
しもゆいのむら

[現在地名]大野市下唯野

九頭竜くずりゆう川左岸、塚原野つかはらのの東部に位置し、美濃街道に沿う。長承二年(一一三三)六月一四日付官宣旨案(醍醐雑事記)にみえる「上井辺」「下井辺」は上唯野・下唯野かとも推定される。大永七年(一五二七)三月一一日付洞雲寺隔庵領目録(洞雲寺文書)に「四斗 作職唯野之経善左衛門」ともみえる。正保郷帳によると田方二四八石余・畠方一五五石余。初め福井藩領、貞享三年(一六八六)より幕府領、元禄四年(一六九一)以降勝山藩領。「越前国名蹟考」は枝村として川原かわらを記す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android