下福沢村(読み)しもふくざわむら

日本歴史地名大系 「下福沢村」の解説

下福沢村
しもふくざわむら

[現在地名]敷島町下福沢

神戸ごうど村の西、あら川の支流亀沢かめざわ川流域にある。徳川家康は天正一〇年(一五八二)八月一一日に内藤又右衛門正行ほか一〇名の御岳衆に当地内と思われる福沢二〇貫文などを与え(「徳川家印判状写」社記)、同年八月二七日には初鹿野伝右衛門昌久へ吉沢きつさわ之内下福沢二七貫文などの地を本領安堵した(「徳川家康判物写」記録御用所本古文書)。慶長古高帳に村名がみえ、高五六石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む