日本歴史地名大系 「下高額村」の解説 下高額村しもたかひたいむら 福島県:喜多方市下高額村[現在地名]喜多方市豊川町(とよかわまち)高堂太(たかどうた)一堰(いちのせき)村の北東にあり、東は堂畑(どうばたけ)村、北は上高額村。熊倉組に属した。「しもたかびたい」ともよぶ。地内には至徳(一三八四―八七)頃渡辺左京進長勝が耶麻郡一二ヵ村を領して築いたと伝える館跡があり(新編会津風土記)、戦国期には十二(じゆうに)村とよばれたと思われる。天正一七年(一五八九)六月五日磨上原の合戦で蘆名義広を破った伊達政宗は、同年七月二四日蘆名氏旧臣の十二村助左衛門に本領である「会津北方十二村ト云フ所」を安堵している(「貞山公治家記録」同日条)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by