デジタル大辞泉
「喜多方市」の意味・読み・例文・類語
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
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喜多方市
きたかたし
面積:一五〇・四二平方キロ
県の北西部、会津盆地の北部に位置する。山形県境の飯豊山から東へ張出す山塊から流れ出る姥堂川・田付川・押切川・濁川などが市域を南流し、市域の平坦部はこれら阿賀川水系の諸河川によって形成された複合扇状地である。北は耶麻郡熱塩加納村と一部大峠を境に山形県米沢市に接し、東は耶麻郡北塩原村、西は同郡山都町、南は同郡塩川町・河沼郡会津坂下町に接する。市名は当市誕生の中核となった喜多方町を継承するが、同町の名は会津盆地の日橋川・阿賀川以北を表す中世以来の呼称北方にちなみ、同町域が近世以降、北方地方の中心地であったことによる。なお市成立以前は全域が耶麻郡に属していた。
〔原始・古代〕
縄文時代の遺跡としては市域東部雄国山麓の熊倉地区に二又橋遺跡・諏訪の宮遺跡・森台遺跡、市域北東部の田付川流域に平沢北遺跡・治里遺跡・大沢遺跡があり、弥生時代の遺跡はJR磐越西線喜多方駅構内の長内遺跡、市域北端に近い押切川西岸の三百刈遺跡、田付川東岸の大沢遺跡などがある。古墳は会津盆地の西縁にあたる慶徳地区に灰塚山古墳(前方後円墳)・虚空蔵森古墳群(円墳二・前方後円墳一)・山崎横穴群、熊倉地区に上人壇古墳(円墳)・芦平古墳(円墳)などがある。田付川の中流から下流域にかけての平地には岩月町宮津の糠塚古墳群(円墳)がある。
〔中世〕
中世、市域には新宮庄・加納庄が成立する。新宮庄は慶徳町新宮の熊野神社の社領が庄園化したものともいわれ、庄域は同所を中心として市南西部、塩川町西部および山都町・高郷村・西会津町のうち阿賀川以北の一帯に比定される。同庄の地頭は新宮氏(平姓)を称し、熊野神社北東の新宮城に拠り、同庄を支配した。一五世紀初め新宮氏は黒川(現会津若松市)の蘆名氏と争った。応永二七年(一四二〇)七月二日「新宮城」(実際は高館城と思われる)は蘆名氏の軍勢に攻められて落城(塔寺長帳)、盛俊ら新宮氏一族は越後国五十公野(現新潟県新発田市)へ逃れ再起を図ったが(新宮雑葉記)、永享五年(一四三三)蘆名氏の支城越後国小河城(現同県津川町)の攻撃に失敗、滅亡した(塔寺長帳)。加納庄は現上三宮町上三宮を中心に、市の北部から熱塩加納村西部一帯に比定される。上三宮には同庄を支配した佐原氏の居城とされる青山城跡がある。同氏は応永九年新宮盛俊に攻められて滅亡したといい(新宮雑葉記)、佐原氏・新宮氏の滅亡後、黒川蘆名氏の勢力が強まった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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喜多方〔市〕
きたかた
福島県北西部,会津盆地北部にある市。北で山形県に接する。 1954年喜多方町と岩月村,松山村,慶徳村,豊川村,関柴村,熊倉村,上三宮村の7村が合体して市制。 2006年熱塩加納村,塩川町,山都町,高郷村の2町2村と合体。中心市街は田付川 (たづきがわ) の両岸にまたがり,市場町として発展。古くから北方 (きたかた) 8万石と称された会津の穀倉地帯で,米,アスパラガスやトマトなどの野菜,ソバの生産が多い。そのほか酒造業や味噌,醤油などの醸造業,桐材加工,漆器製造などの伝統産業,および非鉄金属,電気をはじめとする工業が盛ん。熊野神社長床,願成寺の来迎三尊像,中善寺の薬師如来坐像,示現寺の椿彫木彩漆笈などが国の重要文化財に指定。市域北部は飯豊山地に属し,一部地域は磐梯朝日国立公園に属している。「蔵とラーメンのまち」として観光客も多い。 JR磐越西線,国道 121号線,459号線が通じる。面積 554.63km2。人口 4万4760(2020)。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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