中撫川村(読み)なかなつかわむら

日本歴史地名大系 「中撫川村」の解説

中撫川村
なかなつかわむら

[現在地名]岡山市中撫川

鴨方かもがた往来を境に南は下撫川村に接する。寛永八年(一六三一)当時は撫川村に含まれていたと推定される(「徳川家光朱印状写」宮田文書)。寛永備中国絵図・正保郷帳ともに高一千二七六石、庭瀬藩戸川氏領。延宝三年(一六七五)または延宝七年より旗本撫川戸川領となり明治に至る(寛政重修諸家譜・備中村鑑)。天和三年(一六八三)の庭瀬久世出雲守様へ相渡候節帳面(宮田文書)では高八八五石余、取米四五八石余。元禄備中国絵図では九四一石余、枝村としてこうげ村が記される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

《「晋書」杜預伝から》竹が最初の一節を割るとあとは一気に割れるように、勢いが激しくてとどめがたいこと。「破竹の勢いで連戦連勝する」[類語]強い・強力・強大・無敵・最強・力強い・勝負強い・屈強・強豪・強...

破竹の勢いの用語解説を読む