朝日日本歴史人物事典 「中野村正覚坊」の解説
中野村正覚坊
江戸中期の陸奥国中野村(宮城県)五宝院の山伏。寛政9(1797)年仙台藩領内に発生した百姓一揆の指導者のひとり。この一揆は藩による安価な米穀買い入れ反対を中心に郡方・村役人の不正追及,年貢先納反対などを求めて強訴,打ちこわしを展開した,仙台藩史上最大の一揆であり(4万人ともいわれる),領内各地で蜂起したが,正覚坊は江刺郡下伊沢方面の一揆を指導した。一揆後打ち首となったが処刑日は不明。「姿長大にして勇威才量常ならず」といわれ,天文,易学,数学などにもたけていたという。文政年間(1818~30)には一揆関係村落により,正覚菩提塔という供養碑が建立され,義民として顕彰されている。
(保坂智)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報